【真の女子力の実現に必要なこと】ホモ・ソーシャルの功罪

「女子力」という言葉が流行語となってすでに数年が経過した。一過性の流行かと思いきや、旅行パンフレットや居酒屋の宣伝にも「女子会」というキャッチフレーズが踊り、「女子」という言葉もメディアで定着した感がある。


「女子力」が注目される背景には、いわゆる「女性の社会進出」や女性の積極的活用を促す社会的、政治的気運があり、「草食男子」といわれるやさしく消極的な若い男性をさす流行語の反対語としての「肉食女子」という用語も登場している。

だが、女性だけで集まって旅行やイベントをするのは、日本の歴史上今に始まったことではない。宝塚歌劇の役者は女性だけで、ファンの中心も女性。逆に歌舞伎は男性だけ、ジャニーズも男性アイドル・グループの集団。

ジャニーズ・ファンの知人にコンサートに誘われたとき、東京ドーム全体がほぼ女性でうめつくされていた光景には圧倒された。コンサートにもパーティーにもレストランにも基本的にカップルで訪れる“カップル文化”の欧米社会とは実に対照的である。

同性どうしの結束を「ホモ・ソーシャル」と呼ぶが、日本社会は歴史的に、欧米社会に比べると極めてホモ・ソーシャルな欲求が強い文化である。

「ホモ・ソーシャル」な社会はいわゆる“男社会”における女性差別の原因として批判されるが、日本においては女性もその傾向が強く、一時期ブームになったヨン様も、ヨン様本人の魅力よりはファンの女性どうしで集まる楽しさが重視されており、日本の妻たちの多くは「亭主元気で留守がいい」と言いながら、女どうしで宝塚やヨン様をめぐって語り合うほうが楽しいのである。

この「ホモ・ソーシャル」には功罪二つの面があると考える。プラス面は、女性の結束を固めることで、女性のエンパワメントにつながるということ。「女子力」という言葉の流行は、日本文化に既存のこの現象を、21世紀的な女性へのエンパワメントとしてとらえ返した結果とみることができる。

日本の近年の消費文化も、冒頭で述べたとおり、旅行ツアーから居酒屋の宣伝に至るまで、女性のホモ・ソーシャルな消費者をターゲットとして戦略を展開しているのであり、ターゲットをしぼったほうが訴求効果や宣伝効果も期待でき、女性たちもそれにのって「今日は女子会」と盛り上がる。

だがこの用語には、いまだ低い日本における女性の経済的、社会的地位という負の側面も反映している。

「亭主元気で留守がいい」と公然と語られるのは、日本の夫が少なからず妻にとって抑圧的にふるまっていることの証であり、このCMはすでに20年以上前のもので、露骨な亭主関白的行動は減っているとしても、近年のバラエティ番組でも、有名タレントと結婚した妻が、家事の仕上がり具合をうるさくチェックされたり、仕事で疲れて帰ってきても自分だけが家事をさせられたりする、という不平を口にすることがある。

逆に、家事、育児に積極的な夫像がメディアで語られるようになってもいるが、諸外国の統計と比較すると、日本の夫の家事、育児に割く時間は極端に少なく、フランスでこのことを授業で話したある女性研究者が授業中に、「日本の夫はパンくずをひろうくらいしか家事をしないのか」と質問されたという(苦笑)。

また、日本の男女の賃金格差は諸外国に比べても大きく、徐々に格差は縮まっているものの、まだ女性の平均賃金は男性の7割程度である。

このような格差があるなかで、女性が勤続よりも家庭に入ってより賃金の高い男性の経済的庇護のもとに入ろうとするのも必然といえば必然であり、自宅にいれば家事をいいつける「主人」が家にいるよりは、女どうしで息抜きをするほうがリラックスできるし、企業側もそうした女性消費者をターゲットにしてサービス産業を中心とした女性割引料金を設定するため、男性に経済的に依存したほうが得、と考えて女子会に走る女性たちはいつまでも消滅しない。

この状態を抜本的に“改善”すべきかどうかは意見がわかれるところであろう。日本の文化史を研究し、日本社会で生まれ育って実感するのは、日本社会のホモ・ソーシャルな特性は今後も加速しこそすれ、消滅はしないであろうということである。

宝塚歌劇が一時男子部を作りながらも結局消滅してしまったほど、日本の観客は舞台芸能ひとつとっても、同性どうしでかたまるほうが安心して楽しめるのであり、この条件を前提として「女子」だけ、または男性だけをターゲットに商品やエンタテインメント産業を提供し続け、宣伝戦略もその方向に集中的に展開した方が、安定的効果をみこむ可能性は高いかもしれない。

だが、グローバル・スタンダードとされる意味でのジェンダー平等と、この日本社会の現状が異質であることも事実である。

講演会で、結婚・出産で退職をする女性を示す労働力率のグラフのいわゆるM字型カーブが欧米では消滅しているのに、日本と韓国には残っていると説明すると、ご夫婦でいらした中年女性から「日本人なんだから~」との陰口がとび、育児はどうするんですかとの質問も多い。

だが、母親が家事、育児への専念をモデルとすることで(統計上、専業主婦は減少しているとしても、理念上、実践上の理想としては凝った家事を愛情表現とみなすモデルが残存しているのは、手作り弁当の理想化からも明らかである)、過保護な草食男子が増殖している(全面的な因果関係は断言できないが、一因であることは確か)のをどう評価するのか?

個人的には、生計も家事も育児も男女でバランスよく負担するほうが、女性も男性も身体的、精神的負担が減ると考えており、実際、昨夏のあるシンポジウムで「男女不平等とは言いながら、男性が仕事をしている日中に女性たちは高級なランチや観劇で楽しんでいるのが実情です」との男性からの反応に私も大いに賛同し、日本社会の男性差別を考えるべきだと訴えたら会場で大いにうけたものであった。

過労死や自殺、結婚難の原因が男性のリストラや収入源に求められるのは極めていびつな、男性にとって不平等な状況であり、経済低成長による男性の収入減で結婚できないという考え方は、自分で生計を支える発想がない、それこそ未熟な「女子」の発想である。

明治時代前半までは華族女性でもないかぎり、女性も働いて生計を支えるのが当たり前であった。

世界遺産で話題の富岡製糸場の女工さんたちはじめ、明治期前半までの女性たちは、「社会で目立ちたい」などというミーハーな動機づけではなく、親や兄弟姉妹の生活を支えるために真剣に働いていたのであり、夫の収入でブランドものを買う21世紀の「ママ・カースト」上位を誇る妻たちよりも、明治女性のほうがはるかに「真の女子力」に満ちた存在である。

2013年4月より日本文化デザインフォーラムという文化人団体で「女子力ラボ」をたちあげ、画家の蜷川有紀さん、異文化コミュニケーターのマリ・クリスティーヌさんとともに、漫画家、ミュージシャンの内田春菊さん、NHK初の女性アナウンス室長・山根基世さん、作家の松本侑子さん、歌人の水原紫苑さんといった方々にお話をうかがってきたのも、「真の女子力」を発揮されている女性の方々からお話しをうかがい、現代女性へのエンパワメントにしたいとの切実な願いにかられてのことである。

「真の女子力」の広範な実現こそが、日本社会全体の活力と未来を切り拓き、結果として豊かな経済成長にもつながると信じる。



佐伯 順子 (さえき じゅんこ)
日本の比較文化学者。同志社大学教授。博士(学術)(東京大学、1992年)(学位論文「近代化の中の男と女 -『色』と『愛』の比較文化史」)。
学習院大学文学部史学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。現在、同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻教授。おもな著書に、『「色」と「愛」の比較文化史』(岩波書店、サントリー学芸賞・山崎賞)などがある。
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