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企てること、そして幸せの総量を増やすこと。

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2022年1月号『わたし的マーケティング論』に記載された内容です。)


結局「マーケティング」とは何だろう?


 

「マーケティングとは愛」。随分と昔のことだが、村田昭治さんという慶應義塾大学の偉いセンセイのメッセージをたまたま見かけたときに、まったくその意味が理解できなかったのを覚えている。ただし、そのときは自分がまだ中学生だか高校生だったはずなので、それは当然だ。むしろピンと来ていたら、そのほうがよほど怖い。

その後、大学時代には曲がりなりにもマーケティングのゼミに所属した(本誌編集長の片平さんが主宰していたゼミだ。ただし、教科書的なマーケティングを教わった記憶はまったくない)。新卒で入社した広告代理店ではマーケティングプランナーとして仕事をし、そしてかれこれ10年、この『マーケティングホライズン』の編集委員を務めている。経歴だけで言えば、私は「マーケティングの人」という範疇に入るのかもしれない。

けれども、謙遜でも何でもなく、自分自身がマーケティングの本質を理解している気はまったくしない。面と向かって「マーケティングって、一体何ですか?ちゃんと説明してください」と言われたことがないので助かっているが、もしそう問われたら、月の満ち欠けの原理とか荘園制度の由来と同じくらい、上手に説明できないだろう。

 


そこに「存在意義」はあるのだろうか?


 

私は20年近く、飲食業界・外食産業の世界に身を置いている。対外的には、「飲食プロデューサー」や「飲食コンサルタント」と名乗ることが多いのだが、その仕事の中で比率が大きかったのは「新しい飲食店づくり」だった。「だった」と過去形にしているのは、2年に及ぶコロナ禍で、すっかりと言っていいくらい、その需要が蒸発してしまったからだ。

「不要不急」の言葉のもとに、業界全体が存在意義を問われたことで、飲食店を取り巻く環境は大きく変わった。廃業を選んだ経営者や、業界に見切りをつけて他の産業に転職していく従業員も多い。

ただし、私自身について言えば、コロナのだいぶ前から「新しい飲食店づくり」には飽きていたのが正直なところだ。「こんな新店舗ができました!」というニュースを見ても、「ふーん」と斜めに見てしまう傾向が強くなっていた。なぜならば、少なくとも都市部においては「もうこれ以上、新しいお店は要らないのでは?」と、ずっと感じていたからだ。

1970年代に産業化が始まった外食市場はその後、目覚ましい発展を遂げ、私の感覚では2010年くらいまでは、あの手この手で進化・成熟をしてきた。しかし、そこからは飽和の一途を辿るようになり、無理矢理にでも新規性を打ち出すケースが増えていった。海外や地方からの「東京初出店」や、ニッチすぎて裾野の狭い「○○○の専門店」が溢れるようになったのだ。

そして最近では、SNS映えしか狙っていないのでは?と思う店ばかりがオープンしている。それらを見ると、「うーん、長期的に見て、これは誰のためになっているだろう…?」と思ってしまうのだ。

私には「存在意義」を必要以上に意識してしまうクセがある。基本的に、新しいものには存在意義は必要なので、そのクセ自体が悪いとは思わない。けれども、いざ商売という面では「イギは?イギは?」と誰かを問い詰めることが良いとも限らない。

 


「社会課題解決ありき」の落とし穴



最近の若い世代の発言や動きを見ていると、社会に対する意識の高さに驚かされる。自分も現代社会への危機感は強いほうだとは自認しているが、若者たちの真摯な態度や実際に行動に移す力にはとてもかなわない。見ていて、純粋に素晴らしいし、頼もしいと思う。

一方で、少し気になることがある。それは思考や行動の立脚点が「社会課題の解決」に寄り過ぎているのではないだろうかという点だ。言うまでもないが、解決されなければならない社会課題は山積している。そして気候変動をはじめとする地球環境問題は待ったなしだ。未来を生きる世代ほど、それらを何とかしなければと思うのは当然だ。

しかし、立ち上げる事業や新たに起こす行動のすべてにおいて、そうした社会課題解決を入り口に設定することは、私には違和感がある。なぜならば、世の中には「ネガティブをなくして、マイナスをゼロに近づける」というだけではなく、「ポジティブを増やして、ゼロをプラスに持っていく」というアプローチもあるはずだからだ。

例えば、近年話題のクラフトビールを例に考えてみてほしい。新しくクラフトビールの事業を立ち上げるならば、フードロスをはじめ環境負荷の低減、あるいは人間らしい働き方などにフォーカスするのはとても大切なことだ。

けれども、それと同じくらい重要なこととして、「つくり出したビールで、それを飲んだ人を幸せにすること」が語られるべきだと思う。いや、クラフトビールについて言うならば、そうした幸せを生み出すことこそが第一目的として存在して、それを持続的に可能にするために、環境問題や働き方を真剣に検討すべきなのではないだろうか。

その主従関係を逆にして、「社会課題解決のためのクラフトビール」と入り口を設定してしまうと、それは頭でっかちで、バランスがおかしくなってしまうような気がするのだ。これはあくまでも仮定にすぎないが、似たようなケースをよく目にする。

 


「企て」を通して「幸せ」の総量を増やしたい



マーケティングの周辺には、様々な肩書が存在する。「マーケター」はもちろん、「リサーチャー」「アナリスト」「コンサルタント」、最近では「データサイエンティスト」や「テクノロジスト」などなど。

そうした中で、マーケティングに携わる人たちは、「プランナー」という側面をもっと掘り下げていくべきではないかと個人的には思っている。プランナーという単語の響きが軽くはあるのだが、私が大事にしたいのは、自身の思考、そして意志をもって、「新しいことを企てる」というスタンスだ。

ネガを減らして社会課題の解決を図ることももちろん含まれるのだが、どうやったら世の中にポジティブな価値を生み出せるのか、そしてどうやってその価値をしっかりと発信していくのか。広義のマーケティングに携わる人間は、今一度そんな「企て」に向き合うべきではないかと思う。それによって、社会における「幸せ」の総量を増やしていくこと。これこそが大切なのではないかと思っている。

「幸せ」などという、極めてエモーショナルな言葉を使ってしまった。冒頭で触れた「マーケティングは愛」。マーケティングの第一人者といわれる村田先生がその言葉に込めた真意は、私にはわからない。けれども、今ならばほんの少しだけその気持ちを理解できるような気がするのだ。


子安 大輔(こやす だいすけ)
株式会社カゲン 代表取締役
1976年生まれ。東京大学経済学部卒業後、博報堂入社。マーケティングセクションにて食品、飲料、金融などの戦略立案に従事。その後2003年に飲食業界に転身。飲食店や商業施設、ホテルなどのプロデュースやコンサルティングに数多く関わる。著作に「『お通し』はなぜ必ず出るのか」「ラー油とハイボール」(ともに新潮社)など。食について多様な角度で学ぶ社会人スクール「食の未来アカデミア」主宰。

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