未来を先取りするメディアアート

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2019年12月号『デザインを超えるアートの力』に記載された内容です。)


カナダのメディア学者マーシャル・マクルーハンは1964年に「メディア論」という著書で、アーティストは来たるべき未来を予見し、社会の急激な変化に対する免疫力を私たちに与える、と述べています。新しいメディア技術が製品やサービスとして出現して社会を大きく変える前に、アーティストはそれを予感あるいは擬似体験させるような作品や活動を通じて人々に気づきを与える、というのです。

たしかにアイザック・アシモフのSF「われはロボット」(1950)や映画「ロボコップ」(1987)、「ジュラシック・パーク」(1993)、「マトリックス」(1999)といった作品は、当時の最先端技術の延長線上にあり得るかもしれない未来を鮮やかに描いて社会的なインパクトを与えました。


日本のロボット研究に「鉄腕アトム」や「ガンダム」や「ドラえもん」が与えた影響はよく知られています。今は誰でもスマートフォンでバーチャルリアリティ(VR)が楽しめる時代ですが、アニメ「電脳コイル」が出た当時(2007)、私が所属する日本バーチャルリアリティ学会ではこのアニメがVRの普及した社会を巧みに描いていると話題になりました。今ここにある技術のその先を想像してみんなが理解しやすい形で提示するのは、クリエーターの特技です。


メディアアートとは

メディアアートはテーマが情報メディアなので、作品にはメディアの過去・現在・未来が多様な形で出現します。過去に存在したけれど当時は無理だったアイディアを現在の技術で実現するアーティストもいれば、すでに社会に浸透しつつあるけれど人々が気づいていない可能性や問題を可視化する作品やプロジェクトもあり、新しい技術や応用を開発してしまうアーティストも少なくありません。


実はVRの発展にはアーティストが重要な役割を果たしていて、MITやNASAの研究者たちが当時はきわめて高価だったHMD(VRゴーグル)を主軸に研究を進めていた当時、カナダやアメリカのアーティストたちは普通のビデオカメラとコンピュータを接続して、スクリーン上のバーチャル空間で体を動かして音楽の演奏やゲームを楽しむ非装着型のシステムを開発しました。


今ではマイクロソフト社のXBoxや任天堂のwiiなどでお馴染みのシステムの原型は80年代に彼らが開発したものです。ダンスがそのまま音楽になれば見物人も楽しい。子ども時代の飛行機ごっこのように腕を広げて空を飛べないだろうか。アーティストたちが実際に回路を設計しソフトを組んでそんな夢を実現したことでVRは研究室から出て社会に広がりました。


一方、90年代初めに登場してVRの標準的装置になったCAVEという大型システムを開発したのは、1979年に冨田勲の武道館コンサートの映像を作ったイリノイ大学の研究者たちです。学生時代にヒッピーだった彼らは、インド風の音楽に合わせてサイケデリックな映像をダンサーの白いドレスに投映したいという動機からリアルタイムCGを開発し、それがVRに発展したのです。


今ではスマートフォンに標準的に搭載されているGPSは、25年前には重くて嵩張る高価な機材でした。アーティストの藤幡正樹は、GPSとデータ記録用のパソコンを入れたバックパックを担いで富士山に登るというプロジェクトを1993年に始めています。頂上に近づくにつれ疲労度は増し、休む時間も増え、単位時間に稼げる高度はめっきり減っていきます。


経過時間とGPSのデータから計算された富士山の主観的な姿は、浮世絵の誇張された形状を超えて、頂上付近ではほとんど爆発状態です。高価なGPSをパーソナルな距離感覚の計測に使うなど当時はまったく想定外でしたが、今はスマホの地図アプリや健康管理アプリで普通に使われています。


地図といえばドイツのアーティストグループArt+Comが1994年に発表したTerravision(T-Vison)という作品は、地球儀型インタフェースとゲーム機のようなコントローラを操作して地球上のどこかの地点に宇宙から接近するとスクリーン上で航空写真がぐんぐん拡大され、着地すると周囲の風景が3DCGで表示されてその中を探索できるというものでした。


このアイディアは情報系の研究者たちにとって「目からウロコ」で、アーティストたちは京都大学で当時開催された学会をはじめ世界各地で講演に招かれました。まさに今日のグーグル・アースですが、その開発者たちも彼らに触発されたのではないでしょうか。


日本のメディアアートについて

日本のメディアアートは国際的にも高く評価されていて、特に、インタラクティブ性が強い作品、あるいはユーザーに体験のプラットフォームを提供するような作品やそれらの商品化というジャンルでは日本のアーティストが強みを発揮しています。その代表は、坂本龍一とのコラボレーションで音楽と映像が融合した作品を創り、さらにヤマハとの共同開発でTENORI-ONという今までにない楽器を製品化した岩井俊雄でしょう。


音とLEDライトのパターンを組み合わせるこの電子楽器は2007年にイギリス、2008年に日本で発売されてインターネットで一瞬のうちに売り切れ、ビョークや小山田圭吾などのアーティストが舞台で使いました。その後2011年にiPadやiPhoneのアプリになっていますが、実は岩井はTENORI-ONにたどり着く前に音と映像の同時生成をゲーム機などいろいろなプラットフォームで試みていました。


スマートフォンの登場でやっと、音と映像を「手乗り」にして個人ユーザーに届けたいという岩井のアイディアが実現したわけです。岩井はその後「100かいだてのいえ」シリーズで人気絵本作家になりますが、絵本もメディアアートと同じく「この楽しさをみんなで共有したい」という熱意に裏打ちされています。


コミュニケーション・デザインのプロとして

アーティストはコミュニケーション・デザインのプロだ、と私は思っています。どんなに素晴らしいコンセプトでも相手に伝わらなければ作品として成立しません。インタラクティブ作品だったら「体験してみようか」という気持ちを起こさせねばならないし、高度な技術を使うならエンジニアとのコラボレーションが必要です。


オタマジャクシ型楽器「オタマトーン」をヒットさせた明和電機の土佐信道は玩具製造会社と協力して商品開発しているし、「風の谷のナウシカ」に登場する一人乗り飛行機「メーヴェ」を実現させた八谷和彦は、設計や実験に多くのボランティアの参加を得て情報をネットで共有しながらプロジェクトを成功させました。


アニメに描かれた架空の乗り物を実際に作ろうというアーティストの発想がそもそもぶっ飛んでいますが、八谷はその前にも超小型ジェットエンジンを使って「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくる「エアボード」(宙に浮くスケートボード)を制作しています。ジェットエンジンが爆発したら大惨事という危険なプロジェクトですが、これにも多くの人が参加しました。


ちなみにジェットエンジンが購入できたのは八谷がSCNにアイディアを持ち込んで共同開発したメールソフト「ポストペット」(1997-2010)の成功のおかげでした。ビジネス向けのメールソフトしかなかったネット黎明期に、ピンクのテディベアがメールを配達する「愛玩メールソフト」は若い女性の心を掴み、ネットに新しいユーザー層を開いたのです。


製品やサービスが実際に社会に出るまでには多くのプロセスや問題解決、安全面の確認が必要ですが、アーティストは期間限定・場所限定で実験的なことができます。そしてエンジニアやデザイナーには有用性というゴールが(一応)あるのに対して、アーティストが作るのは実際的な役には立たないけれど「おや?」と思わせる体験です。メディアアーティストの自由なイマジネーションはこれからも未来を予感させ、あるいは未来を拓く力になっていくのではないでしょうか。




草原  真知子  (くさはら  まちこ)
80年代前半からCGとメディアアートのキュレーターとして筑波科学博、世界デザイン博等の展示や東京都写真美術館、NTT/ICCの設立に携わりSIGGRAPH、アルス・エレクトロニカ、文化庁メディア芸術祭、広島国際アニメーションフェスティバルなどの審査委員を歴任。メディアアートとメディア考古学の分野で講演・著作多数。早稲田大学名誉教授、工学博士(東京大学)。論考は「メディア表象」(東京大学出版会)、"Digital by Design"(Thames and Hudson)、"Media Archaeology"(Univ. California Press)などに収録。

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