良い車が生まれるヒント:日本カー・オブ・ザ・イヤー<前編>

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2018年10月号『賞の魔力』に記載された内容です。)

日本カー・オブ・ザ・イヤーのこれから

吉松 車をめぐる世界で、お墨付き感が強いのがやはり日本カー・オブ・ザ・イヤーです。お墨付き感というのは、これまでどういう形で築いてきたのか、そしてこのお墨付き感を維持するためにどういう努力をされたかを教えて頂けますか。


荒川 まず、ひとつは長い歴史を持っていることでしょう。日本カー・オブ・ザ・イヤーの第1回は1980年です。その初代日本カー・オブ・ザ・イヤーは、マツダのファミリアでした。ヨーロッパ風デザインのコンパクトカーで赤いボディカラーがよく似合いました。当時の若者には絶大な人気がありました。
 そして今年で39回目になりますが38年もたつと、車を取り巻く環境はガラッと変わったと思います。実際1980年、日本の乗用車保有台数は2275万台でしたが、2017年には6083万台になりました。この38年間で3倍近く増えた計算になります。
 自動車の販売台数自体は、景気動向などで変化しますが、実は国内の乗用車の保有台数は極めて一定な右肩上がりになっています。経済状況によって年間販売台数は下がることもありますが、保有台数は確実に右肩上がりになっています。
 こうした変化の中で、どういうことが我々メディアの周辺で起きていたのかというと、1992年くらいが自動車雑誌の数のピークでした。正確な数字ではありませんが、1992年当時、二輪/四輪含めて車関連の定期誌は200あったといわれています。
 そして今はおそらく50以下だと思います。というわけで流れとしては1980年に賞がスタートとして、いろんな意味でピークを迎えたのがバブルが終焉してまだその残存があった90年代前半でした。その後は雑誌については右肩下がりになり、それが現在まで続いてきました。
 保有台数からしてみると、夢の存在だった車が日常的な家電化するような方向に至る38年ということになります。当然、その波の中で、アワードが果たすべき役割は、いろんな意味で変化せざるを得なかったですね。
 たとえばメディアという側面からみていくと、発足当時から92年あたりまで、加盟メディアは自動車専門誌しかなかったのですが、今は37媒体が日本カー・オブ・ザ・イヤーを組織していますが、そのうちおよそ半分の18が自動車専門誌、10が一般誌、足して28が雑誌です。
 あとはwebサイトが7。これは基本的に自動車専門webサイトです。さらにTV、ラジオがひとつずつです。そういうわけで昔は自動車専門誌が主導していたものが、そこに一般誌が入り、webサイトが入ったりで、変わらざるを得なかったことはあります。
 そういう中で、この10年間くらいに実際何が起こったかというと、あらゆることに対してユーザーに開かれたものであるべき視点が入ってきたと思います。ユーザーファーストがだんだん強くなってきている。紙媒体しかなかったときは、ユーザーに対してメディアがリードしていく形でした。
 しかし紙媒体からwebへの変化とともに、ユーザーファーストの考え方になり、情報提供もより多くのユーザーが求めるものという思考になったように思います。それとともに、ジャーナリストや先生方が選ぶ賞ということに対しての抵抗感や疑心暗鬼な気持ちというのが一般的には芽生えてきたのではないかと思いました。
 昔はこういう人が選んだ賞だから「すごい」と思われていたものが、逆に胡散臭く思われてくるというのが時代の流れとしてあると思いました。ただそれはあくまでも、一般的な時代の流れのことであって、カー・オブ・ザ・イヤーの場合には、いわゆるユーザーによる人気投票的なことはやらないことにしています。
 なぜなら、プロがプロの目で見て選ぶ賞だからこそ価値があると考えているからです。そこに人気投票的な要素が加わると、先ほどの話でいう“お墨付き感”はなくなってしまうでしょう。
 しかし一時、果たしてこれでよいのかとある議論があったことも事実です。ユーザーとはあえて一線を画してあくまでもプロはプロの目線で車を見て評価してそれを発表する形で良いのか。それとも一般の人たちの声も聴いて、たとえばプロと一般の人で半分半分の票を持つというような方式にしたほうがよいのではないかといった議論です。
 しかし、議論を重ねていき、日本カー・オブ・ザ・イヤーはプロが選ぶ賞だからこそ価値があるということになりました。そこはどのように時代が変わろうと外してはいけないという確認をすることができました。その考えの背景にあるのは「良い自動車メディアがないと、良い車が生まれない」ということです。
 良いものを良いという人がいないとそもそも良いものは存在しません。僕らは車専門メディアとして車をみていますが、それは決して難しい専門用語を並べるということではなく、きちんと車を見て、良いものは良い、良くないものは良くないとはっきりと言い続けたいと思っています。
 そうすることで、初めて良い車というものが存在することになるわけですし、メーカーも良い車とはなにかということを改めて考えることになると思います。
 車の開発者は常に良い商品を作りたいという情熱を持っています。しかし、コストの問題などがあり、なかなか思い通りに車作りができないというのも現実です。そうした課題を乗り越えて、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞できたとなれば喜びは大きいと思います。
 そうした方々はさらに良い車作りをしていこうと思っていただけるはずです。良い車をメーカーに作ってもらうことで、日本の自動車マーケットを活気づけるという意味において、日本カー・オブ・ザ・イヤーは大きな役割を果たしていると思っています。


吉松 プロの目から見て良い車を選んでいくことで、結果として去年は輸入車が10ベストカーの半分、5台入っていました。国産メーカーにとってある意味刺激になったのではないでしょうか。


荒川 そうですね。実行委員会が言っているのは、とにかく良い車を選ぼうということです。去年はボルボXC60がイヤーカーに選ばれましたが、選ばれたときはいくつかのメディアから「日本カー・オブ・ザ・イヤーがなぜ輸入車なのか? しかも高額な輸入車なのか?」と声が出ました。
 でも結果的に、その後の世界のモーターショーでボルボXC60は数多くのアワードをとっています。本当の意味でボルボXC60は良い車なのです。日本カー・オブ・ザ・イヤーとしては、こうした高額な輸入車が選ばれたという現実をいろんな人に知っていただきたいです。それを理解することは、日本のマーケットに良い車を提供することに繋がっていくと思います。
 だから、私はボルボが選ばれたことはすごく良かったと思っています。日本メーカーは日本マーケットのことを重視した日本専用車などはなかなか出せるものではありません。そういう意味では輸入車も国産車もグローバルカーであることに変わりはないので、日本マーケットでも対等な競争の場であり、去年は結果的に輸入車がイヤーカーにだったとも言えるでしょうね。


吉松 “良い車”というのは選考委員それぞれで考え方が違うと思います。選考委員によって、デザインを重視したり、少しカルチャーよりだとかいろんな視点があると思いますが、その意味で選考委員の選定はどのようになっているのですか。


荒川 日本カー・オブ・ザ・イヤーがいう良い車とは何なのかとときどき話題になります。おっしゃる通り、選考委員にはいろんな視点を持った方がいて、レースをやっている方、エンジニア出身の方、元編集者など様々です。
 その人たちに申し上げているのはひとつだけ。自分なりに価値基準をもってそれに基づいてで選んでくださいということです。そうすることで、いろんな価値基準を持っていろんな人がいろんな選び方をします。それはあらゆる世の中のニーズを考慮した上での結果につながると思います。実行委員会で価値基準を決めたりはしていません。


吉松 10ベストカーを選ぶ前の段階で、毎年何台も候補となるニューモデルがあります。メーカーにしてみると「この車を押したい」と絞ってくると思います。やはり選ばれる方のほうからすると「もっとこっちの車の方が良いのでは?」と思うことはあると思います。そのあたりの葛藤とかはあったりするのですか。


荒川 メーカーの方は色々と意見を言ってくれますが、それは聞き流しています。「良い車を選んでください」と言ったときには、例えば10ベストカーのうち、半分が同じメーカーの車ということもあり得ます。私はそれはありだと思っています。
 ところが結果的にはそうはなりません。でも実は去年、同じメーカーのクルマが10ベストカーに選ばれました。今までは、同じメーカーは2台以上入らないことが多かったのですが、去年は初めて2台がランクインしました。


吉松 昔は、車が夢の存在だったのが、今は日常的なものになってしまったと思います。夢的な部分を盛り上げるために、エモーショナル部門を設定されたということなのでしょうか。


荒川 そうですね。乗った人がワクワクするような魅力を持っている車というのはスペックなどでは語り尽くせないものです。そうした、家電では考えられない車ならではの魅力にスポットを当てたいというところでしょうか。


後編はこちらから>>https://www.jma2-jp.org/article/jma/k2/categories/510-mh181005

荒川  雅之 (あらかわ  まさゆき)
株式会社モーターマガジン社  取締役 編集局長
1982年、モーターマガジン社入社。その後、自動車誌の編集部を歴任し、2002年、Motor Magazine編集長就任、2016年より現職。日本カー・オブ・ザ・イヤー実行委員会実行委員長には2015年に就任し現在4期目。

インタビュアー : 吉松  敏也  (よしまつ  としや)
丸の内ブランドフォーラム ディレクター
多摩大学大学院 客員教授

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