マーケティングホライズン2022年10号

数兆円のバイオ企業を生むアメリカの事業創造力

米国の「ベンチャークリエーション」

───アメリカのライフサイエンス界で「ベンチャークリエーション」と呼ばれる新たな事業創造の波が起こっているのですね。
注:ベンチャークリエーション:シーズ(種)に投資する従来のやり方でなく、ベンチャーキャピタルのラボでサイエンティストを投入して用途の可能性を検討した後、有望なものを投資育成するアプローチで、トップ人材の招聘や大企業との連携などプロデューサー的な役割も担う。

小栁 アメリカのスタートアップ・エコシステムが進化させたアプローチと言えるでしょう。モデルナ(新型コロナ・ワクチンで有名なModerna)もその成功例の一つですが、ベンチャークリエーション型のベンチャーキャピタルに大きなお金も集まっています。
*コラム「米国ライフサイエンスのベンチャークリエーション」参照

───モデルナはmRNAがメインですが、当初はワクチンを目指していなかったのですか。

小栁 最初からワクチンという言葉は彼らの資料には出てこないので、いくつかアイデアを試したのだと思います。

───ライフサイエンスでも、ピボット(軌道修正)を提案したり、市場のニーズを探って突破口を見つけようという話は、これまでにも聞いたことがあります。会社を作る前に、オポチュニティ・レコグニション(機会の特定)をやるのがポイントなのでしょうか。

小栁 おそらく、そういうアイデアを持つ方々はいたのでしょうが、数百億円のお金を投資する動機になるかということが大きな違いかと。従来は、後期にしっかり資源を投入するという仕組みとして、最初のところ(投資するスタートアップ)の数を増やせばいいという考え方でした。そうではなく、そこに到る過程のリスクを考えて、ある程度、育てようという動きは徐々に起こってきたと思います。2000年代前半に欧州で、エボテック(Evotec:ドイツ) やガラパゴス(Galapagos NV:ベルギー)というCRO(Contract Research Organization:医薬品開発業務受託機関)のそうした試みもありましたが数十億円という小規模でした。
これほど大規模で、かつ製薬企業も初期から集まって、ということができるようになったのは、2008年の金融危機がきっかけと分析しています。お金が集まらなくなり、よりロジカルにリスクが低いやり方が求められる。すると、アーリーステージのスタートアップに、とにかく数を多く投資するという従来のロジックは受け入れ難くなった。そこで、こういうロジックでちゃんと仕込みをします、という流れが出てきたと考えています。

専門性の高い人材が集まる米国ベンチャーキャピタル

───フラッグシップ・パイオニアリング(Flagship Pioneering)などの新興勢力ベンチャーキャピタルが、研究開発を投資に組み合わせて次世代のモデルが出てきたということですね。そのために、ラボを持って、数十名とか100名を超えるようなサイエンティストを雇っているのですね。

小栁 フラッグシップは常時30~40人のサイエンティストを募集しています。規模的には中堅どころの製薬メーカーくらいの感じですかね。いわゆるイノベーションを支援する立場の人たちよりは給料はかなり良くて、大手製薬企業と同等だと聞いています。

───ライフサイエンスに造詣が深い方たちがベンチャーキャピタリストになっているからできることかと。

小栁 私がアメリカにいた2000年代からそうでしたが、PhDやサイエンスの学位を持っているベンチャーキャピタリストが多く、金融出身が多い日本の環境とは大きく違い、スタートライン自体が異なっていると思います。アンドリーセン・ホロウィッツ(Andreessen Horowitz:米国トップのベンチャーキャピタルの一つ)も、著名なスタンフォードの教授をパートナーに迎えました。

───他に動きはありますか。

小栁 このベンチャークリエーションのモデルが万能ではないと言う人もいます。ある程度の規模が必要ですし、これだけに頼る一本足打法は好ましくないという声があります。
一つは、基礎研究の研究者を評価に巻き込んでいく動きがあります。例えばアルトス・ラボ(Altos Labs)は、山中伸弥教授などトップクラスの科学者や専門家を呼んで、次に来るものを探りながら、研究開発と投資をする流れを作っています。細胞の若返りや修復、老化をテーマとし、ジェフ・ベゾス(Amazon.com創業者)など著名な投資家から30億ドルを集めました。
色々なトライアルを、アメリカは相当やっていると感じます。

すでに組み入れられている日本

小栁 日本の企業やサイエンスの一部は、既にアメリカのベンチャークリエーションに取り込まれています。センチュリー・セラピューティクス(Century Therapeutics)は、その一例です。ヴァーサント(Versant Venture Management)という米ベンチャーキャピタルによるベンチャークリエーションですが、東京大学からスタンフォード大学に移った中内啓光博士がセンチュリー社の創業科学者(Scientific Co-founder)となっています。そして、富士フィルムの子会社フジフィルム・セルラー・ダイナミクス(FCDI) をパートナーとしてセンチュリー社を共同創業しました。また、ドイツの製薬企業バイエル(Bayer AG)はこのベンチャークリエーションの段階から、製薬企業としての市場ニーズを提供し、自ら買収対象の育成に積極的に関わったと思われます。同じ時期にVersantが作ったBlueRock Therapeuticsも買収しました。
*コラム「米国ライフサイエンスのベンチャークリエーション」参照

───日本の研究者や企業の価値があれば、巻き込むのは自然な流れですね。

小栁 しかし、日本でそういう認識をしている人はわずかなのが現実です。もっと情報発信し、啓蒙することが大切だと思います。

サイエンスとビジネス、両利き人材

───アメリカでは、こうしたことにマネーがついてきていますね。

小栁 日本もサイエンスをお金にした実績があるにもかかわらず、サイエンスの軸で評価したものとお金を結びつける作業が上手ではありません。両方の知識を持つような人材が圧倒的に足りないと思います。
スタンフォードでの私のラボメイトも、サイエンティストですがビジネスの話もばんばんできる人が何人もいます。アメリカのトップラボでトレーニングされた人が、大企業の中で責任あるポジションにすぐ就き、お金のセンスも身に付けるわけです。PhDホルダーがMBAも取り、マネジャーとして企業で成長した人材に対して、日本の製薬メーカーの修士上がりで専門的なトレーニングを受けず現場たたき上げの人が、ビジネスの議論で対等にやれるかは、かなり厳しいです。
またグローバルのコミュニティでは、例えばハーバードビジネススクールなど、そういう人脈が大切です。そういう戦略的な動きが中国人やインド人もできていますが、日本人はできてない。これは痛いなと思います。

日本にmRNAワクチンを輸出するベルギー

───ヨーロッパで参考になる動きはありますか。

小栁 ベルギーのフランダース地域ですが、フランダースバイオテクノロジー研究機関(VIB)という組織を1995年に創り、メジャーな5つの大学と連携して研究開発を推進し、製品化・事業化まで手掛けています。知的財産の収入やスピンオフ企業の売却益などで、政府からのお金は当初の100%からいまや15%ほどに下がりました。国内外の優秀な研究者の誘致に予算を投じ、研究の質が高まり、スタートアップが生まれて収入が増える循環ができています。アメリカからの投資も増え、ベンチャーキャピタルも大きく増えました。いまや300以上のバイオスタートアップが活動し、ヨーロッパでトップクラスのバイオ系エコシステムが回っています。
ちなみに、日本が輸入している新型コロナのmRNAワクチンは全てベルギーの工場からです。日本をはじめ、大きなお金がベルギーに入り、そのお金でベルギーは新たなイノベーションをさらに起こそうとしています。

───どうやってベルギーがmRNAワクチンの生産基地になったのでしょう。

小栁 アクセスの良い立地で、臨床試験をやりやすくするとか税制優遇などの施策で、海外の企業が集まりやすくしました。産業としてある程度できてきたところで工場を作り、人を呼びやすく技術も入れやすいという環境を整えました。すると投資もさらに集まる。
例えばタイジェニックスという消化器治療薬の会社は、私は2011年くらいから注目していましたが、米ナスダックに上場後、2018年に武田薬品工業が約700億円で買収しました。このように、VIBで生まれた企業を大手が買収するという流れができました。入ってきたお金でインフラを整えよう、生産技術も持とうとなった。
今回、mRNAワクチンの工場ですが、生産を含む最新の技術があり、国際的なレギュレーションも分かり、アメリカFDAの認可をとれるような技術が揃っている地域はというと、ベルギーだったわけです。
10年以上前は、抗体医薬の生産拠点は、シンガポールがそういう立ち位置にありました。今アメリカではフィラデルフィアですね。このように各地域が戦略的に動いています。

日本に新薬が入ってこない!?

───海外製でもワクチンは日本に入ってきていますが、海外から日本に新薬が入ってこなくなることは考えられますか。

小栁 日本は医療情報の活用が非常に遅れています。日本の未来を考えると、下手すると平均寿命が下がりかねないというくらいの危機感を持っています。
かつては日米欧で同時というのが基本でしたが、アーリーステージで事業計画を作るときに日本市場の重要性が下がっており、欧米のスタートアップは日本市場を後回しにしています。すると、日本に製品が入ってくるのが5〜10年遅れます。この状況を改善するためには、医療情報収集と利活用のプラットフォームの整備が必要と考えています。

───具体的にはどういう医療情報でしょう。

小栁 血圧とか検診データがありますが、分かりやすい例で言えば、がんのゲノム診断があります。がんは遺伝子の病気なので、胃がんも肝臓がんも転移していたら薬は一緒です。つまり、薬の選択はゲノム検査が必要。
アメリカは、ロシュの子会社のファウンデーション・メディシン(Foundation Medicine)が民間ベースで情報をシェアし、薬の開発に使われています。ジェノミックイングランド(Genomics England)は、イギリス人のゲノム情報を何百万人単位で集めて製薬企業に売っています。すると、イギリス人の病気に対する薬を開発してもらえるわけです。
日本ではがんゲノム診断情報は国立がんセンターに集約しますが、その作業が煩雑と聞いています。これを自動化し、病院間で共有するプラットフォームを京大病院を中心に構築しました。海外のベンチャーも新薬開発のために日本を利用したくなるインフラ整備が必要です。

日本を刺激に、進化を続けるアメリカ

───日本の優れた点はどこでしょう。

小栁 ここ20年ほど日本人のノーベル賞受賞者が出続けているのは、かつて若手への少額の研究費が提供された政策の効果があったのだと思います。20年以上前、日本の大学では500万円ぐらいの科学研究費がかなり若手にも行き渡っていて、あまり詳しい申請書なく様々なアイデアを試せる環境にありました。これと同じようなことを、フラッグシップは自分たちの中で形を変えてやっているとも言えるでしょう。
いま日本は逆に、アイデアを試すような環境がなかなかなくて苦戦しています。日本に負けているからと、アメリカが対日本で違う仕組みを作ってきたものが、いま機能しているという理解をしています。

───ライフサイエンス産業では、アメリカが日本を凌駕しているイメージを持つ人が多いと思いますが。

小栁 2000年代前半に2010年問題と呼ばれたことですが、次々と特許が切れて欧米の製薬企業は苦しくなるとみな考えていました。そのときに日本の製薬企業は意外と調子が良かった。メバロチン(高脂血症治療剤)やFK506(免疫抑制薬)などのブロックバスターと言われる薬を、日本企業は少ない開発予算で生み出していました。それで、抗体医薬などに行かずに日本企業はそのまま低分子医薬品の開発を続けた。一方、欧米の製薬企業は、このままでは生き残れないという危機感で、現状打破に挑んだ。

───高騰する新薬開発コストに対し、自社の研究所でなく、スタートアップ・エコシステムを研究所の代わりにしたのも、一つですね。

小栁 そうだと思います。様々な試みがどうなるかウォッチし、ベンチャークリエーションなど新たなものに投資した。その結果が出てきたということかなと思います。

日本のサイエンスを米国で起業する時代

───日本には良いサイエンスの種はあるが、それをプロダクト、そしてビジネスに結びつけるプロセスが弱いですね。

小栁 学術的に先生たちがやりたいことと、ベンチャーキャピタルが投資をして事業として結果を追求することがつながっていません。アメリカでは、ライフサイエンスも、もっと時間がかかる宇宙産業でも、そこがつながっていて、ずいぶん違うと思います。

───産学や官民の連続性もアメリカではかなりあります。

小栁 ベルギーの例も官民の連続性を示しています。ボストンでもマサチューセッツ州が例えば数億円、民間がその3倍くらいの投資をして、インキュベーターを作るといった仕組み、つまり官が呼び水を出して、より大きな動きにつなげています。日本の場合は、官と民の連続性が薄く、しかも官は事業が年度で切れてしまう。

───総じて、現状の日本モデルの延長上では、国内に閉じていては限界があります。特にこの分野だと、日本でアメリカのようなインフラを作るには、何年かかるか、できるかどうかも分からない。すると、米国進出、あるいは米国で会社を設立して、エコシステムが充実したアメリカで、現地のベンチャーキャピタル等の支援を仰ぐのが、一つの現実的な選択肢に見えます。

小栁 そうだと思います。そして、10年以上先を見据えて、どういう方向性や環境が望ましいか、それをどう実現するかを考える機運が、日本で薄いことに危機感を感じ、具体的な活動を開始しています。

───本日はありがとうございました。

 (Interviewer:本荘 修二 本誌編集委員)

 

小栁 智義(こやなぎ ともよし)

京都大学医学部附属病院 先端医療研究開発機構(iACT)ビジネスディベロップメント室長 特定教授
大阪大学卒。スタンフォード大学で、Translational Researchの教育プログラム“SPARK”を設立したMochly-Rosen博士に師事。多国籍企業での営業/マーケティング、創薬/再生医療ベンチャーでの事業開発職を歴任。京都大学「医学領域」産学連携推進機構特定准教授、筑波大学医学医療系教授を経て現職、起業家育成プログラムの企画・運営を担当。

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