問われる“おもてなし”と“美食”の真価

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年11月号『見えていなかった大切な一面』に記載された内容です。)


訪日外国人と「おもてなし」
「お・も・て・な・し」。
東京にオリンピックを誘致すべく2013年のIOC総会で行われたプレゼンテーションで、この言葉が象徴的に使われたシーンを記憶している人は多いことだろう。かねてより日本の強みとして日本人が「自負」していたこの言葉は、これを境にメディアなどでさらに頻繁に登場するようになった。

ちなみに2013年は訪日外国人数が初めて1000万人の大台を突破した年であり、本格的な「インバウンド元年」とでも呼べるかもしれない。今から10年前、2009年には679万人だった訪日外国人数はそこから急増し、2018年には3199万人に達した。2019年上期は1663万人とさらにそれを上回るペースである。


そして私たち日本人の多くは、世界中から押し寄せる彼らを満足させるためには「おもてなし」の精神が欠かせないと考えがちである。実際、飲食店ではチップも不要なのに、無料で水が出てきたり、笑顔で接客をしてくれたりする様子を見て、「素晴らしい!」と感じてくれる外国人は多いことだろう。


しかし、日本人が思っているほど彼らがそこに本当の意味でのおもてなし≒ホスピタリティを感じてくれているかは、一度冷静に見つめる必要がある。ここでいうホスピタリティとは、「相手のことを思って、彼らが不便を感じることなく、満足な体験ができるように、細やかな手を打てているか」である。

そこに「本当のおもてなし」はあるか?
例えば、ここに来て急速に日本もキャッシュレス化が叫ばれているが、その先鋒である交通系ICカードやQRコードによる決済が訪日外国人にとって、便利だとは到底思えない。その一方で、外国人からも人気のラーメン店を筆頭に、いまだクレジットカード決済を受け付けていない飲食店も少なくない。


あるいは「本場の日本食」を食べたいと思い、ひとり1万円以上もする食事をしたとする。その会席料理を提供する店は、果たしてどこまで食材や料理の「意味」を伝えられているだろうか。「コース料理を一通り食べた。それなりに美味しかったけれど、何が何だったのか、結局よくわからなかった」。こんな感想を多くの外国人は抱いていないだろうか。同様に、文化遺跡を訪れたとして、その歴史的価値を伝える英語での解説がどこまできちんと存在しているだろうか。


要するに、まずは利便性や機能性をきちんと整えること。さらに、それにとどまらず、文化的なコンテクスト(文脈)を伝えるべく努力をしていること。これらができて、はじめて真の「おもてなし」だと私は考えるのだが、現状を見渡すと決してそれができているとは思えない。タダでお茶を出すことや、お辞儀をすることがおもてなしではないはずなのだ。


ちなみに、最近は電車などの公共交通機関で車掌自らが英語でアナウンスをする機会が増えている。その努力を否定するつもりはないが、とても聞き取れないであろう発音の英語を聞くにつけ、一体誰のためにやっているのだろうかと、何とも言えない気持ちになってしまう。

世界基準での「美食」
「おもてなし」と並んで、日本人が誇らしく思っているものに、日本の「美食」がある。海外での寿司やラーメンの人気ぶり、あるいはミシュランガイドで日本は数多くの「星」を獲得している事実から、日本人が自国の食レベルに自信を持つのももっともだ。実際、世界中の街と見比べて、「東京を筆頭に、日本が一番充実している」という感想を持つ人も多い。


しかし、別の角度でも見てみたい。世界中のレストランジャーナリストの投票でランキングが決まる「ワールドベスト50レストラン」という権威あるコンペティションがある。2019年の投票で、このベスト50に入った日本のレストランはたった2店のみだ(11位に「傳(でん)」、22位に「NARISAWA」がランクインしている)。


もちろん、このランキングが唯一絶対ではないので、これだけで日本のレストランは世界レベルで劣っていると判断するのは早計だ。しかし、意識すべきポイントは、この評価はレストラン業界の「旬」、すなわち「情報発信力」を表していることである。


近年、デンマークをはじめ北欧のレストランがグルメ界を賑わせているが、彼らが注目されるきっかけになったのが、このランキングでの上位入賞である。ここで上位に食い込んだレストランは世界中の脚光を浴び、そのスタイルや提案する価値はグローバルに伝播していく。


柚子、わさび、味噌、和牛など、日本発の魅力的な食材自体は世界中のシェフから注目されているものの、「レストランが世界に発信する価値」という観点においては、日本食は明らかに遅れを取っているのだ。

Cooktechで世界にリードされる日本
こうした時代性はテクノロジーとの関連も大きい。アメリカやヨーロッパでは、この数年「Foodtech(フードテック)」や「Cooktech(クックテック)」と言った言葉がもてはやされ、そこに大きなビジネスチャンスも生まれている。


食事デリバリーや人工肉などFoodtechに含まれる領域は様々だが、個人的に残念に思うのは、最先端調理技術であるCooktechにおいてまったくと言っていいほど日本が存在感を示せていないことだ。


Cooktechとは、すなわち「美食×テクノロジー」に他ならない。この2つは日本にとっては本来得意領域そのものであるはずなのに、それをかけ合わせた世界では完全に後手を踏んでいる。


結果的に、料理に携わる者が最先端のCooktechを知ったり学んだりしたければ、アメリカかヨーロッパに行くしかないのが現状だ。もしも、学術機関と電機メーカーと料理界が早くから連携できていれば、日本がこのポジションで世界をリードできていたのでは…と余計なことを考えてしまう。

「客観評価」と「アップデート」
「おもてなし」と「美食」、両者には共通する点があるように思う。それは私たちがその歴史や伝統ゆえに、価値を過大評価してしまっているのではないかという点だ。もちろん、そこに大きな価値があることは疑うべくもない。しかし、それにあぐらをかいて、大切な一面を見てこなかったのではないか。


私たち日本人が見てこなかったもの、そして避けてきたこととは、「客観評価」と「アップデート」である。内向きな自己満足に陥るのではなく、世界基準に照らし合わせてきちんと自分たちの価値を把握できているだろうか。そして、時代の先端であるべく、その価値をアップデートできているだろうか。


「世界が驚くニッポンの〇〇」、「日本のここがすごい」。この数年、テレビ番組などでも日本の「自己礼賛」が目立つ気がしてならない。「下り坂」などと自虐的に言われる日本の行く末を見たときに、日本の良さを再確認したい気持ちもわからなくはない。けれども、未来に向けて私たちが行うべきは、自認する価値や美徳といったものを、今一度客観的に評価し、より磨きをかけるべくアップデートすることではないだろうか。


まだ間に合うと私は思う。「おもてなし」と「美食」を、日本が心から世界に誇ることのできる大切な資産にしていって欲しい。




子安  大輔  (こやす  だいすけ)
株式会社カゲン  代表取締役
東京大学経済学部卒業後、㈱博報堂入社、マーケティングセクションにて食品、飲料、金融などの戦略立案に従事。 2003 年博報堂を退社し、飲食業界に転身。著作に「『お通し』はなぜ必ず出るのか」(新潮社)など。

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