無理の向こう側にある奇跡<前編>

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2018年6月号『無理上等!』に記載された内容です。)

2018年1月26日。私たちSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(以下SPBS)は創業10周年を迎えた。

いま振り返ってみると、この10年という年月はあまりにも長くて、あまりにも短くて、富士急ハイランドのアトラクションもかなわないんじゃないかというくらいにスリル満点で、ちょっとした小説よりも面白いのではないか? というくらいにドラマチックな時間だった。


創業時は赤字続き、僅か2年で倒産寸前にまで追い込まれ、頑張って持ち直したかな? というときには東日本大震災。その後創業時には夢にも思っていなかった女性向けの雑貨店を開業することになり、一度黒字転換すると、後は毎年150%の売り上げ増の快進撃、まさに順風満帆! と思ったら、まさかの難病(パーキンソン病)罹患。気分はどん底まで沈んだけれど、周囲に支えられて復活、現在は早朝から夜遅くまで働いている。


出版不況と言われる。本屋が大変だ、とも言われる。リアル店舗苦難の時代だ、とも言われる。しかも私はいまや、身体障がい者だ。でも、SPBSは現在成績が一番良い。まもなく11期を迎えるが、おそらく売り上げも利益も過去最高を更新することだろう。2020年に向けた様々なプロジェクトもすでに複数始動中だ。


奇跡は起きるから奇跡というのだ。どこかの誰かが言った。四度続けば奇跡も必然になる。そう、私は言った。これから述べるのは、渋谷区神山町の小さな本屋が起こした奇跡の軌跡。こんな時代に本屋を始め、曲がりなりにも成長を続ける企業のトップだからこそ見てきた景色と、これから見るだろう景色について述べてみたい。


文化が育まれる場所をつくりたい
時間を遡ること10年前の2008年1月26日。その日はまるで、これから始まるSPBSの経営の苦しみを象徴するかのように、空全体が薄灰色に塗られ、店頭に立っていると臓器が凍ってしまうのではないかと思われるくらいに冷えた。

“Think Globally,Act Locally!(地球規模で考え、足元から行動せよ)”
“人と物と情報が行き交い新しい文化が育まれる場所(本屋)になろう!”
“そこでつくってそこで売る出版する本屋!”


SPBSは、威勢のいいスローガンと共に渋谷区神山町でその活動をスタートさせた。創業時の売上高は4,370万円、経常利益マイナスうん千万円の大赤字、その後の数年間も赤字経営が続き、会社をたたむことも考えた。それが、直近の数年間になると、毎年最高売上高を更新(10期の売上高は、約4億3,500万円)し、増収増益を続けている。


SPBSが生き残ってこられた理由は何だろうか。何日も、何日も考えてみたことがある。そして、考えを整理した結果として行き着いたのは、しごく当たり前の理由だった。どんなに苦しくても、お客さまに喜んでいただけるような店づくりを続けてきたことこそが、生き残ってこられた最大の要因なのではないか─、というシンプルなものである。


たとえば、本のセレクト。こちらもお客さまに喜んでいただくために、日々お客さまと対話をするかのように、少しずつ、少しずつ、改善してきた。創業時の店内は、1940年代から2000年代までを、それぞれ10年毎に区切った“年代別の棚”を並べていた。


たとえば林真理子氏の最新刊であれば、どんなに“最新”であっても「80年代」の棚に刺さっている……という分類棚であった。林氏は80年代的思考とライフスタイルの象徴のような存在であるから、そのように分類していた。


全体的にコンセプトで引っ張っていくセレクトをしていて、「アートブック」や「建築に関する本」、あるいは洋書など、どちらかというと現在よりもエッジの効いたものでキーブックスが構成されていた。


その後、地元の人にもっと来ていただきたいという思いから、自分たちが売りたい本だけではなく、お客さまの求める本を押し出していくようにした。そして棚も、一般的な本屋と同じようなジャンル別のものにして本を選びやすくし、コンセプトで売る店からマーケットイン型のセレクトで売る店へと変えていった。


お客さま商売に奇手奇策はない。どんな場所での出店であっても、ご来店いただくお客さまに感動を届け続けられたならば、いつしかお客さまが味わった感動は人口に膾炙され、新しいお客さまを呼び込んでくれる。


この流れは、SNSの登場後、ますます強くなった。本当にいいお店であれば(SNSで語られたり、伝えられたりすることと実際のお店の質に矛盾がなければ)、お客さまが店の応援団になって宣伝してくれる時代だ。つまり、事業を続けることこそが、お店の最大のPRになるのである。


堀江貴文氏、幅允孝氏などキーマンとの出会い
改めて振り返ってみると、SPBSの10年は、4つの奇跡と3つの非常識によってかたちづくられた10年だったと言える。非常識=セオリーからの超越こそが、理屈だけでは説明の付かないSPBSの現在の位相をつくったのは間違いないだろう。具体的に、奇跡とは、この4つだ。

1.様々なキーマンとの出会い。
2.神山町の物件との出会い。
3. SNS社会の到来。
4.東日本大震災による消費者マインドの変化。


本好きの店主が自らオーナーとなり、自分で選書をし、限られたスタッフが食べていくために必要最低限のコストで運営していくセレクト系本屋とSPBSが趣を異にするのは、様々なキーマンの力が合わさってできた“総合事業”だという点にある。


たとえば、SPBSの株主である私と、もう1人の株主であるSNSのオーナー、堀江貴文氏との出会い、起ち上げ時に選書や店舗づくりの担当をしてくれたブックディレクター・幅允孝氏との出会い、SPBS神山町本店の設計デザインを担当してくれた建築家・中村拓志氏との出会いは、SPBSの「コアバリュー(基礎価値)」をつくる上で大きな意味をなした。


堀江氏は経営者の先輩として経営の基本を教えてくれたし、幅允孝氏は選書の力、本を魅せる棚のつくり方などを教えてくれたし、中村拓志氏は「そこでつくってそこで売る本屋」というSPBSの事業コンセプトそのものを、設計の力で表現してくれた。


それぞれが超メジャーな存在になってしまったいまとなっては、この三人が共に関わる事業はもう、後にも先にもないだろうと思われるが、この奇跡的座組がSPBSという本屋そのもののコアバリューを育んでくれた。


物件との出会いも、SPBSの運命を決めた。本屋としても経営的に立っていける安い家賃で、同時に都心に位置し、競合が少なく、文化的民度の高そうな場所で、かつ、そこでつくってそこで売るというコンセプトそのものを建築で見せられるだけの広さのある物件。


このような場所は、早々見つかるものでもないが、これも奇跡的に見つけることができた。旧知の間柄である岡田武史氏(サッカー日本代表元監督 / 現FC今治オーナー)とBunkamuraのシアターコクーンで『三人吉三』を観た帰り道、「テナント募集中」と書かれた張り紙を、テラス神山の1Fに見つけたのである。


実は、SPBSの10年はSNSの10年でもある。2007年に第1次twitterブーム到来、SPBS創業の年である2008年にはiPhoneが発売、2009年に第2次twitterブーム到来、2013年LINEユーザー急増、2015年Instagram躍進……このように見てみると、SNSの拡大とSPBSの売り上げ規模の拡大は軌を一にしている。


以前であれば、お客さまにお店の存在を知っていただくためにはマスコミに採り上げられることが一番効果的だった。しかし先に述べたように、SNSの登場は、マスコミを頼らずともお店が認知される可能性を広げてくれた。SNSの広がりは、間違いなくSPBSビジネスにフォローの風を吹かせてくれた。さて、具体的にどんな本が売れたかは、<後編>でご紹介しよう。

後編はこちら>>https://www.jma2-jp.org/article/jma/k2/categories/476-mh180605

 

福井  盛太  (ふくい  せいた)
SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS,LLC. Founder/CEO
1967年愛知県生まれ。91年早稲田大学社会科学部卒。 ビジネス誌『プレジデント』の編集者などを経て、2007年9月、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)を設立。現在は、本のある暮らしを提案するセレクトショップ《SPBS》、毎日を特別なものにする、ときめくアイテムをあつめたセレクトショップ《CHOUCHOU》の経営、webメディア、雑誌・書籍の編集や店舗プロデュース、イベントやセミナーの企画立案を行っている。

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