マーケティングとは知りませんでした:わたしのマーケティングの物語

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2022年1月号『わたし的マーケティング論』に記載された内容です。)

「わたし的マーケティング論」なので、文字通り「わたし」の話から始めたい。実は今に始まったことではないのだが、わたしは自分の職業を問われた際にいまだにわかりやすくひと言で答えられない。決定打の表現がないのだ。

「商品開発などのお手伝いです」、これはマーケティングと言っても伝わらないだろうな、という場面で用いる。「マーケティングのコンサルティングです」……具体的なことがわからなくても、なんとなくわかったような合意が取れればそれで良い場面で。マーケティングかコンサルティングかのどちらかに興味を持っていただければ次の具体的な展開につながる問いを促せる。

「マーケティングのかなり上流に位置するところでインサイトを導いたりコンセプトを開発したりする仕事です」……世の中研究や生活者研究等にかなり精通している方にはこのように伝える。

しかし、こうして並べてみると、要するにセルフブランディングができていない紺屋の白袴状態である。反省せざるを得ない。しかも心の中では「ええっと…わたしのやっていることってマーケティングでいいのかな?相当に泥臭くて地味な仕事なんだけど…」と思ったりもする。かつて横文字キラキラ系の仕事と期待して弊社に入社してくれた人たちもいたのだが、毎日の業務のあまりの地味さにそういう方々は辞めていかれた。自社の実態を正しく発信できていなかったのだろう。やはり反省せざるを得ない。

言い訳になるが、自分でも正しく伝えられないのは致し方ない、と思う理由もある。マーケティングのなんたるかもわからないまま、わたしはこの仕事と出会い、いまだに実態と名称がなかなか自分の中で一致しないのだ。いわばマリトッツォの何たるかを知らないままに食べている人にとって、その単語を認知するまではシュークリームみたいなパンとして食べられ、認知後もなかなかマリトッツォと口にしにくい、という状態とおそらく同じ現象である(異論があっても飲み込んで欲しい)。

そう、わたしは自分の仕事がマーケティングであると知らずに取り組んでいたのだった。大学時代も文字通りマーケティングの「マ」の字も知らないまま、まったく畑違いの古代日本史を専攻しながらのんきな毎日を送り、就活をし損ねて、卒業してからもしばらくいろいろなアルバイトをしながらふらふら過ごしていた。奈良の山道を登った先にある古代寺院の礎石を見たことはあっても、企画書に踊るカタカナやアルファベットは初めて目にするものばかり。恥ずかしながら広告代理店が何をしている会社かも知らないまま、まるっきり別世界に生息していた。

その後、縁あって入ったバイト先が商業施設の企画開発会社だったのだが、そこで後にそれがマーケティングであるとわかる仕事と出会うことになる。

社会動向、周辺環境、競合施設、生活者動向などのデータをかき集め、仮説を立て、調査し、事実を整理し、問題点を洗い出し、可能性と照らし合わせながら課題を抽出し、方向性を定め、時にワークショップを行いながらコンセプトを決める。コンセプトに沿った具体的なテナントイメージやターゲットイメージを定め、ユーセージストーリーを描く。

フィジビリスタディを行いながら現実的な落とし所を見極めていく。そうして飲食店からリゾート施設、公共施設等さまざまな施設開発に携わった。初めて聞く単語や初めて知る仕組みばかりではあったが、それがマーケティングであると知ったのはしばらくしてから。しかし、アルバイトから始めた仕事は初めて味わう手応えと高揚感、そしてこれ以上ないほどの魅力に満ち、輝いていた。

データを集めれば集めるほどさまざまなひらめきが生まれ、そのひらめきの魅力を他の人になんとかわかりやすく伝えたくて頭に浮かんだイメージを図で示し(後日それがチャートと呼ばれることを知る)、事実から発想までを整理しながら理解と共感、そして賛同をあおぐ。さまざまな事実がジグソーパズルのようにピタッとつながって生まれた発想やイメージが、どんどん現実のものになっていく醍醐味。

こんなに興奮できて楽しいことが仕事になるなんて!こんな仕事が世の中にあったなんて!生きていて良かった!この仕事に出会うためにわたしは生まれてきたのだ、と八百万を含む世界中の神様に感謝したいくらいの気持ちは、当時も、そして今もその思いは変わることなく続いている。

独立後、クライアントがデベロッパーから生活関連のメーカーに変わったものの、基本的に行っている内容に変わりはない。こうした一連の仕事をマーケティングと言っていいのならば、マーケティングはこの上もなく楽しく、わくわくし、時を忘れるほど夢中になれるものだ。眉間にしわを寄せて考えている姿を端から見たらとてもそんなふうには見えないようだが、本人はいつも極めて上機嫌にマーケティングと向き合っている。

上機嫌なことを書いているうちにそろそろ誌面がつきようとしている。「わたし」の話から始めたい、と言っておきながら、わたしの話しか書いていない。もう少し全体を俯瞰しながら書くべきだった。またしても反省せざるを得ない。

さて、言うまでもなくマーケティング・プロセスにおける網の目のように絡み合うデータやその読み解きは、これからもますます多様になり、複雑化していく。結果が求められるまでの時間はより短くなり、即断即決がさらに求められていくことも不可避だ。

マーケティングを取り巻く社会環境は変わり、マーケティングにおける人の役割も介在スタイルも著しく変わる。マーケティングのあり方も変わっていくだろう。わたし自身はこれまでマーケティングが活かされていなかった分野で、もっと役立てられるように働きかけていきたい。

そうしたマーケティングに対するわたしの願いは2つだ。ひとつはマーケティングに携わる人たちが上機嫌でありますように。経験を積んできた者の役割として、微力ながらこの数年は社会インサイトや生活者インサイト、コンセプトを導くコツなど、上機嫌に取り組む際の向き合い方やコツをお伝えしている。縁あってこの仕事に就いた人に、分析し発想する楽しさとその手応えを味わってもらいたい。

そしてもうひとつ。あなたが携わっている生き馬の目を抜くマーケティングも、別な誰かが日夜格闘しながら構築している洗練されたマーケティング・テクノロジーも、わたしが日々向き合っている地味で地道な泥臭い世の中インサイトも、いずれのマーケティングも社会、企業、そして何より一番マーケティングの恩恵を受け取って欲しい生活者から、今後も必要とされる存在であって欲しいと願う。

マーケティングそのもの自体のカタチはつかみどころなく、誰の目にも見えないかもしれない。けれども、わたしたちは確かに今ここで、時代の一端をつくっているのだ。

 


ツノダ フミコ
株式会社ウエーブプラネット 代表
暮らしを「再定義」する生活者研究・調査およびインサイト導出をはじめ、共感ストーリーを描くコンセプト開発を得意とする。激動する社会環境変化を読み解く「世の中インサイト」の導出も重視し、時代のうねりに見え隠れする微かな兆しから新たな価値を言葉化し、ソリューションへ導く。チームのインサイト導出力を高める協調設計技法 Concept pyramid®やインサイト ・ インタビュー手法、エッセンスを的確に伝えるための文章術研修も展開。

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