岡本太郎と「乗り超えろ!」

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年10月号『アートが変える!』に記載された内容です。)

突然、世界中に巻き起こった新型コロナウイルスは、我々の健康を脅かすだけでなく、これまで当たり前のように作り上げてきた社会構造、価値観、人間同士の関係さえ変えようとしている。この混乱した社会状況下の中で、日々モヤモヤした気持ちが続くのはなぜだろうか。

それは、自粛、自粛と遊びにも行けず、仕事にも出られず、家の中で在宅ワークをこなしていることへの不満ではない。仕事柄こんな時、岡本太郎ならどんなメッセージを発するだろうかと考える。その答えは「乗り越えろ!」である。いまこの時にこそ世界中の人に届けなくてはならないこのメッセージが、伝えられない歯がゆさがモヤモヤの原因だと気が付いた。

多くの作品を残した芸術家・岡本太郎だが、彼は「芸術家である前に一人の人間として発言する」という哲学のようなものを持っていた。つまり彼の作品には、過去を背負い現代を生きる一人の人間として社会に発するメッセージが込められているのである。そのメッセージとは、何を意味するものなのかを考えなくてはならない。そこで、岡本太郎の代表作と言われる二つの作品を思い起こしながらそれを探ってみたい。

まず、最初は1970年の大阪万博のテーマ館《太陽の塔》である。純白のボディに三つの顔を持ち、当時は建築家・丹下健三の作った大屋根と呼ばれる水平の屋根から金色の顔をのぞかせ、両手を広げて大らかな姿で立っている巨大な彫刻である。その地下と塔内、大屋根の空中は展示空間となっていた。

岡本はそこに過去、現代、未来に分けた展示構成を行っている。地下にある過去の世界には、何億年前に地球上に生命が生まれ、それらが延々と進化して現在の人類が誕生したという事実。その先の祈りの空間には、未開社会の人々が作った神像や仮面が自然と闘いながら生きてきた人間の誇らかな証として展示されていた。

塔の中には高さ30メートルの《生命の樹》があり、生命誕生から爬虫類、両生類の時代を経て人類が誕生するまでの進化の過程が示されている。ウィルスも地震や台風と同じ自然の猛威である。岡本太郎は《太陽の塔》の展示を通して、生きとし生けるものの元はみな同じ。その中で人間は自然の猛威と闘い、自然を乗り越えることによりその恵みを受け、文明を築き上げたのだと言う人間生命の讃歌を表わしていたのである。

次に、現在渋谷駅に飾られている巨大壁画《明日の神話》はどうだろう。そもそもこの壁画はメキシコでオリンピックのために建てられたホテルのロビーに描かれたものである。右側には原水爆によって生まれたキノコ雲が禍々しい顔をして描かれている。

その下にはビキニ環礁で被爆した第五福竜丸や炎に焼かれる人の群れもいる。その中央には炎を纏いながら哄笑する骸骨が描かれている。そして左部分は幸せそうに頬杖をついて会話する人の平和な世界である。壁画は絵巻物のように右から左に移動する物語となっている。

それは原水爆の被害を何度も受けながら、日本人はその悲劇を乗り越えて現代の平和な社会を作ってきたという物語なのである。作品の中心にある骸骨は、生と死が表裏一体のものであることを意味する。生があるから死があり、死があるから生がある。この骸骨は死の世界を哄笑の力で生の世界に変えたことを象徴している。

つまりこの作品は戦争の悲劇を乗り越えた人間生命の讃歌である。岡本は人間の誇らかで逞しいその姿を、メキシコオリンピックに集まる世界の人々に日本の誇りとして訴えたかったのだ。岡本太郎が考える日本の誇りとは、奈良の大仏でも、金閣寺でもない。世界で唯一二度も原爆を落とされながら今日を築いてきた人間の生命力なのである。

≪太陽の塔≫は自然と対峙してそれを乗り越える人間の生命力。≪明日の神話≫は戦争という悲劇を乗り越える人間の生命力。二つの作品は人間の持つ生きる力がテーマとなっている。自然の猛威、戦争の悲劇は何れも人間が生きる上で避けて通れない存在である。間違えてはならないのは、自然に勝つこと、戦争に勝つことではない。

仮に勝つことがあってもそこにはおごりしか生まれない。自然は人間がコントロールできるというおごりは次なる自然の猛威に晒される。戦いで人に勝つことは、相手をねじ伏せて服従させ、更なる相手との戦いを生む。「乗り越える」ことは相手に勝つことではない。お互いがその存在を認めて共存することなのである。

もう一つ、この文中に出てくる「哄笑」という言葉である。自然や戦争の悲劇を乗り越えるために人は天から与えられた唯一の武器をもっている。それが「哄笑」、笑いの力なのである。笑いと言っても追従笑いや、ほくそ笑むことではない。お腹の底から湧き上がる大らかな笑いである。

自然災害や戦争の惨劇を身に受けた人々がそれを乗り越えることができたのは人間に「哄笑」の力があったからだ。岡本は「強く主張したいとき陰気な気持ちじゃダメなんだ」という。お腹の底から笑う時、人間の体内には想像もつかない力が湧いてくる。科学では免疫力とも言うが、災害や戦争で大切な人を失い、住む家を失った人々が、いつまでもその悲しみを引きずっていただろうか。

もしそうであればその悲しみを乗り越えることはできなかっただろう。日本人はとかく笑いを不謹慎なものとする風潮がある。しかし、人が支え合いながら、たとえ一時でも悲しさを忘れて笑うことができたからこそ、それを乗り越えることができたのではないか。

新型コロナウイルスという自然の脅威に晒される今、感染した人や、それを助けようとする医療従事者を差別したり誹謗中傷する人がいる。今私たちがやらなくてはならないことは、感染を防ぐことだけではない。総ての存在を認めて大らかな気持ちで笑い合うことだ。この力こそ人間が悲劇や悲しみを乗り越える大きな原動力となるのである。

図1・2 《クリックして拡大》


大杉 浩司 (おおすぎ ひろし)
川崎市岡本太郎美術館学芸員 / 岡本太郎記念館客員研究員
1960年広島県生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科修了。川崎市岡本太郎美術館の設立準備から学芸員として勤務し、川崎市民ミュージアム学芸員を経て現職。主な展覧会「太陽の塔からのメッセージ」「明日の神話完成への道」「まる裸の太郎」「ゴジラの時代」他。
著書「岡本太郎にであう旅」

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