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手漉き(てすき)和紙の技術伝承から考える日本の未来

平成26年11月27日に、これまで登録されていた「石州半紙」に「本美濃紙」と「細川紙」が加わり、「和紙:日本の手漉和紙技術」がユネスコ無形文化遺産に登録された。

その対象は、三つの和紙の製作に関する伝統的工芸技術であり、これらの技術は国の重要無形文化財にも指定されている。


「石州半紙」は、紙質が強靭でありながら繊細で光沢があるという。「本美濃紙」は、白くて美しく、柔らかみのある独特な肌触りで、昔から最高級の障子紙として高く評価され、京都の迎賓館の障子や照明器具にも使用されている。「細川紙」は、毛羽立ちにくく丈夫なため、和本や版画の用紙、文化財の修理用紙としても使われているという。


これらに負けず劣らず今なお、素晴らしい手漉き和紙の製作技術文化が日本全国に点在して残っている。しかし、それぞれの地域では、まさにその技術の伝承に四苦八苦している現状も否定できない。そんな日本全国の手漉き和紙の技術伝承事例から、本号のテーマであるアナログ技術の伝承法を考えてみたい。


山中和紙に見る血族による技術伝承
飛騨高山で、800年の伝統を誇るのが山中和紙(さんちゅうわし)だ。山中和紙の手漉き工の柏木一枝(81)を厚労省が2017年度の「現代の名工」に選出した。その特徴は豪雪地帯らしく、原料の楮(こうぞ)を冬場の雪晒しによって自然漂泊することにある。


だが寒風の中で行う雪晒し等、冷たい水を使う紙漉きの仕事には厳しいものがあり、後継者は年々減少していった。かつては、農家の冬仕事として河合村に90軒ほどの生産者がいたそうだが、現在では二人のおばあちゃん中心に営む2軒しか残っていない。


原料の栽培から紙漉きまでの伝統的技法を引き継いでいる柏木一枝に、最近、技術継承の担い手が誕生したという話題は、各メディアが取り上げるほどの話題となった。孫にあたる古川中学校の男子生徒が後を継ぐと名乗り出た。


彼が書いた山中和紙を継ぐ決意の文章がWebに公開されている。その作文の中には、伝統を持つ家に生まれたことを誇りに思い、その伝統を活かしての商品開発への意欲が記されている。


現代の需要に合わせた商品作りができれば、形は違っても伝統は引き継がれるとも彼は主張する。和紙の製造だけでなく、その和紙を使ったユニークな商品化を行い、和紙の魅力を引き出していくことが必須だと若き後継者は決意を見せる。


この山中和紙のケースは、血族が技術を伝承していく形、何代目○○というような昔ながらの日本的な技術伝承法である。これまでは、伝承すべき技術は親から子へ、そして、孫へと継承され、モノによっては秘伝の技術やその家にしかない特別な工夫を代々伝えていくという方法である。けして他の家には技術を開放しない。ある意味アナログ技術のスタンダードな伝承方法だ。


しかし、その伝承法が成立するのには、時代に適合する商品開発等、その技術が活かされる新たな経済的な需要が必須であると注文は付く。


「カミノシゴト*」に見る集団発信による技術伝承
文字通り次世代に美濃和紙の真髄である手漉き和紙を継承するために、佐藤眞富をプロデューサーとして美濃和紙ネットワーク21と呼ばれた若手の和紙職人達が2002年から5年間に渡り取り組み、新宿OZONEなどで開催された企画展につけられた名称が「カミノシゴト*」である。


2006年には、新領域デザイン部門においてグッドデザイン賞を受賞しているこの企画展の名称は、現在の岐阜県美濃市相生町において職人達の拠点として2003年にオープンした施設の名称でもある。


その後、2007年頃からは職人たちが自ら運営するアンテナショップに変わっていき、美濃手漉き和紙の職人と共に歩む和紙のお店として現在に至っている。


美濃の手漉き和紙をなんとか残そうとする試みは、その職人を広く全国から求め、美濃に呼び込んで、美濃の住人となってもらい、美濃の技術を継承していく手法をとっている。


地元の職人だけで技術を継ぐのではなく、新しく、興味を持った特に若い世代の職人を現場に取り込んでいくことで、その地「美濃」の美濃和紙の技術を継承していく方法だ。


さらには、デザイナーとのコラボによる商品開発やその職人たちの作品を「カミノシゴト*」という一つのブランドで発信して、個の活動を面の展開にすることで発信力を高め、集団としての美濃和紙の魅力もアピールし、それらの活動が技術を伝承していく下支えとなっている。


手漉き体験の伝承館による技術伝承
手漉き和紙の文化をその地域の文化資源として活用しようとする試みは、全国の至る所で見られる。


観光サイト「じゃらんnet」でも全国の紙漉きランキングTOP10というのがあり、第1位、石川県の加賀伝統工芸村ゆのくにの森、第2位、埼玉県の東秩父村和紙の里、第3位、山梨県のなかとみ和紙の里、第4位、岐阜県の美濃和紙あかりアート館、第5位、同じく岐阜県の美濃和紙の里会館と続く。この美濃和紙の里会館の手漉き和紙体験から、実際に美濃に移り住んだ職人さんを輩出した実績もある。


これらの施設は、プロ専用の伝統技術を伝承するためというよりも、手漉き和紙体験をいわゆるアクティビティの一つとして観光資源化して活用することで、インバウンド等を促進しようという意味合いが強い。


しかし、手漉き和紙作りに実際に触れる機会を提供するという観点では、多くの人々に手漉き和紙製造に興味を持ってもらうことで、最終的には次世代の担い手を見つけることが期待できる。技術の伝承を促進するということで言えばまさに伝承の一つの方法である。


ただし、これらの伝承館は地方自治体が応援しやすいいわゆる箱物であり、その技術伝承の中身についてのソフト面は千差万別であると容易に想像がつく。


手漉き和紙の製造という体験のすそ野を広げることは重要だが、単なるアクティビティの一つとして割り切り過ぎても、本来の和紙の素晴らしさを伝えることに十分ではないことが多い。そのため、子供騙しではない本物の紙漉きを体験できるようなソフト面の充実が望まれる。


プロデューサーの存在による技術伝承
自らを「和紙ソムリエ」「和紙キュレーター」と名乗っている人物がいる。1,500年もの長い歴史を持つ越前和紙の老舗和紙問屋「杉原商店」の10代目にあたる杉原吉直だ。


杉原は、和紙職人ではなく問屋としての視点を駆使し、これまで落ち込み続けていた日本における和紙の需要を、現代のライフスタイルに合わせた商品開発や海外との取引きで底上げし、和紙業界の風雲児となっている。


京都に近い越前の和紙文化は古く、越前は現在でも50軒ほどの工房と300人を超える職人がいる和紙の巨大生産地である。しかし、最盛期であった高度成長期後は、越前和紙が得意としていた襖紙の需要が落ち込み始めると同時に、ライフスタイルの変化が住宅での和室の減少・消滅を引き起こし、和紙全体の需要の落ち込みに苦しんでいる。


また、インターネットの登場によりいわゆる中抜きのビジネスモデルが横行し、杉原が営んでいる問屋という商売の在り方そのものも危機を迎えた。実際に問屋不要論もあったらしい。


そんな中、杉原が地元の和紙職人の協力を得て開発したのが、プリンターで印字やコピーが可能な和紙「羽二重紙(はぶたえし)」や透かし(すかし)技法で可能になる手でちぎって切り離せる「ちぎって名刺」などの新しい和紙の使い方を提案する商品だ。メディアでも話題となった。


さらには、同じ地域の伝統工芸のひとつである越前漆器の漆とのコラボ「漆和紙(うるわし)」を開発し、ランチョンマットやインテリア敷物として商品化。2001年には、「DESIGN WAVE FUKUI」の大賞を受賞した。


これらの新しい商品開発での和紙需要の掘り起こしとともに、外国人デザイナーとのコラボや、建材やインテリア装飾への展開など、杉原は和紙の可能性を貪欲に追及している。


越前和紙の特長は複数の職人の技術を集結させて製造していることにあるといい、「工房はそれぞれに得意分野があり、自分はそれを様々なモノとマッチングさせているだけ。」と杉原は言う。


問屋という立場だからこそ可能なそのプロデュースワークが、「ザ・リッツ・カールトン」の照明への採用や世界的アーティストとのコラボ作品を生んできた。


昔の絶えた古い技術を復興させて、それに新しいネーミングを付け価値を高める手法や優れた職人たちをアーティストのように丁寧に紹介して商品に対するありがたみや興味を喚起する手法など、越前の優れた手漉き和紙の技術伝承を間接話法ながら見事に支えている。


昔からある伝統的な優れた技術を組み合わせて、現代に、世界に、通用する商品を開発していく様は、まさにプロデューサーの様相だ。昔は流通を司るだけの存在だった問屋だが、今ではその役割を変え、技術のプレゼンターとなる必要があるようだ。


本来、問屋とはそのような機能を持つべきものなのかもしれない。杉原は、伝統ある素晴らしい越前の和紙技術の伝承を新しい需要の開拓を通じて行っているとも言える。


そんな杉原の決意がWebに公開されている。「日本で生まれ日本人が育んできた、まさに日本民族の精神的礎である「和紙」の楽しさと素晴しさを、日本国内はもとより、世界中の人びとと共に分かち合うことができるように、杉原商店はこれからも、様々な和紙商品を提案し続けてまいります。」


伝承すべき日本の技術文化
これら和紙を取り巻く様々な技術の伝承事例を見てくると、今後、その地域の努力だけでは手漉き和紙の技術伝承は困難なのではないかと思わされる。


当事者の方々の必死の思いや伝統技術への愛があったとしても、その技術が活かされる場があり、それが十分な経済活動につながっていかない限り、消え去る技術となってしまう公算が高いと言わざるを得ない。


「現代的なライフスタイルに合わせた越前和紙の良さを広めるのは、自分にしかできない仕事」と公言している杉原が全国に大量にいるわけでもない。


アナログ技術の伝承には、その技術を身につける職人たちの経済的な安定や将来への展望なくしては、特に伝統的な技術の伝承は難しい。それは、単に、手漉き和紙だけの事ではなく、大工、左官、陶芸、漆から始まって、人間の手によるあらゆるモノ創りの場で起こっている。


技術は素晴らしいが需要が無い為、その技術を元に作られた商品は売れなくなり、それがひいては技術継承を途絶えさせる。素晴らしい技術を元に作られた商品は博物館に入り、再現するノウハウは職人の高齢化とともに消えていき過去のものとなっていく。


果たして、日本はそれでいいのだろうか。
越前和紙の杉原は言う。「和紙は、今使われるようじゃないとダメで、保存して博物館に入ってしまうようじゃダメだと思うんです。生活の中で使って、ああこれいいなあと感じてもらって、それがたまたま和紙だったんだというのが一番理想ですね。」


そんな理想を実現するためには、従来の商売の手法を大きく変える必要があり、これまでの商習慣や固定観念から脱する必要がある。受け手の一般人の伝統工芸に対する意識とある意味教養を深めることも必要かもしれない。とにかく職人の仕事が成り立たない限り、伝統的なアナログ技術の伝承は無い。


戦略的日本伝統文化活用論
2020年の五輪を来年に迎える今日、日本の素晴らしさを伝えようとするコンテンツとして日本文化が叫ばれ、特に本誌で取り上げているようなアナログ技術の文化は、これまで日本独特の製品を産み出してきて、世界に通用する文化として認められているものも多い。


また、その技術は地方の有力な観光資源として、観光者入込人口を爆発的に増やすための恰好なコンテンツとなりうる可能性も秘めている。


それぞれの自治体でも、伝承館の創設や匠に光を当てることをこれまでもやってきたが、なかなかその効果が顕著に表れていないのが現状である。この議論自体は20年前と何ら変わらない状況で、むしろ優れた技術者の高齢化により、どんどん劣化、縮小化しているのが現実である。


もしそうであるならば、これまでの方法だけでは日本の優れたアナログ技術は死に絶え、同時にそれがかろうじて今なお残っている地方も死に絶えてしまうということに他ならない。


政府が旗を振る新しい技術振興のイノベーションへの取り組みは、グローバル化の波の中で日本独自で進めていくのは非常に厳しいと言わざるを得ない。だとするならば、逆に世界のどこにもない日本のアナログ技術にこそ、国を挙げてそれを保護し、育成し、価値を高め、それを戦略的に海外の市場へと展開することを考えた方がいいのではないだろうか。


戦略的日本伝統文化活用論である。アナログ技術を含めて日本の伝統的文化こそが、今後の世界と日本とを正しく繋ぐ最適なコンテンツであるとの考え方だ。日本が生き残るランチェスター戦略は日本の伝統的文化にこそ因るべきである。そうしなければ、日本が世界に通用するヒト・モノ・コトがどんどん消滅する。


「近江山河抄」という本にこんな言葉がある。「日本人ほど文化文化とわめきながら、文化を大切にしない国民はいない。それは自分自身を大切にしないことに通ずる」白洲正子の言葉である。





吉田  就彦  (よしだ  なりひこ)
デジタルハリウッド大学大学院教授。㈱ヒットコンテンツ研究所代表取締役社長。自ら「チェッカーズ」「だんご3兄弟」などのヒット作りに関わり、ネットベンチャー経営者を経て現職。「ヒット学」を提唱しヒットの研究を行っている。木の文化がこれからの日本の再生には必要との観点から、「一般社団法人木暮人倶楽部」の理事長にも就任。現在は、ASEAN各国にHeroを誕生させる「ワールドミライガープロジェクト」に没頭中。著書に「ヒット学~コンテンツ・ビジネスに学ぶ6つのヒット法則」、共著で「大ヒットの方程式~ソーシャルメディアのクチコミ効果を数式化する」などがある。

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