例えば、ラスコー洞窟には旧石器時代の壁画が残され、ギリシア演劇は拡大する国家の影響力を維持し文化的な一体化を強化するため活用された。
近年、日本でもアートに関連するニュースを聞くことが多くなっている。現代アートの島として人気のベネッセアートサイト直島を含む瀬戸内海の島々を会場に、昨年開催された瀬戸内国際芸術祭には期間総計100万人以上が来場した。5月に行われたオークションでファッション通販ZOZO TOWNの運営会社代表取締役の前澤氏がアメリカ人アーティストのバスキアの作品を約123億円で落札し世界中で報道された。
また、アートはビジネスでも注目されている。マイクロソフトやドイツ銀行は企業コレクションを持ち、社内にアート作品を展示することで社員の生産性向上に役立てている。トヨタ自動車や日産自動車はアート・アワードを開催して、アーティストの育成支援を行っている。また、ルイ・ヴィトンは村上隆や草間彌生など数多くの現代アーティストとコラボレーションした商品を展開している。
アート・マーケティングとは
我々は、アートを通してビジネス活動の価値を高めることを目的とした「アート・マーケティング」を研究している。一般の商品・サービスのようにアートも消費される対象であるが、「アート消費」は関与のレベルにより分類できると考えている(図表1)。個人によるアート消費がアート市場の多くの割合を占めているが、ここでは企業(組織)によるアート消費について考察する。
第一に、関与度の比較的低い企業のアート消費が「購入」行動である。近年、企業経営者が個人でアート作品を購入し財団で管理して、展覧会を開催したり美術館を開設するケースが多くなっている。前述の前澤氏の現代芸術振興財団やGMOインターネットグループ代表熊谷氏の熊谷コレクション、ストライプインターナショナル代表取締役社長石川氏の岡山芸術交流プロジェクトなどが知られている。
アーティストやアート作品を企業の広告キャンペーンなどのプロモーションに活用する事例もみられる。資生堂はTSUBAKI発売10周年のプロモーションとして写真家の蜷川美花とコラボレーションし期間限定の銭湯「TSUBAKI湯」をプロデュースした。
第二に、展覧会やアート・イベントを協賛したり、アート・アワードを主催するなどの「参加」行動がある。パナソニックはデジタル・カメラLUMIXのグローバル・ブランディングとして2013年から継続して日本人若手写真家の写真展「LUMIX MEETS/BEYOND 2020」を世界最大のアート写真フェアPARIS PHOTOに合わせてパリで開催している。
第三に、もっとも関与の高い企業のアート消費が「育成・実施」行動である。アートをテーマにしたセミナーやアーティストを講師に社員教育やワークショップ研修を実施したり、アート・コミュニティと関係構築しサポートすることで社内や地域にクリエイティブな風土を創造している。マネックス証券は新進アーティストに社内プレスルームの展示作品の公開制作を依頼し、社員がオフィスで間近にアーティストとコミュニケーションすることで想像力を刺激する教育プログラム「ART IN THE OFFICE」を2008年から継続している。寺田倉庫は本社所在地の天王洲周辺をアートを基軸にした高付加価値コミュニティとしてエリア開発を行っている。
アーティストとコラボレーションして製品開発を行ったり、さらに進んでアーティストが開発プロジェクトを推進するケースもある。JR東日本は国内外の著名アーティストとコラボレーションして5億円をかけ上越新幹線の車両を改装、乗客が芸術に触れて楽しめる「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」を運行している。Googleの「Project Jacquard」は、アーティストの福原志保をリーダーにリーバイス社と共同で伝導性繊維を織り込んだデニム・ジャケットを開発している。博報堂は、オーストリア・リンツ市のクリエイティブ機関Ars Electronicaと共同でイノベーション創出支援サービス「Future Catalysts」を2014年から開始し、従来のデザイン・シンキングでは見落とされてしまう新しい価値の掘り起こしをアート・シンキングと名付けている。
アート・マーケティング活動による企業のベネフィット
前述したとおり、アート・マーケティングはアートを通してビジネス活動の価値を高めることを目的としている。従来の企業とアートの関わりはメセナやCSRの文脈で語られることが多かったが、我々は様々な事例をベースにして、アート・マーケティングによる企業のベネフィットを図表2のように分類している。
企業のアート・マーケティング活動は、社内向け(Inner)か社外向け(Outer)かという軸で考えることができる。第一に、社外向けのアート・マーケティング活動による企業のベネフィットは「差別化」である。さらに、ブランド・イメージ(Brand)に関わるのか、製品やモノ(Product)を扱うのかによる軸で分類する。
ブランド・イメージに関わる「差別化」のベネフィットは、アートを活用したプロモーション活動による認知獲得やイメージ向上である。また、顧客へのセールス活動における販売チャンスやホスピタリティ・チャンス(例えば、上得意顧客をアート・フェアのVIPに招待し商談するなど)の機会創出というベネフィットもある。アートを製品やモノとして扱うことによる「差別化」のベネフィットは、商品開発やメディア・店舗開発でアーティストとコラボレーションすることによる競合製品・サービスにはない付加価値である。
第二に、社内向けのブランド・イメージに関わるアート・マーケティング活動のベネフィットは「関係強化」である。社内教育にアートを活用することで社員のマインドや企業風土をクリエイティブ志向に転換し、従業員満足度を上げたり生産性向上を期待することができる。また、周辺エリアやコミュニティとの関係構築において経済的な利得だけでなく、アートを媒介にして精神的・情緒的な関係強化を行うことができる。
最後に、アート作品のもっとも基本的なベネフィットはモノとしての「資産化」である。アート作品は、企業にコレクションされることによって長期的な資産となる。2015年より法人税の制度が改定され、企業が100万円未満で購入したアート作品は経費計上もしくは耐用年数で減価償却できるようになり、政府として企業がアート作品を購入して文化支援することを推進している。
アート・マーケティングの今後
2020年の東京オリンピックを「スポーツの祭典」であると同時に「文化の祭典」とするべく、国内外の各地で様々な文化プログラムが計画され、今後、ますますアートと社会の関わりが重要になってくると予想される。ビジネスでは、まだ限られた取り組みしか行われていないのが実態だが、これをチャンスと考え積極的な活動を行うべきである。
ただし、市場環境や個々の企業の規模・保有リソース、企業風土などによって、それぞれの企業が実施可能なアート・マーケティング活動は異なってくる。我々マーケターは、それらのアート・マーケティング活動の成功確率を上げるため、計画や実施において様々な創意工夫を行い、成功事例とノウハウを蓄積していくことが必要とされる。
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図表1 「アート消費」の分類
図表2 アート・マーケティング活動による企業のベネフィット
大西 浩志 (おおにし ひろし)
東京理科大学 経営学部経営学科 准教授・博士(マーケティング)
日本のアートマーケットを活性化させマーケティングによって価値を高めるプロジェクト『美術回路』を広告会社の元同僚と立ち上げ実務でも活動