広告は広告を超えていくことになるけれど、それはとても広告的に行われるだろう

「アルファ碁」という名前の人工知能が、世界トップレベルの棋士と5回戦って4勝1敗だったというニュースは、ふだん囲碁にもA.I.にも関心のない人々にも衝撃的に受け止められた。

コンピューターが将棋のプロ棋士に勝って注目を浴びたのが、去年。A.I.が囲碁の一流棋士を破るには10年以上かかるだろうと言われていた。それだけに、今回の衝撃は大きく、人工知能は、すっかり日本人全体の関心事になってしまった。

 

その関心は、シンギュラリティ(技術的特異点、つまり人工知能が人間の知性を超える瞬間)はいつかということに、ほとんど向かっていると思われる。音声認識ソフトの発明者で今はグーグルにいるレイ・カーツワイルは、それを2045年と予測している。

 

現在、マーケティングの世界で起きているのは、マーケティングはすべて、イコール、デジタル・マーケティングという変化であって、それは、世の中のほとんどすべてが、デジタル・インフラをベースに構築されていることとパラレルだ。

 

デジタル・マーケティングをおおざっぱに図式化すると、「あらゆるレベルのデータ解析をベースに統合的な戦略を構築して、カスタマーとのリレーションを最適にする方法」くらいのことになると思われる。もちろん、その中の種目は、eコマース、デジタル・コンテンツ、DMP、運用型広告、アドテクなどなど、栄枯盛衰含め多種多様だ。

 

このゲームが今までといちばん違うのは、運用型広告はじめ多くの種目で自動化がなされつつあるということだろう。たしかにデジタル・マーケティングという仕事の中には、人間よりもコンピュータの方に向いているパートが数多く含まれている。どちらでも能力のある方が受け持てばいいのであって、明らかに人間よりA.I.の方がシュアという種目は必然的に増えていくだろう。囲碁で人間に勝てるようになったのは、deep learningつまり、外部を認識し、みずから学習、判断することができるようになったからだと言われる。彼はまるで思春期のように成長しているのだ。

 

人間のアイデアが常に上位概念としてあり、あくまでその手段として自動化されたデジタル・プラットフォームがあるといういわば人間信頼説と、シンギュラリティをむしろ当然の出来事として、人間より明らかに有能なマシンに基本すべてを委ねようといういわばシステム信頼説とがある。それは、特殊に有能な人間の出現や成長を信じるか、それを全く信頼せず、平均的能力さえあれば誰でもできるようなシステムを開発する方が安定的効率的に成果が上がるという考え方との対立でもある。

 

最近よく語られるのが、「今ある仕事で何が残るか」問題。オックスフォード大学のカール・ベネディクト・フライによれば、現在ある仕事の半分が10-20年のうちに人工知能に置き換えられるという。

 

アスリート、ミュージシャンなど、生身の人間がやることに意味がある仕事は残るとか、同じ弁護士でも、調査弁護士はなくなるが、敗訴確実と言われていたO.J.シンプソンを無罪にするような法廷弁護士は生き残るとか。「ロボットに人間の仕事が奪われる」的な言い方がよくされる。

 

実際多くの職業が消えていくだろう。けれど、それは、やらなくてもいいことから人間が解放されることを意味するのであって、むしろハッピーな事態と捉えておきたい。おそらく、人間は、人間でなくてはできないことを新たに発見していくだろう、と僕は楽観的にかまえているのだけれど。

 

テクノロジーの劇的進化によって、僕たちのゲームもがらっと変わった。当然、プレイヤーの顔ぶれもまったくちがうものになっている。この領域は、日本の広告代理店が必ずしもメインプレイヤーではない。SI×コンサル、デジタル・専業マーケティング・エージェンシー、デザイン・ファームなど、どちらかというとシステム設計に強いプレイヤーが、コンサル、マーケティング、デザイン、クリエーティブ領域に侵犯してきていて、まだ戦場自体が確定してない状況にある。ゲームのプリンシパルとコンピタンスを確定できたところが勝つだろう。とはいえ、要はソリューション・ビジネスである。種目×能力。さらにそれを統合する力を競い合うゲームである。その原理はほぼ変わらない。

 

デジタル・マーケティングの領域は、実はまだ、ブルー・オーシャンとは言わないが、パープル・オーシャンくらいの段階であって、現在加速度的に増えている需要に対して供給が追い付いていない状態である。淘汰は少し先になるだろう。

 

最近、ある領域をひとつのブランドが完全に制覇した例がある。映像ディストリビューション領域におけるネットフリックスがそれだ。

 

2016年1月5日。ラスベガス。CES開催日前日。ネットフリックスCEO、リード・ヘイスティングスのキーノート・プレゼンテーションを聞いた。登場しただけで、スタンディング・オベーションだった。彼によれば、すでにほぼ全世界にコンテンツを配信する準備が整っているという。中国、北朝鮮、シリアの3か国をのぞいて。

 

ネットフリックスの競争優位性はすでにずいぶん語られている。簡単に言うと、映像コンテンツの企画制作のほぼすべてをカスタマーの行動データを根拠に組み立てるという徹底的に顧客オリエンテッドなモデルだ。こういう地域に配信するのは、こういう種類の、こういうジャンルがヒットする確率が高い。その場合、キャストはケヴィン・スペイシーでなくてはならないとか、この地域の人たちは、ホームドラマの場合毎回必ず意外な出来事を入れないと見続けてくれないとか、この地域の人たちはS.F.にも毎回3回アクション・シーンがあると満足度があがるとか。

 

企画を映像にするかどうかは、シノプシスと1回目2回目のシナリオを読んで、基本100%データから判断するという。そのアルゴリズムは、当然トップ・シークレットだけれど、ほんとに100%データだけなのか、最後あるいは最初、2~3%くらい直観が介在するのか実はよくわからない。

 

データによって内容がだいぶ規定される。というと、監督などクリエーティブ・パーソンは、忌み嫌いそうである。けれど、事実は全く逆なのだ。ネットフリックスは、現在、創り手たちからいちばん仕事したい相手先になっている。ハリウッドを凌ぐほどの。

 

「お金(制作費の方がギャラより重大関心事になる)・自由度・ヒット確率の高さ」

この3つが、クリエーティブ・パーソンが望むことのすべてである。まず、ネットフリックスはハリウッド並みの予算と報酬を用意しているという。さらに、自由度。当初のディレクションはかなり精緻に束縛しているが、いったん決めたら後は自由。100%信頼して任せる。唯一のしばりは、「今までなかったもの」。これは、望むところだ。

 

創り手が、いちばんほしいのは、高評価×売り上げ。理由はかんたん。それがないと、次のバッターボックスに立てないからだ。それゆえ、ヒットする原理のようなものを実は本能的に渇望している。それは、内容やキャスティングを規定されることに対するネガティブな気持よりはるかに大きい。

 

ネットフリックスは、カスタマー・ファーストに徹底した結果、クリエーティブ・パーソンにとって最も魅力的な映像産業たりえているのである。

 

データ・アナリシスから、なんらかのクリエーティブ・アウトプット、つまりカスタマーとの接触まで。ずっと言われていながら、アドヴァタイジング・ビジネスではなかなか確立できない説得力のある方程式が、映像配信というカテゴリーをほぼ制圧したのだ。データは誰が読んでも同じ結果を導き出すわけではない。そこには、人智が必要である。この方程式のプロセスのいくつかの重要なポイントにも、人智が必要である。ストラテジーにしても、PRにしても、もちろんクリエーティブにしても。方程式がクリアだと、人力が必要なところ、つまり、少なくとも当分、A.I.より人間の方が優れた仕事をすると予想される場所がよくわかる。

 

広告はじめ僕たちの仕事はほぼすべて、課題→アイデア→エクゼキューションというプロセスから成り立っている。それは、何がどのように変化しようと変わらないだろう。広告は広告を超えていくことにならざるを得ないことはもはや明白だけれど、それは広告で培ったスキルを広告以外の仕事に応用していくことでのみ可能である。今後どうなっていくのかではなく、現在持ち合わせている能力の応用で、今までやったことのない何ができるだろう、という立ち位置の方が、プレイヤーとしては健全かつ有効だと思われる。新しい仕事はどれも、そのようにして生まれてきたのである。

 

古川  裕也  (ふるかわ  ゆうや) 株式会社電通 CDC センター長

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