マーケティングホライズン2023年4号

ソニー流 起業家的マーケティング

起業という言葉は起業家のためだけのものではない

─── ここ数年コロナ禍や戦争など、世界全体の経済に大きな影を落とす事態がありました。これらからの回復に向けて、マーケティングのめざすべき方向性としてフィリップ・コトラー教授からも提案されているのが、「起業家的マーケティング(Entrepreneurial Marketing)」です。

ここでの「起業家的」はベンチャーを指すのではなく、企業の規模にかかわらずマーケティングの姿勢を示すもので、めざすべき指針とも言えるかと思います。

長年に渡り、ソニーで活躍された蓑宮さんに、ソニーにおける起業家的マーケティングはどのようなものかお話を伺いたいと思います。

蓑宮 起業という言葉は、起業家のためだけにあるものではないと思っています。事業を創り出すということは、組織の中でもできる。いやそれどころか、新しいビジネスを生み出さなければならない組織人にこそ必要とされるアクションです。

我々が一般的に起業と言うと、ベンチャー企業の社長のように自分で新しい会社を立ち上げる場合が多いです。起業という言葉自体は新しく事業を始めることですので、会社をつくったかどうかは関係ありません。ソニーでは社員一人ひとりが会社員として会社に所属しつつ、新しく事業を始めるマインドがあります。そして、それをさらに特化した人を「社内起業家」と呼んでいます。社内で起業するメリットは、所属している会社の支援を受けながら事業を育てられるところです。

ソニーでは、まだ社内で手がけていない新しい事業を考えて、会社に提案できる「SAP(シード・アクセラレーション・プログラム)」という制度があります。提案が認められるとプロジェクトが発足し、プロジェクトリーダーとして全体の進行と管理を任されます。会社員でありつつも、事業全体に責任を負うことになるので、経営者としての視点が求められます。

─── そのような経営者視点マインドの共有は以前からされていたのでしょうか。

蓑宮 そうですね。かなり遡った古い話で恐縮ですが、私がソニーに入社した頃は、ちょうど日本が高度経済成長を迎える頃で、当時のソニーはまだ規模も小さく、まさに発展途上の会社でした。しかし、その小さな会社の中には想像もできないような大きな夢がたくさん詰まっていました。他の会社から見ればまさに夢物語を語っているように見えたことと思いますが、その夢の実現を本気で信じることが成長の原動力だったわけです。

「起業とは夢から始まる」。これが創業者の井深大さんと盛田昭夫さんの信念でした。そこから始まったソニーのDNA。そのDNAが現在にまで受け継がれているのです。

企業が存続していく上でもっとも大切なことは、創業者の信念や理念をきちんと受け継いでいくことです。なぜならば、いずれ経営者は去っていくものですが、たとえ創業者がいなくなったとしても彼らが残してくれたDNAさえしっかり社内に染みついていれば、その企業は生き残っていけると私は信じています。

─── 起業マインドの根底には経営者との夢の共有があるということですね。また、そこではどのような人物が期待されているのでしょうか。

蓑宮 井深さんや盛田さんは、期待される人物像とは「勇気と好奇心の資質を原動力として新国家を成し遂げた坂本龍馬のようなソニーマン、ソニーウーマンだよ」と語っていました。かねてより熱烈な龍馬ファンである私は、そのときに、その後の人生を決めるわが意を得たりと思うと同時に、ビジネスの世界だけではなく生きざまとしても明確な羅針盤を持つことができたと思います。

悩んだときや困難な場に立ったとき、私はいつも自問自答してきました。龍馬は志の高い人、ブレない人、行動の人、仲間を大切にする人、そしてわが人生の師だ。高い志とは気の帥なり。では、龍馬が生きていたらどうしただろうか、と。

ビジネスのスピードは凄まじいばかりに速くなっています。ITの発達によってスピード化はさらに進むでしょう。そのビジネスのスピードに私たちの「思い」や「心」が置き去りにされていないか。「心」や「志」のないビジネスになっていないか。私たちは今一度、立ち止まって考える必要があるのではないかと思います。

これまでの人生で、私はたくさんのことをソニーでの仕事を通して学んできました。出会った上司・先輩・友人との会話や教えの中で印象深い言葉はたくさんあります。人生で大切なことはすべてソニーから学んだと言っても過言でありません。もちろん、あらゆる職場や社会にも学ぶべきことはたくさんあります。真正面から真剣に仕事・人と向き合うことでどこからでも学ぶべき大切なものは見つかることでしょう。

起業とは夢から始まる

─── 起業マインドの根底に夢があることを先ほどお話いただきましたが、蓑宮さんご自身はどのように思っていましたか。

蓑宮 「国家や文明は戦争や天災によって滅びることはなく、滅びるのはそうした挑戦への応戦力の喪失の結果である」。これは歴史学者のアーノルド・トインビーの有名な言葉です。この言葉は企業においても当てはまります。昔から「企業の寿命30年説」というものがあります。企業の平均寿命を示した調査はいろいろありますので一概には言えませんが、創業から30年以上続く企業は半分以下、統計によっては1割にも満たないそうです。もちろん50年、100年と繁栄を続けている企業もありますが、やはりそうした企業には、創業者の経営理念や思いをしっかりと受け継ぐ人間がいるのでしょう。企業の創業者たちは皆尋常でないほどの情熱を持っているのです。そしてそこにはやはり「夢」があるのです。

その夢を創業者が延々と実現させ続けることはできません。創業者の夢をしっかりと受け継ぐ後継者の存在がなければ、やがてその夢は潰えてしまいます。夢を失った企業では働く喜びも充実感も生まれません。ただ漫然と仕事をするだけの日々。そんな負のエネルギーが積もり積もって企業としての存在価値が失われていくのです。

ですので、起業とは夢から始まるというのは非常に理にかなっていると思います。ソニーもまたそうでした。井深大というイノベーターと盛田昭夫という経営のプロフェッショナル。この2人の夢によってソニーという会社はスタートしました。そして2人の大いなる情熱によって、会社はどんどん発展していき、社会から存在価値を認められるようになったわけです。

戦後の創業でありながら、いわゆる一流企業の仲間入りを果たすのですが、実はそこに大きな落とし穴があったのです。一流企業になったソニーには、入社希望者が殺到します。ソニーで何がしたいというわけでなく、ソニーという一流会社の社員になりたい。ソニーに入れば一生安泰に暮らせるだろう。つまり寄らば大樹の陰です。

こうした新入社員の存在こそが、企業の衰退の原因となっていくのです。組織の官僚化が進み、チャレンジ精神を失い、守りの姿勢になっていく。これがアーノルド・トインビーの言うところの「挑戦への応戦力の喪失」ということでしょう。

さらに日本社会が抱える問題点があります。それは起業家に対する尊敬度の低さです。夢を抱いて会社を興したい。これまでにないような会社をつくりたい。そんな夢を抱く若者たちに向ける視線があまりにも冷たいと思います。

「そんなの無理に決まっている」「夢を見てないで足元を見ろ」「起業して失敗したらどうする」こうした声に若者の夢が潰される社会。これが日本の現状なのです。

─── なるほど。確かに日本では起業家に対する敬意は欧米などに比べると低いといえますね。

蓑宮 フロンティアスピリッツを重要視し、アメリカンドリームを国民が共有しているアメリカにおいては、90%の人がベンチャーを評価しています。若者たちが夢を持ってチャレンジする。それを大人たちがしっかり応援する。たとえ失敗したとしても、次にまた挑戦すればいいと言葉をかけてくれます。

実際にアメリカで中途採用の面接を受けると、このような質問をされることがあるといいます。
「君はこれまで何回くらい失敗してきましたか?」。日本であれば、「大きな失敗の経験はありません」という答えをするかもしれません。ところがアメリカでは「私はこれまで3回失敗してきました」という答えのほうが評価されるのです。失敗したことは悪いことではない。多くの失敗から学ぶべきことはたくさんあります。アメリカで評価されないのは同じような失敗を何度も繰り返すこと。新しい失敗はどんどん積み重ねていけばいいのです。

実は、こうした考え方を井深さんと盛田さんは共有していました。ソニーの設立趣意書にはこう書かれています。「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」。これがソニーの原点であり、ソニーという会社の本質なのです。

自由闊達にして愉快なる理想工場

─── 「自由闊達ニシテ愉快ナル理想工場」、これにはどのような意味がこめられているのでしょうか。

蓑宮 失敗を恐れることなく、自分がつくりたいと心から思っている商品をつくる。「知好楽」という言葉がソニーにはあります。仕事をしていくためには、まずは仕事の知識を蓄えなければなりません。その知識が増えていけば、その仕事が好きになっていきます。自信も持てるようになってくる。仕事が好きになってきたら、自然と仕事をすることが楽しくなってくる。知って好きになって楽しくなってくる。これこそが仕事の本質なのだと井深さんと盛田さんは考えていました。

仕事が楽しくなれば、自然と仕事に対するモチベーションは高くなります。仕事が大好きという社員が増えれば、社内はプラス思考のモチベーションで溢れてくる。社内で新しいチャレンジがどんどん生まれて、いわば社内ベンチャーの芽が出てくるのです。新しい芽は新しいビジネスチャンスにつながります。常に会社の中で血液の循環が行われている。こうした環境ならば、30年で会社の寿命が尽きることはないのです。

─── なかなか難しい点ですね。コロナ禍のような天災などの外部環境や社会環境も会社の命運を左右する時代になっています。それこそ「命か経済か」など答えのない選択を迫られることもあるかと思います。

蓑宮 おっしゃる通り、もっとも難しいのが、答えの存在しない問題でしょう。命か経済かという問題はまさにこれにあたります。ますます世界がグローバル化し、それによって複雑化することによって、「答えの存在しない問題」はどんどん増えていくと私は思っています。では、どうすれば「答えなき問い」を解決できるのか。どのようにして解決の糸口を見出していくのか。それは教育しかないと考えています。

─── 教育ですか。

蓑宮 そう、教育。ただし、これまでのような経済学、経営学、政治学、法学、医学、理工学等の縦割りの教育ではこの複雑な問題は解決できませんよ。もっとより広い視野を養い、社会で起きていることを俯瞰してみる眼を養うことが大事なのです。そこで大切になってくるのが「リベラルアーツ」という学問です。直訳すれば「教養教育」となりますが、要は人文科学、社会科学、自然科学といった幅広い分野を横断的・総合的に学んでいくものです。これまでのように文系や理系という垣根をつくることなく、あらゆる学問が絡み合うような教育をしていかなくてはなりません。それによって広い視野と俯瞰して物ごとを見る力を養うことができると私は考えています。

最近注目される「リベラルアーツ」ですが、実はダイバーシティ、多様性の概念とリンクしているのです。学問の世界だけでなく、すべての場面において多様性を活かしていくこと。排斥ではなく受容を前提に物ごとを考えていく姿勢こそが「答えなき問い」との闘いには必要不可欠なのです。

今まで日本という国が築いてきた信用によって勝ち得たものの一つが、「世界最強のパスポート」と言っていいでしょう。なんとビザなしで世界193か国に渡航可能な素晴らしい権利です。それを活用し、海外を視察・旅行してグローバリゼーションやダイバーシティの推進役となってほしいのです。

できれば義務教育から「リベラルアーツ」を取り入れ、人類の悠久の歴史、世界のさまざまな宗教の本質、地政学を加味した日本と欧米との根本的な発想法の違いなど幅広い教養を身につけた若者を育てるべきです。もちろん日本の歴史・文化・伝統も学び、その上で「命か経済か」という「答えなき問い」と真正面から向き合うことができるリーダー層がたくさん生まれることを期待しています。

─── 本日はありがとうございました。

《インタビューを終えて》
 希代の大発明家エジソンでさえも、1つの成功には99の失敗があると言う。失敗つまりリスクを許容できなければそもそも成功は導けず、画期的なものも出てこない。ソニーも数限りない失敗があると氏は説く。成功がさらに大成功を生み、富が循環を始めて社会に大きく貢献できる。多様なチャレンジを可能にするオポチュニティ(機会)が確保されていることが起業家にとって重要なことである。

(Interviewer:福島 常浩 本誌編集委員)

 

蓑宮 武夫(みのみや たけお)

元ソニー株式会社 執行役員上席常務
1944年生まれ。小田原市出身。ソニー入社後、初期のトランジスタ開発・製造からビデオ・オーディオ機器の設計や半導体開発まで幅広く手掛ける。生産技術研究所所長等を歴任後、2001年に執行役員上席常務就任、ソニーのものづくりの根幹業務に貢献。2005年、ソニー退社。翌年有限会社みのさんファームを設立。ソニー時代の経験と人脈を生かし数多くの企業の成長をサポート。著書に『出でよベンチャー! 平成の龍馬!』等多数。ソニー龍馬会元会長、小田原藩龍馬会顧問。

「考える力」を強化するEntrepreneurial Marketing

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