図1. 漢字マンダラ
創
“創”という漢字は「倉のイメージ(しまい込む→奥深い→深く入る・突き刺さる→深く切り込みを入れる)+刂(刀)」から「傷」および「素材に切り込みを入れる=始める」と展開され、「①きず、きずつける/②はじめ、はじめる」の意となる。“創”を使った熟語には、創造、創意、創出、創湧、独創、…がある。
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“革”の項で述べたように、「創造」とは新しい物事を創り出すことであり、それをビジネスに結びつけることが「革新」である。“創”だけで“革”は生まれないが、“革”には“創”が不可欠である。では、企業という集団からの視点で考えたとき、どうすれば創造は生まれるのか。いくら優秀な個人を集めても、創造性豊かな集団になるとは限らない。一方、ごく普通の人たちでも、みんなが結束し、協働すれば強い集団になれる。
このことについて、長年にわたって発明・発見、すばらしいアイデア、イノベーションが生まれる過程を実証的に研究してきた米国・ワシントン大学のキース・ソーヤー教授は、著書『凡才の集団は孤高の天才に勝る』1) のなかで、次のように結論づけている。①発明・発見のもととなる閃きは、特別な才能が必要なのではなく、人と人、グールプ間の交流により生まれるものである。②異質なものとの交流が新しい発想を生み出す。③組織内・業界内だけでなく顧客も巻き込んだコラボレーションを継続して発生させる仕組みが必要である。
そして、「私たちがコラボレーションという形で手を結び合えば、人々を通じて創造力が花開く。集団の閃きは、個人の閃きよりもはやく成長し、個人の閃きの累積よりも偉大な成果を生む」と述べている。また、創造性を発揮するチームの7つの特徴として、①時間をかけて創造を生み出す、②他のメンバーの声に耳を傾ける、③生まれたアイデアを積み上げる、④個々のアイデアに新たな意味を付加する、⑤新たな問題を見つけるようにする、⑥効率を追わない、⑦現場を重視する、を挙げている。
発明・発見は、孤高の天才に宿る神秘的な閃きによって生まれるものと思い込んでいたかも知れない。しかし、上に並べた創造性を発揮するチームの7つの特徴は、明日からでも取り掛かることのできる項目ばかりである。だからといって、創造力が一気に手に入るというものではない。それは、創造力を身につけるには、過去にさまざまな閃きを体験し、それを内面化することが必要だからである。さらには、そうした数々の閃きを頭のなかで結び合わせるためには、熟成期間も必要となる。コラボレーションが形成されたチームでも、創造性を発揮するグループに生まれ変わるには、時間がかかるのである。
さらに、ここで重要になるのが、集団に宿るコミュニティ(共同体)精神である。集団の仲間同士が、自分たちの仕事の目標、思いを互いに共有し、それに向かって挑戦する。困ったときには、仲間を思いやり、助け合う。そして仕事がうまくいったら、その成果を抱き合って喜ぶ、…。最近、こうした一体感や連帯感は、かなり希薄になってしまった。「創造」を生み出す組織にするには、こうした温もりのある人と人との間柄を取り戻すことが必要だろう。
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1) キース・ソーヤー著、金子宣子訳『凡才の集団は孤高の天才に勝る―「グループ・ジーニアス」が生み出すものすごいアイデア』(ダイヤモンド社、2009年)
夢 → 創
“夢”という漢字は「萈(眉を太く大きく描いた巫女が座っている形)+夕(夜)」からなり、呪術を行う巫女が操作する霊の作用によって夜の睡眠中にあらわれるものが“夢”とされ、「ゆめ、ゆめみる」の意に用いる。“夢”を使った熟語には、夢想、夢中、夢路、異夢、残夢、…がある。
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人はチームで活動することで互いに刺激し合い、結果として新しい気づきや発見があり、同時に個人としても成長していく。さらに互いの存在を意識し、協調し、力を合わせれば大きな仕事もこなせるのだという実感も湧いてくる。チームワークによって個人が成長すると同時に、チームとしても大きな力を発揮できるようになる。こうした集団になることが、「創造」を生み出す組織といえるのだ。
ここで重要なのが、チームのリーダーが自らの「夢」や「思い」を語り、目標を掲げ、その実現を目指してチームのメンバーを奮い立たせる仕掛け、仕組みをつくることである。目標といっても単なる数値目標では、人の気持ちは燃え上がらない。大きな夢や熱い思い、使命感などが込められた目標を掲げて、その実現を追い求めていく過程で、仕事に対する共感が湧いてくるのである。ここで言う共感とは、自分が他者とともに存在していることを実感する感情である。この共感から、働く人たちの充実感が生まれ、幸福感も湧いてくる。そうすると、個人の潜在能力は顕在化し、集団の中には一体感が生まれ、個人の力が集団の力になり、その集団の力はさらに強くなるのである。
仲間とともに働く幸せとか喜び、苦労して頑張っているけど楽しい、そんな幸せや充実感が集団の中に湧いてこないと、人は号令だけでは動かない。だからこそ、リーダーは皆が共感するような夢や目標を掲げることが、極めて重要なのである。
その意味では、「夢」とは、働く人々の幸せを生み出す「推進力」といえる。幸せな社員は、良いモノや良いサービスをつくる。幸せの度合いを数値で測ることはできないが、社員が幸せかどうかは、その集団がつくり出すモノやサービスを見れば分かる。集団の力の源にあるものは、そこで働く社員の幸せと深くかかわっているのである。繰り返しになるが、創造を生み出す集団には、個人を超えた「集団の力」があり、そして、そこに、その集団で働く人たちの幸せがなければならない。つまり、リーダーの掲げる夢こそが、創造を促す推進力に他ならない。
日本は、豊かで、安全で、清潔で、教育水準も高いにも拘わらず、将来に向けての希望に乏しい。多くの若者たちがそう感じ、何となく閉塞感が漂い続けている。この現状の打開に、政府はイノベーションの推進を叫ぶが、その推進力となる夢を掲げていない。ここが大きな問題である。「夢」を持って、集団の力を発揮し、「創造」を生み出す新しい仕組みが欲しい。
質 → 創
“質”という漢字は「斦(二ふりの斤)+貝(鼎:かなえ/古代の両耳・三足の器物)」からなり、二ふりの斤(おの)で鼎に銘文を刻みつけることから、銘刻して約束すること、銘刻された契約書をいい、「もと。もとになるもの」の意を表す。“質”を使った熟語には、質量、質感、本質、異質、品質、…がある。
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モノが売れなくなったと言われて久しい。消費が低迷する中で何とかして売り上げを伸ばそうとすると、価格を下げてたくさん売ることに意識が働く。そこで、コストを削減し、生産効率を高めていくことが求められる。そうした方策は、過去の成長市場での量を追う発想の延長である。ところが、現代はモノがあふれ、量の観点では飽和状態にあり、量の追求は通用しない。新たな市場を「創出」するには、「質」の観点が必要である。
市場の飽和・成熟という言葉がある。確かに、市場は「量的には飽和」しているが、「質的には成熟」していない。「質」はその高さと多様さにおいてまだまだ限りない可能性を持っている。もちろん、これまでも日本企業は「質の追求」に努力を重ねてきた。但し、この場合の質とは、主に信頼性、高性能、多機能などハード面の質にかかわるものが主であった。しかし、新しい市場を拓くには、「従来の質」を求めるだけでは難しい。これまでとは異なる「新しい質」を生み出し、市場に提供できるかどうか、いま企業はここを問われている。
では、新しい質とは何であろうか。それは、従来の質を越えて人の感性に訴える「質」である。それは「使い易く美しい」「こころが豊かになる」「幸せを感じる」といったソフト面の付加価値であり、満足、幸せ、快適、安心、豊かさなどの感性に訴える「こころの質」である。キーワードは、「技を超えたこころ」である。モノには金銭や性能、機能だけでは推し測れない心にかかわる価値があることを再認識することである。
こうした心の価値とは、人間の基本的な欲求そのものでもある。人々はそれに応える「質」の高いモノを常に求めている。そして、その質を生み出すものこそ、企業それぞれが持っている個性にほかならない。これからは、他社に対抗できるだけの優れた質を持つ企業だけが生存できるのである。言い換えれば、質とは「生き抜く力」なのである。これからは個人も、企業も、そして国もそうだが、「独自の質」を持って、個性のある生き方をしなければならない。
変わり行く社会の中で、新しい市場を「創出」するには、新しい「質」を提供することが必要であり、こうした質は、個性という質により生み出されるのである。
異 → 創
“異”という漢字は「人が鬼の仮面をかぶって両手をあげて立っている」さま。畏ろしい姿をしているので、大きく異様な姿のものをいい、「ことなる、すぐれる、あやしむ」の意を表す。“異”を使った熟語には、異質、異論、異常、特異、変異、…がある。
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仕事の場面でのキーワードの一つに「ダイバーシティ」(多様化、多様性)が挙げられる。日本政府もグローバル化、少子高齢化、イノベーション創出などに対応するために、多様な人材の活躍を目指した「ダイバーシティ経営」の推進に取り組んでいる。この経営は「多様な人材を活かし、その能力が最大限発揮できる機会を提供することで、イノベーションを生み出し、価値創造につなげている経営」と定義される。要するに、集団を構成する一人ひとりの多様性を尊重しながら、同時に個を束ねて集団の力(組織の力)に変えていこうという発想である。
それでは、ダイバーシティとは何であろうか。それは、「異質」なものを繋げて、新しいものを生み出していこうということである。しかし、現実を見ると、企業は「個性を重視する」「異質を歓迎する」と口では言う一方で、出る杭を打つような「同質」化を進めている。そうすることで従来のルールに沿ってコスト競争や効率化を進めることが、企業にとっては有効ということなのであろう。
但し、それでは新しい質、新しい価値は生まれない。同質と同質を組み合わせても、増えるのは量ばかりで、決して質は高まらない。一方、多様化した世界では異質なものが共存するので、異質同士をどう組み合わせていくかが問われる。異質なものを上手につなげなければ、新しい質、価値の創造を実現することはできない。
ここで、異質なものとの接触、交流が生む新しい変化の過程について考えてみたい。従来の製品や技術で成長しようと奮闘している姿を円A、Bと見ると、円の中心から同心円状に面積(=量)を大きくする様子と似ている。ここからは、新しい質は生まれてこない(図2①)。
さて、異なる姿(質)を持つグループA、Bが接触し、交流し、協働するとどうなるか。2つのグループが接近し、重なり合うイメージである。この領域では、それぞれの考えや手法のぶつかり合いが起こり、そこから、新しいモノやサービスが、創発的に生まれてくる可能性がある(図2②)。
さらに両者が接近すると、2つの円は1つの楕円になり2つの中心(焦点)を持つようになる。つまり2つの異なる視点でものごとに取り組むことで、新たな創造の場が生まれてくる。異質と交流する楕円の発想には、新しい質を創出する力が潜んでいる(図2③)。
図2.「異」との接触・交流
すなわち、“創”を生み出すには、“異”との接触、交流、協働が必要である。諺に「朱に交われば赤くなる」とあるが、ここでは「異に交われば強くなる」と言いたいのである。そして、そこから新しい何か(質)が生まれてくる。
また、世阿弥の言葉に「離見の見」がある。「能の演者が自分をはなれ、観客の立場で自分の姿を見ること」を教えている。自己とは異なる他者の立場からものごとを見る、考える、そこに新しいものが生まれてくるのである。
このように、“異”と交わることで、新しい発想や見方が生まれ、これが“創”につながっていく。即ち、“異”を通して“創”を実現するのである。
転 → 創
“転”という漢字の正字は“轉”である。“轉”は「車+專」からなり、專は「叀(糸巻き)+寸(手)」で、糸巻きを手に持ち、糸を巻きつける形から、丸くまわる意となり、ひいては「ころがる、まわる、ひっくり返る」の意味を表す。“転”を使った熟語には、転換、転機、転身、逆転、流転、…がある。
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第3話「換→革」で、発想の「転換」が「革新」につながるという話をした。少し似通った論法となるかも知れないが、ここでは、「逆転」の発想が「創造」につながるという話をしたい。
冒頭の“創”のところで述べたように、創造とは「新しい物事を創り出すこと」である。典型的な例として、ノーベル賞を受賞した発明、発見が挙げられる。これらの研究の多くが「逆転」の発想から生まれたという話はよく知られている。
例えば、2014年に赤﨑、天野、中村の3氏が受賞した青色発光ダイオードの研究がある。青色ダイオードの材料に使われる窒化ガリウムの結晶は取扱いが難しいため、「あれは使えない」というレッテルが貼られていた。しかし、作りにくいが、長持ちするという特性を生かした逆転の発想をして、研究をやり続けた結果、発明につながったという。
また、2018年に本庶氏が受賞した研究は、癌に対して免疫が働くようにする新たな治療の方法を発見したものである。従来の方法は、癌細胞を直接攻撃していた。これに対し免疫細胞に作用し、自分の力で癌と戦うという逆転の発想を確立したという。
さらに、アインシュタインは、空間と時間が絶対的だという固定観念から抜け出し、光の速度こそが絶対で、空間や時間は相対的だと考えた。その逆転の発想から特殊相対性理論を発見したという。
ところで、現在、最も逆転の発想が必要とされているのは、環境の分野と言えるのではないだろうか。SDGsという言葉だけが独り歩きしている感があるが、持続可能な社会を構築していくには、これまでの生態系に対して一方的に環境負荷をかける状況から、負荷を下げるといった逆転の発想が求められている。
一般に「生産」の対語は「消費」とされている。従来の大量生産・大量消費のパラダイムにおいては、消費が一つの終着点であり、この終着点を過ぎたモノは、もはや意味のないモノ、価値のないモノとして扱われていた。“廃棄物”という言い方が、「モノは使って終わり」という発想をよく表している。
生産とは、「自然」から産する資源を原材料として、これに付加価値を加えるプロセスである。そしてできた製品を消費している。この生産→消費という一方通行の発想を「逆転」して、もう一度自然に受け入れられる形で自然に戻すことを考えないといけない。つまり、自然から恩恵を受けたモノを再び自然に還元する、いわば「逆生産」とでも言うべきプロセスである。これからのモノづくりは、現在の自然(資源)→生産→消費→廃棄という流れから、自然(資源)→生産→消費→逆生産→自然という循環する仕組みに改めていく必要があるだろう。
この逆生産に近い考え方で、実際に材料開発が進行している。例えば、短期間で土に戻る生分解性の高いプラスチック樹脂やフィルム、繊維が開発されている。また、植物セルロースを基材とした容器や包装材なども手近にある。これらは農産物(植物)を原材料とし、使用後は土中で分解されて水と二酸化炭素に戻り、そして水と二酸化炭素と太陽のエネルギーで農産物に再生産される。最近では、植物由来のプラスチックをアンモニア水で分解し、肥料となる尿素に変換する研究も行われており、まさに循環型社会の実現に近づこうとしている。
これまで、私たちはよりよい商品を求めて、新商品の開発に懸命になってきた。また製造工程においても生産性の向上やコストの削減などに相当な精力を注いできた。これからは、発想を「逆転」して、生産から逆生産に精力を注ぐべきである。逆生産には多大な時間やコストがかかるだろうが、持続可能な社会を「創造」していくために不可欠なプロセスと認識すべきであろう。
断 → 創
“断”という漢字の正字は“斷”である。“斷”は「織機にかけた糸を二つに断ち切っている形+斤(その糸を断ち切ったおの)」からなり、「たつ、たちきる、きる」の意を表す。“断”を使った熟語には、断然、断続、判断、決断、診断、…がある。
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“断”と“創”の関係は、“捨”と“革”の関係に近い。第3話では、「捨てる」ことが世の中の変化をプラスの方向に変えていく力となり、「革新」を起こす可能性を生み出す。また「捨てる」ことで物事の本質が姿を現し、新しい視界が開けてくるという話をした。
これと同様に、従来の延長にある思考を「断つ」ことで、それまでとは違った観点で世の中をみることができ、それが「創造」の萌芽となる。また断つことは、自らが持つエネルギーを蓄えることでもあり、創造を生み出す力となる。
「断つ」ことと「創る」ことの関係については、植物の生き様から学ぶべきところが大きい。ここでは、筆者が現在、生業としている果樹農業において、思い当たるいくつかの事例を紹介する。
一般に言えることであるが、自然にまかせたままでは、よい作物を創る(作る)ことは難しい。随所に断つ(切る、摘む)ことが求められる。果樹の種類にもよるが、主な断つことの作業としては、剪定、摘心、摘果(摘房、摘粒)などがある。
それぞれの作業は、断つ時期も場所も異なるが、共通する考え方は、根や葉から吸収した養分を樹木全体に行き渡らせ、果実の成育に結び付けるというものである。剪定は前年までに伸びた枝を、摘心はその年に伸びた枝を、摘果は成長前の果実を、それぞれ適宜、断つことで、大きく甘い果実を創る(収穫する)ことを目的としている。
これらの作業は、人間が考え出したものではあるが、植物の生育に対する長年の経験から来る知見そのものである。人も企業も成長しっ放しでは、その先、行き詰まってしまう。断つことでエネルギーを蓄え、次の成長に備え、創造につなげることが大事だということを私たちに教えてくれる。
また、よい果実を恒常的に生み出す樹木を「創る」には、樹木全体をどういう形(樹形)にするかという全体構想が不可欠である。その年その年の気分で剪定していては、何年かするうちに樹形が乱れてしまう。成長が著しい枝ばかり伸ばしてしまうと、そこに養分が偏り、他の枝の実付きが悪くなってしまう。古い太い樹ばかりを残してしまうと、果実の収穫量が減ってしまう。そうしたことを避けるためには、全体構想に基づいて、枝を「断つ」ことで、枝を若返らせる。その結果、よい果実を「創る」ことに結び付くのである。これは企業の経営にも通じるものがある。
果樹農作業から得られた学びを通して、「創る」を生み出すためには「断つ」ことが大切であることを述べたが、その断つことを、いつ、どのような状況において「決断」するかも大変重要である。ちなみに、ものごとを「決断する」という英語は、decide(de+cide)である。deは離す、cideは「切る」を意味する。つまり、決断とはcut off(=切り離す・切り捨てる)と同義でもある。
剪定作業においては、自らの判断基準の下、果実をつけさせたい枝を残し、不要な枝を「断つ」ことを決断していることに他ならない。まず断つ決心ができなければ、創ることもできないということになる。
どの枝を断つべきかを「決断」することは、長年の経験から自ずと身に付いてくるものである。実際のビジネスにおいては、様々な課題に対して、その対応を適切に決断することはそんなに簡単なものではない。しかし、剪定作業と同様に、自分自身の経験にもとづいて、確たる信念を持って事にあたることが大切である。
技 → 創
“技”という漢字は「扌(手)+支(小枝を手で持つ形)」。手先を動かして細工をする手わざを表すことから、たくみ(巧み、匠)な「わざ」の意を表す。“技”を使った熟語には、技術、技能、技量、実技、特技、…がある。
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前述の「転→創」の項で、「創造」の産物である発明、発見が「逆転」の発想から生まれたという話をしたが、同様に、多くの発明、発見には“技”(技術)が大きく貢献している。
例えば、宇宙ニュートリノの観測は、カミオカンデという観測施設がなければ、なし得なかった。この心臓部である大型光電子増倍管は、手吹き職人の手仕事で作り出されたという。そこでは、溶けたガラス生地を竿に巻き取り、回しながら空気を吹き込み、直径50センチもの大きな形状を規格通りに成形するという職人の「匠の技」が必要とされる。現在稼働しているスーパーカミオカンデには、この光電子増倍管が11,200本設置されているという。
また我々の勉強会で見学に行った「へら絞り」で知られる北嶋絞製作所という会社がある。へら絞りとは、「へら」と呼ばれる専用工具を、回転している板状や筒状の金属材料に押し当てて、徐々に塑性変形させる手法である。この加工によって作られる製品は多種多様であるが、中にはJAXAのH2ロケットの部品や電波望遠鏡のパラボラアンテナといったハイテク製品もある。こうした製品に求められる誤差はわずか100分の数ミリで、最先端の工作機械でも難しい精緻な加工を職人の「技」で可能にしている。そこでは、へら絞りの職人が金属板から伝わってくる音と振動を体で覚え、金属と会話をしながら加工することで「匠の技」を実現している。
この「匠の技」は、自動車、パソコンや家電といった量産の工業製品に欠かせない金型(かながた)の製造にも必要とされている。近年は、工作機械やCADなど技術革新が進んだことで、匠の技術の平準化が図られているが、極めて高い精度を求められる製品や形状が複雑な製品になると、まだ機械化の技術が追いついていない。ミクロンレベルの凹凸を指先で感じたり、最適な樹脂の流動構造を導き出したりすることは、熟練した職人の知識、経験および「勘」に頼らざるを得ないのである。
この職人の勘とは、決して天から降ってくるものではない。これまでに経験したことが体の中に蓄積され、この蓄積を通して、何かピンとくるものがあるのだろう。また「こうしたほうがいい」「こんなやり方があるな」とあれこれ考えることによって、同じ経験をより深く、質をより高くしていくのである。
つまり、「匠の技」とは、自ら経験を積み、五感を働かせ、手で触り、頭で考えることで培われるものである。また、匠の技を磨く「手作業」のプロセスの中に「創造」の本質がある、ということを忘れてはならない。「技」という漢字は、「手先を動かして細工をする手わざ」が原義であるように、「手」があってこその技であり、技術であることを再認識すべきであろう。
以上、“変”を起こすには、また“変”に対応、適応するには、そのアプローチとして“創”があること、そして、“創”を実現するのには、“夢”、“質”、“異”、“転”、”断”、“技”という6つの要素があることを述べてきた。
最後に繰り返しになるが、“変”につながる“革”と“創”の違いについて押さえておきたい。“創”(創造)とは、新しい物事やアイデアを創り出すことである。“革”(革新)とは、その物事やアイデアを現実のビジネスに活かし、新しいモノやサービスをつくり出し、既存のものを革(あらた)めていくことである。
次回は、“知”に対する一つのアプローチである“考”、および“考”に繋がる“観”、”望”、“繋”、“論”、“熟”、“問”の6つの要素について話を進めることにする。
連載予定(過去掲載分は、タイトルをクリックしますとページに移ります)
・連載にあたって | 5月 |
・第1話 漢字マンダラ | 5月 |
・第2話 ”変”、“知”、 “理”、“道” | 6月 |
・第3話 “革”(および “価”、”蛻”、…) | 7月 |
・第4話 “創”(および “夢”、“断”、…) | 8月 |
・第5話 “考”(および “観”、”望”、…) | 9月 |
・第6話 “結”(および “包”、”緯”、…) | 10月 |
・第7話 “和”(および “幹”、”芸”、…) | 11月 |
・第8話 “調”(および “静”、”流”、…) | 12月 |
・第9話 “想”(および “真”、”感”、…) | 1月 |
・第10話 “徳”(および “悟”、”軸”、…) | 2月 |
・連載を振り返って | 3月 |
筆者プロフィール
常盤 文克(ときわ・ふみかつ)
元花王会長。現在、常盤塾で学ぶ。大事にしている言葉は「“自然”は我が師、我が友なり」(“自然”に学び、自然と共に生きる)。著書に『知と経営』『モノづくりのこころ』『楕円思考で考える経営の哲学』など多数。
丸山 明久(まるやま・あきひさ)
日産自動車技術企画部在籍時に丸の内ブランドフォーラムに参加、常盤塾に出会う。常盤塾・塾生。現在は、常盤塾での学びを果樹農業経営で実践中。