図1. 漢字マンダラ
調
“調”という漢字は、「言(ことば)+周(ゆきわたる)」からなり、言葉による伝達が行き渡ることから、「ととのう、ととのえる」の意となる。“調”を使った熟語には、調和、調査、調子、協調、格調、…がある。
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第7話で、“理”を構成する漢字として、“和”と“調”を選び、この二つの漢字からなる熟語の「調和」が、万物の本質というべき「理」と深く関係していることを述べた。
この「和」と「調」は、音楽と関係が深い。和音の「和」、長調/短調の「調」である。音楽は、古代ギリシアでは哲学として扱われ、天体の運行が音を発し、宇宙全体が和声を奏でているという発想があった。音階を発見したピタゴラスは、音楽を研究することで宇宙のすべてを解き明かせると考えた。音楽を通じて、万物の理は、調と和に相通じるのである。
余談だが、英語では、和音はコード(chord)、長調/短調はメジャー(major)/マイナー(minor)である。これら表音文字の英語の言葉では、調和を意味するハーモニー(harmony)との関係性は感じられない。しかし、表意文字である漢字では、和音や長調/短調が、「調和」のイメージと結びつくところに、漢字の奥深さを感じる。
さて、「理」と「調」の関係は、日常生活の身近な場面においてもよく見られる。ものごとを「理解」するには、その事柄を「調べる」ことが必要である。但し、この世界を理解するためには、モノそのものではなく、モノの変化を調べることが重要なのである。古代ギリシアの哲学者アナクシマンドロスは、この世界を「時間の順序に従って理解せよ」と呼びかけている。このことを、ホーキングの再来と評される物理学者カルロ・ロヴェッリは、著書『時間は存在しない』(NHK出版)の中で分かりやすく記述している。
「それゆえ私たちはこの世界を、どのような状態であるかではなく、何が起きるかという観点で記述する。ニュートンの力学やマクスウェルの方程式や量子力学などが私たちに教えてくれるのは、モノの状態ではなく出来事の起き方なのだ。生命体がどのように進化して生きていくかを研究することによって、生物学を理解する。自分たちが互いにどのように働きかけ、どう考えるかを調べて、心理学を(決してたくさんではなく、少しだけ)理解する…。そして、どうあるかではなく、どうなってきているのかを見て、この世界を理解する」
第2話の「変」の項で、大自然が私たちに教えてくれている最も大切なことは「変化こそが物事の本質であり、変化は常態である」と述べた。われわれは、物事の変化を「調べる」ことで、その本質を捉え、この世界を「理解」しているのである。
また、本話の「調」という漢字は、音の調べとか調子(リズム)といった意味を持っており、時間の変化と大きく関係している。前述した音楽というのも音の変化であることを考えると、万物の「理」は、ものごとの変化を通じて、「調」とつながっているといえる。
流 → 調
“流”という漢字は、「氵(水)+㐬(ながれ出る)」からなる。“㐬”は頭髪のある子供を上下逆さにした形で、古代には生まれたばかりの子供の無事を祈って水にながす風習があったことから、水が「ながれる」の意となる。“流”を使った熟語には、流行、流用、流儀、合流、主流、…がある。
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人も企業も生き物として捉えることができる。そう考えると、望ましい状態に「調(ととの)える」ためには、身体を、組織を動かしているエネルギーの「流れ」でうまく制御することが肝心である。
漢方に代表される東洋の医学では、人間の身体には「気」と呼ばれるエネルギーが巡っていると考えられている。その通り道が、気の主要な縦の流れである幹線の「経」と、そこから横に広がる枝線の「絡」からなる経絡である。経絡の上にはツボがあり、指圧や鍼灸では、そのツボを押したり鍼や灸で刺激することで気の「流れ」を活性化させ、身体を「調え」、病気を治すことができる。例えば、臓腑に病があるとき、その患部を直接治そうとするのではなく、患部から離れた場所(手や足)にある臓腑の経絡のツボを押すことで治すのである。
人体の経絡と同じような構造は、実は企業の組織にも当てはまる。企業とは単に多数の人間が集まった集団ではなく、個々人が有機的に結合した、一つの生きているシステムなのである。そう考えれば、気と経絡を重視する東洋医学の発想や、病気の対処法などが、企業にも適用できると考えられる。企業という組織にも、エネルギーの通り道、知や情報の伝達経路があるのである。
それでは、企業における経絡やツボとは、何を指すのだろうか。患部から離れたところにあるツボを刺激して病気を治すのと同じように、企業の組織でも、現場から離れた別の職場にいる人が有用な情報を知っていたり、問題のカギを握っていたりすることがある。ある現場でどうも仕事がうまくいかないとか、トラブルが多いとかいう場合に、原因が実はその現場にあるのではなく、現場から離れた別の人や場所にあるかもしれない。また「この人に頼むとうまくいく」といったこともツボなのである。
このように、生きた情報や「知」というエネルギーの「流れ」を知り、そこにあるツボを見つけ出して「押す」ことが、問題を解決に導く早道なのである。組織の現場で起きている問題を現場だけで解決しようとしても、効果があがらないことがある。“上”の人同志で話して貰ったら、一発で問題が解決したなどいう経験を、皆さんもお持ちではないだろうか。
組織の構造を、単に組織図や業務区分のような表層で見ているだけでは、できることが限られ、夢のある大きな仕事はできない。組織図とは、西洋医学で言えば、死んだ人の解剖図のようなものである。経絡は体のエネルギーの流れ、即ち、生きている身体にしかないものだ。だから、解剖図をいくら細かく見ていっても見つからないし、生きたエネルギーの脈動を知ることもできない。
つまり、エネルギーがうまく流れ、調った組織をつくるためには、組織図がいくら上手に描かれていてもだめなのである。安易に組織を分割したり、別の組織とつぎ合わせたりしてみても、そこにエネルギーの流れがなければ、かえって混乱を起こすだけである。
そのためには、知や情報の、そしてエネルギーの経絡とツボを知ることが大切である。組織の現場で起きている事象だけに目を向けるのではなく、全体を俯厳してその組織に経絡があるかどうか、ツボはどこかを認識する必要がある。これは、組織論や経営論をいくら語っても難しいものである。組織を動かしていく上では、こうした視点を持つことが求められる。
順 → 調
“順”という漢字は、「川+頁(ひざまずいた人の頭部を強調した姿)」からなり、水ぎわで親を祭る儀礼があり、神意にしたがうことから、「したがう、すなお」の意を表す。“順”を使った熟語には、順応、順調、順序、温順、従順、…がある。
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“順”の原義である「したがう、すなお」を意味する言葉として、順応、従順がある。東洋には、「梵我一如」や「天人合一」といった人間と自然とは一体であると考える自然観があり、そこには、自然という「調和」のある世界に対して「順(したが)う」精神がある。
例えば、第7話「美」の項で紹介した柳宗悦は、「自然だとか伝統だとか理法だとか呼ぶものは、すべて他力(たりき)であり、かかることへの“従順”さこそが、かえって美を生む大きな要因となる」と、実用的な品物に見られる美しさは、自然に順うことから生まれてくるものだと論じている。
また中国では明の時代に、自然の力(天工)を利用してつくる人工のモノ(開物)を意味する『天工開物』という産業技術の百科全書が書かれている。中国には古代から「モノづくりには自然力が根本にあり、それに “順応”しながらモノをつくるところに人間の技術が存在する」という技術観があった。地球資源や環境問題などの面から「自然との調和」が叫ばれている現在、自然の力に順応したモノづくりが再評価されている。
また、順には、「ことの次第、道すじ」という意味で使う順序、順番がある。「順序」関係は、「調子」(リズム)を生み出す。このことは、音楽を考えればわかりやすい。音符をどういう順序で並べるかで、全く違ったリズムが生み出される。日常生活においても、「日の出とともに目覚め、日の下で働き、日が沈めば休息する」といった、古来、自然界に生きる人間としての生活順序があった。これに反した生活を続けると、生体リズムが乱れ、不調を引き起こしてしまう。
ここで、ものごとの「順序」を間違えてはいけないという事例をいくつか挙げてみる。「鶏が先か、卵が先か」という因果性のジレンマをあらわす言葉がある。原因と結果が互いに循環しているため、立場や考え方によって結論が変わってくる。しかし、どちらを先にするかにより、好循環にもなるし、悪循環に陥ることにもなりかねない。
例えば、「業績がよくなれば、社員を大切にする経営したい」と考える中小企業の経営者は多いようだ。社員を大事にしたいという思いはあるが、業績を上げることに先に目が向いてしまうのであろう。しかし、これは順番が逆の典型的な事例なのではないか。新規事業に取り組んだり、会社を発展させたりするのは、すべて、社員のやる気、モチベーションである。社員が会社に大切にされているという実感を持つことで、経営者と社員が一丸となって目標に取り組み、業績の向上につながるのである。
また、企業はCSR(企業の社会的責任)の推進に積極的に取り組んでいるが、その際、「ビジネスで成果を上げるために、社会的責任を果たす」という姿勢の企業もあるのではないか。これも順番が逆で、「社会的責任をきちんと果たしていれば、巡り巡って、ビジネスが栄える」と考えるべきである。目立たなくても誠実に仕事をするというのがCSRの姿勢だろう。一人ひとりの従業員が、単に会社の決めたルールに従うのではなく、自らの行動の基本にCSRを置いて日々の仕事に取り組む企業は、おのずとビジネスもうまくいくのである。
統 → 調
“統”という漢字は、「糸(いと)+充(みちる)」からなり、糸が一か所に集まっていることから、糸を通じて全体をコントロールする意となり、「すべる、あつめまとめる、まとまる」の意味に用いる。“統”を使った熟語には、統括、統率、統合、系統、伝統、…がある。
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前話までに、全体を一つの有機的なシステムと捉える「統体」という言葉を何度となく使ってきた。そこで、ここでは統体について少し詳しく触れることにする。
ホーリズム(Holism=全体論)という言葉がある。ギリシア語の全体を意味するホロス(holos=全体)に由来する。形容詞形のホリスティック(holistic)の方が聞き馴染みがあるかも知れない。ホーリズムは、「部分を積み重ねても全体にはならない、全体はひとつの有機的な繋がりであり、むしろ全体があって、はじめて部分が特定される」という考え方である。この「部分が有機的に統合された全体(またはシステム)」が「統体」であり、それを構成する部分の総和よりも存在価値があるとされる。古くはアリストテレスの「全体とは部分の総和以上の何かである」という表現に代表される、要素還元主義に対立する思考である。
この統体のシステムは、オーケストラのつくり出すハーモニー(調和)にも喩えられる。オーケストラは、弦楽器、管楽器、打楽器さまざまな楽器から成り、それぞれの弾き手は素晴らしい音を奏でる。しかしいくらそれぞれが優れていても、集団としてひとつのハーモニーをつくり出さなければ単なる音の集合でしかない。人の心に触れ、感動させるものは、その素晴らしいハーモニーである。では、ハーモニーとは何か。それはそれぞれの楽器の弾き手がつくり出す音がよく「調和」して、ひとつの音になったものである。
さらに、統体の考え方としては、演奏者に聴衆を加えた演奏会全体と捉えることもできる。ある女性バイオリニストの話である。「演奏会の最初の一音は、ともかく集中力を高め、自ら“気”を一点に集めて絞り出す。そして、いったん演奏が始まると、今度は聴衆の“熱気”のようなものが、曲を前へ前へとグイグイ引っ張っていってくれる」という。自らのなかで高められた気が、弓の一振りとともに解き放たれ、それが聴衆の気を誘発し、今度はその気が演奏者である彼女の気を触発する。そして、演奏者の気と会場の気が一つになったときに、最高の演奏会となるのであろう。
このことは、演奏会を単に奏者と聴衆という分け方で見る要素還元的な方法論では説明がつかない。「気」といった要素に還元できない「何か」まで含めた全体が統体であり、素晴らしい演奏会という統体には、気を介した演奏のハーモニー(調和)が生まれているのである。
これをモノやサービスづくりで考えてみると、作り手と使い手(売り手と買い手)は、互いに刺激し、依存し合う一つの統体と捉えることができる。すなわち、作り手と使い手は一体不可分であり、互いに喜び合う、しかも、その喜びは循環するという考え方である。
最後に、ある鞄(バッグ)メーカーの社長の言葉を紹介する。「鞄は単なる物入れではありません。そこには作り手の、お客さんに喜んで使ってほしいという熱い思いが込められているのです。しかし、いくら精魂込めて作り上げた鞄でも、その完成度は70パーセントにすぎません。お客さんに喜んで使っていただいて、初めて100パーセントの鞄になるのです」
作り手と使い手が一つになり、初めて本物の鞄になるという話である。作り手の思いや感情がモノを介して、使い手に伝わる。モノの売り買いは、単なるモノとカネの交換ではなく、心の交換でもある。
動 → 調
“動”という漢字は、「重(おもみがかかる)+力(農具のスキ)」からなり、農耕に従事することから、「うごく、うごかす、ふるまう」という意味となる。“動”を使った熟語には、動揺、動作、変動、行動、感動、…がある。
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これまで、“流”、“順”、“統”と“調”との関係を話してきたが、流、順、統は、“動”との関連が深い。流は、水に「動き」が生まれて初めて「流れ」になる。順は、音符に並べる順番があっても「動き」がないとリズム(律動・調子)にならない。そして、統であるが、有機的に統合された統体は「動」を前提とした概念と言える。部分の総和である機械と違って、統体は動き続けることで調和を維持している。
生命、自然、環境はすべて「動的な平衡」状態にあると論じるのは、生物学者の福岡伸一さんである。動的平衡とは、彼が提唱する概念で、著書『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』(木楽舎)の中で「生命とは動的平衡にある流れである」と表現している。彼は「生命現象を、よくメカニズムという言葉で説明しようとするが、実はそこにあるのはメカニズムではない。あるのは機械論的な因果関係ではなく、もっと動的なものである。そこでは、非常に多くの要素が絶え間なく動き、連携し、変化しながら、互いに律し合い、全体として均衡をとり、恒常性を維持している。このような動きながらバランスをとるという仕組みが動的平衡なのである」と述べている。このように、生命の「調和」は「動」により保たれているのである。
さらに、彼は「生命というシステムは、可変的でサスティナブル(持続可能)であるが、サスティナブルなものは常に動いている。その動きは“流れ”、もしくは(自然)環境との大循環の輸の中にある。動きながら常に分解と再生を繰り返し、自分を作り替えことで、環境の変化に適応できる。サスティナブルなものは、一見、不変のように見えて、実は常に動きながら平衡を保ち、かつ僅かながら変化し続けている」と言う。
生命体は「わざと緩く作って、部分的に壊しながら作り替えていく」という戦略で、38億年もの長きにわたって秩序を維持し続けてきた。動きを止めず、小さな新陳代謝を重ねながらバランスを保つ。存続のために、壊しては作り変えるこの戦略は、最初から全体を頑丈に作るよりはるかに有効なのである。
これは人間社会の営みにおいても言えることである。ギリシアやローマ時代の大理石やコンクリートで作られた、頑丈に見える古代遺跡も放っておけば風化してしまう。一方、世界最古といわれる木造建築の法隆寺は、少しずつだが、絶え間なく部分更新を続けることで、当時の姿を保っている。
長寿企業というのは、ある哲学や理念を持った組織であり続けているが、中の社員は40~50年も経てば、全て入れ替わっているという姿も同じである。但し、企業の場合、環境の変化に適応するためには、人だけでなく、さらに戦略や日々の行動も「能動」的に変革していくことが、組織の維持には求められる。
企業を一つの生命体と見れば、自らを壊し、新たに再生する、それにより生命の「調和」を図ることは必然である。世の中の変化を乗り越えるためには、不要な部分を壊し、必要な「行動」を起こしていくという「能動」的な姿勢が求められる。
静 → 調
“静”の旧字は“靜”。「青(あおくすみきる)+爭(あらそう)+」からなり、争いが清められて、「しずか」の意に用いる。 “静”を使った熟語には、静止、静寂、静観、動静、平静、…がある。
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禅の言葉に、「水急不流月(みずきゅうにして つきをながさず)」がある。川の流れがどんなに急でも、その水面に映る月が流されることはない。時代や環境、感情の変化などは、常に流れ続ける川のようなものだが、真実は変わらずそこに「静か」に存在する。月を自分の心ととらえると、周りの常識や動向に、私の心が流されることがなく、急流に映る月のように、静かに心を「調える」ことの大切さを教えている。
ビジネス社会で働く人たちは、毎日何かと忙しく飛び回り、様々な情報を取り込み、そして、その処理に追われている。会社だけでなく、自宅に帰ってもパソコンの前に座り、インターネット上で情報を追い求めているかもしれない。インターネットの普及で、ビジネスの情報量は飛躍的に増えた。最近は、あらゆる産業でDX(デジタル・トランスフォーメーション)の推進が叫ばれているが、ビジネスが本質的に変わったのだろうか。
また、書店のビジネス書コーナーに行けば、ハウツー本が多く並んでいる。それだけ需要が多いとうことなのだろう。でも、それを読めば読むほど、他人の真似をしようとして、自分の頭で物事を考えなくなる。見かけ上、新しいもの、動くものに目を奪われ、雑音のような情報に耳をとられている限り、自分の頭は思考停止しているのである。
自分で物事を考えるためには、忙しい仕事(=動)の中に「間」(=静)を取ることが必要である。良い結果を出したいと思うなら、時には立ち止まって物事を深く考えることが必要だ。企業活動とは、創造活動である。前方に何があるかも考えず、ただやみくもに先へ先へと急ぐことが重要なのではない。毎日を「忙しい、忙しい」と言いながら過ごしている人は、仕事を通して自分は本当に新しい価値を創造しているかどうかを、時々どこかで立ち止まって考えないといけない。
「尺蠖(せきかく)の屈するはもって伸びんことを求むるなり」という言葉がある。尺蠖(尺取り虫)が身を縮めているのは、ただ縮こまっているのではなく、もっと先へ伸びるための準備だというのである。また、「龍蛇の蟄(かく)るるはもって身を存せんとなり」という言葉もある。龍蛇とは龍のことであり、蟄るるとは隠れているという意味である。龍が岩陰や土の中にいるのは、ただ隠れているのではなく、より高く天に向かって飛び立つためにエネルギーを蓄えているのである。
どちらも、前進する(=動)ばかりではなく、時にひと休みすること(=静)の重要性を説いている。大事なのは、一度、立ち止まって、来し方、行く末に想いをやる、また物事を根本から考え直してみることである。新しい出発のために従来の思考回路を変えることが大切だと教えている。
いつも一直線に進むだけではなく、折々に一息入れてエネルギーを蓄えることをしなくてはいけない。「間」を取らないと、物事の隠れた本質、奥にある真実が見えてこない。間とは新しい仕事を拓く句読点なのである。音楽では、間がリズム(律動・調子)として組み込まれている。一瞬の沈黙があることで次の音が強く生きてくる。間は、いわば「動」を生む「静」であり、間をとり、心を「調えて」やることを忘れてはならない。
対 → 調
“対”の旧字は“對”。「丵(土木工事用の道具)+寸(手)」からなり、二人が向かい合って土をつきかためる形をかたどる。ひいては「向かい合った一組」の意を表す。“対”を使った熟語には、対面、対称、対策、絶対、相対、…がある。
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前項までに静と動の話を続けたが、静と動は「対」となる言葉である。東洋の陰陽思想は、あらゆる事象は陰と陽の組み合わせで成り立っており、物事は孤立して存在することなく常に「対」になっているという発想である。そもそも物事は、片方だけでは存在し得ない。片方の対極に他方があって、はじめて成立するのである。このように、片方と他方の二つの項が一見して対立しながらも、両者が一つになって意味を持ち、「調和」のとれた価値を生む、といった状態を「対立的統一」と呼んでいる。
例えば、自然界であれば、天と地、昼と夜、人間界であれば、男と女、親と子といった「対」の関係がそうである。いずれも片方だけでは成り立たず、変化も生まれない。ただし、対だからといって、常に対立するのではなく、調和の取れた対立的統一の状態を保ったり、保とうとする。両者は対立しながらも一つなのである。
第7話「美」の項で紹介した水墨画の世界がわかりやすい。水墨画は墨の黒一色で描いているように見えるが、実際は紙の白地がなければ成り立たない。水墨画ならではの力強い筆遣い、白黒の濃淡、微妙なぼかしなどで描かれる世界は、墨と紙の両方の色があってこそ生まれる。白と黒の二つの色が対立して存在しながらも、両者がうまく調和することで、ものの美しさが表現できるのである。
また、「対」となる言葉として「ケ(褻)」と「ハレ(晴)」という日本人の伝統的な生活感覚がある。ケとは、普段とか日常の生活を指す言葉だが、これに対してハレとは、正月やお盆、お祭りのような改まった特別な日を指す。ケとハレがあることの意味は、生活の処々に「あそび」や緊張感をつくり、単調になりがちな日々の暮らしの中にメリハリ、つまり「調子」をつけようとするものである。昔の日本人はケの中にハレを置くことで時の流れに強弱をつけ、生活にリズム(調子)をつけ、祭事で仲間との連帯感を確認し、村という共同体が疲弊しないように活力を与えてきたわけである。
これは企業も同じことである。身体に元気があり、生活に強弱があり、リズムがなければ良い仕事はできない。いつも張り詰めて疲れている社員の気持ちをほぐしてやることが、企業にとって大事である。この配慮がないまま、ただ働け、働け、頑張れでは、ストレスがたまり社員も組織も疲弊してしまう。
今はコロナで交流が抑制されているが、一時は消えかけていた社員旅行やスポーツ大会、BBQ会といった社内イベント復活の兆しが見られてきた。これは、組織の中にハレを取り戻そうという動きのあらわれだと思う。ハレという非日常を通じて組織に強弱、節目を付ける。静と動、緊張と緩和といったリズムが生まれることで、組織が活性化され、良い仕事ができるのである。
良い仕事をする、したいのは誰も同じだ。それには残業の繰り返しで仕事を片付けるという近道を選ぶのではなく、少し遠回りして道草するくらいでもいいのだろう。自分たちの働き方は、自分たちでつくり出していかねばならない。ケとハレという「対」となる生活でリズムをつくり、身体や精神を「調えて」やることで、物事を深く考え、価値を創る意欲が湧いてくる。この積み重ねこそが会社を変え、成長、発展させる原動力になるはずである。
連載予定(過去掲載分は、タイトルをクリックしますとページに移ります)
・連載にあたって | 5月 |
・第1話 漢字マンダラ | 5月 |
・第2話 ”変”、“知”、 “理”、“道” | 6月 |
・第3話 “革”(および “価”、”蛻”、…) | 7月 |
・第4話 “創”(および “夢”、“断”、…) | 8月 |
・第5話 “考”(および “観”、”望”、…) | 9月 |
・第6話 “結”(および “包”、”緯”、…) | 10月 |
・第7話 “和”(および “幹”、”芸”、…) | 11月 |
・第8話 “調”(および “静”、”流”、…) | 12月 |
・第9話 “想”(および “真”、”感”、…) | 1月 |
・第10話 “徳”(および “悟”、”軸”、…) | 2月 |
・連載を振り返って | 3月 |
筆者プロフィール
常盤 文克(ときわ・ふみかつ)
元花王会長。現在、常盤塾で学ぶ。大事にしている言葉は「“自然”は我が師、我が友なり」(“自然”に学び、自然と共に生きる)。著書に『知と経営』『モノづくりのこころ』『楕円思考で考える経営の哲学』など多数。
丸山 明久(まるやま・あきひさ)
日産自動車技術企画部在籍時に丸の内ブランドフォーラムに参加、常盤塾に出会う。常盤塾・塾生。現在は、常盤塾での学びを果樹農業経営で実践中。