「男は仕事、女は家庭」が無理な社会構造

一生懸命がんばるしかない日本型の仕組み
日本型の働き方というのは、よい面も多々あり、その逆に困ったこともあります。よくある「全廃して欧米のように」という話は拙速ですね。

欧米型も悪いことが多々あるからです。そもそも日本型の働き方のよい点はどこでしょうか。欧米と比較しながら考えていきましょう。

キャリアというものを一歩引いてマクロの流れでとらえると、欧米と日本は、こんな風に異なります。欧米(とりわけ欧州)は、仕事のできる人がポジションを上がっていく構造です。ポジションの考え方も日本とは異なります。

日本のように同じ仕事を続けていても、職能等級というものがあって、何年かすると次第にランクが上がり、給与もそれにつれ増えていく、という仕組みとは、ちょっと異なるのです。

欧米のポジションとは、そういった形で人についてくるものではなく、ポストとして会社の組織の中で、数が決まっているものなのです。たとえば、社長、部長、課長という役職は、それぞれ、社に一人、部に一人、課に一人、と欧米では決まっています。それぞれの部や課の「長」だからです。

日本の場合は、こうした「組織の構造上、ポストとなっている役職者」とは別に、個人の職能等級が上がることで「課長相当」「部長相当」という名目的な役職が付されていきます。

だから、課に「課長」と「課長相当の人」が何人いてもおかしくはありません。課長以下になると、係長、主任、主査などの役職的な名称がつけられますが、こうしたものは、組織の長としてポスト数が決まっているのではなく、能力アップして職能等級が上がれば、それに応じて何人でも増やすことが理論上可能です。

こうやって、日本では経験をつみ、能力があがると、同じヒラのままでも、職能等級が上がり、名目役職がついて、だれでも昇格昇給が可能です。さて、この違いはキャリアや生活にどのような差異をもたらすでしょうか。

欧米は、ポスト数しか昇進が起きないから、そこからあぶれる人が多々生まれます。結果、給料も役職も変わらない人たちは、命がけで仕事をしなくなっていきます。残業はせず、有給は使い切り、と。ワークライフバランスが充実されていくのですね。

一方日本はどうか。多くの人が昇進する中で、遊んでいたら、一人だけ置いてけぼりになってしまう。だからみなせっせと働く。その見返りに、誰もがちょっとずつ昇進と昇給を繰り返す。

だからワークライフバランスも充実しない。みんな上を目指せる分、みんな余暇を削る。この構造。夢もあるけどその分ハードなんです。


構造的に崩れた「性分業」
この仕組みを、いやがうえにも変えざるを得ない状況になりつつあります。そのまえに、日本的な「全員が階段を上れる」という仕組みが成立するためには、ひとつ前提となる条件が必要です。

ワークライフバランスなどなく死ぬほど働けば、家事や育児は誰がするのか?そういう問題が生まれてきます。日本はこの問題を「性別による役割分業」という形で、なんとかうまくごまかして来ました。

つまり、家庭は女性、仕事は男性、という切り分けで、仕事人としての男がワークライフバランスなど考えずに働き続け、家事育児の多くは女性に任せる、という分業ですね。ところが、この性分業が崩れつつあるのが現在です。

それはいろいろな方向から説明できます。まず、家計的には夫の稼ぎだけで一家を食べさせることが難しくなった。だから妻も働く。それで壊れた。また、1歳当たりの人口がかつてと比べて半減し、男だけではとても、社会を切り盛りすることが難しくなった。

だから、女性が社会参加する必要が出てきた。それで壊れた。さらにいえば、税金や年金財源などが細っていく中で、誰もが働き、誰もが税や年金を支払うことが重要になってきた。

だから壊れた。こんな形で、かつてのように、男は仕事、女は家庭、などとは到底言っていられない状況になってきたのです。


キャリアも途中から欧米的に
実は、この変化と歩調を合わせるように、日本型の「キャリア」も徐々に壊れています。会社の経営が昔ほど楽ではないため、誰もに「管理職(管理職相当)」の役職をつけるこができなくなっているのです。

次第に、部に部長は一人、課に課長は一人、と方向で欧米の仕組みに似てきている。だから、「課長になれない人が増えた」という話をよく耳にするのです。職能等級が自然とあがって、誰でも昇格昇給できるのは、係長あたりまででしょう。

とすると、35歳くらいまでは日本型のままで、階段をしっかり上ることができるのですが、そこから先は止まる、というキャリアが、次第に普通になりつつあるのです。

こんな形に、バブル崩壊から25年かけてたどり着きました。ところが、この変化に働く人の頭がまだついていっていないのです。
さあ、ここまでを振り返ってみましょう。

かつてのような性分業はもう無理。かつてのような日本型階段は、途中からもう無理。男女ともに働き、階段を上るが、35歳くらいでストップする人がけっこう出てくる。奇しくも、家事や育児の問題も、この年代で顕在化します。

結婚して出産し、ちょうど育児休暇が終わる年代だからです。ここから会社に復帰すれば、家事育児は誰がやるの?それは女性だけに押し付けておくことでいいの?

欧米を見てみましょう。昇進できない人たちは、ワークライフバランス充実の方向で、その分、家事育児にも精を出します。ならば、日本も「全員が階段を上ることはできなく」なったのだから、その分、男でも家事育児する、という変化が必要になるはずです。

かつてのように、「男子たるもの、最低でも課長には」という常識では、今後の社会にはついていけなくなるでしょう。一生懸命がんばって、それでもだめだったら、今度は男でもしっかり家事育児、そんな社会にあと10年もしたらなっている、と私は思っています。

そうして、夫婦で足せば、世帯年収は増え、将来の年金も増え、一方で残業は減り、有給も取れる。そう、世界標準に近づいている。そのためにも、さあ、意識改革ですよ!

 




海老原  嗣生  (えびはら  つぐお)
コンサルタント、編集者。株式会社ニッチモ代表取締役。株式会社リクルートエージェント ソーシャルエグゼクティブ、株式会社リクルートワークス研究所 特別編集委員。

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