提言

提言 (54)

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2022年3月号『わたしとわたしたちのこれから』に記載された内容です。)

本誌「マーケティングホライズン」の編集委員長・片平秀貴さん。自らが取材をしたり、執筆したりすることはあっても、自身が責任者という立場の冊子において、「インタビューを受ける機会」というのは、当然ながらこれまでにはありませんでした。今回のテーマは「わたしとわたしたちのこれから」。片平さんはこれについてどう考えているのか、本誌編集委員の見山謙一郎、子安大輔の両名がぜひ聞いてみたいということで、異例のインタビューとなりました。

 

連載にあたって
マーケティングの重要な要素の一つは、その企業の思いを顧客に「伝える」ことである。日本のマーケティングでは、欧米を下敷にしているせいか、横文字(あるいはカタカナ)が多用されがちだ。日本には、「伝える」ことに対して、漢字というとても便利な表記文字がある。「伝える」を、あらためて考えてみると、漢字の奥深さに気づかされる。

 

例えば、車を運転している時、道路上に標示されている「とまれ」と「止まれ」では、どちらの方が素早く、その意味を認識できるだろうか。平仮名だけの「とまれ」では、文字を読んではじめて意味が通じるのに対し、漢字の「止」を使うと、見ただけで意味がわかる。運転中では瞬時の判断が必要なことから、平仮名から漢字表記に変わったという。漢字は、物事を一文字でわかりやすく伝える、はっきり伝えるという特性を持っている。

 

また、言葉や文字ではなく絵図で「伝える」という方法もある。言葉や文字で伝えるのが難しい、物事の真理や仏教の教えを、絵図を用いることで分かり易く、伝え易くしたのがマンダラ(曼荼羅)である。ここで紹介する「漢字マンダラ」は、漢字とマンダラを組み合わせたものである。
筆者らは、長年、有志の勉強会(常盤塾)で、日常の仕事の背景にある哲学とか「こころ」をテーマに勉強を重ねている。ここで学んだことや思いを多くの人たちに伝え、そして共有する手段はないものかと思案してきた。そうした中で、ふと頭に浮かんだのが、「漢字マンダラ」であった。勉強会各回の話題を漢字一字で表し、関連の深い漢字を結び合わせ、束ねる―このマンダラによって「伝える」手段としての深まり、広がりを高めようと試みたのである。

 

漢字には、ヒト(人)が生きる姿、モノ(物)が存在する姿の断片が映し出されている。漢字マンダラはこうした漢字を有機的に繋いだ一つの統体である。このマンダラを日々の仕事の「思考の柱・行動の軸」として活用してみてはいかがだろうか、というのが筆者らの提言である。

 

さて、漢字の話からはじめよう。その年一年の世相を漢字一字で表現した「今年の漢字」は、今ではすっかり定着して、年末の風物詩ともなっている。昨年(2021年)の一位には「金」が選ばれた。2位以下は、輪、楽、変‥苦、勝、命までの20字が発表された。ちなみに、一昨年(2020年)選ばれた「密」は、新型コロナウイルスに対する人々の意識、生活・行動様式を表現した漢字であった。いま、この密の一字が人々の価値観やものの考え方、行動のあり方を変えている。

 

最近は同じ「今年の漢字」でも、年末ではなく、新年の願いや意気込み、どんな年にしたいかをランキングする企画もあるようだ。年始にその年の抱負を漢字一字で表現し、机の前に貼っておくことで、その思いを一年間忘れないようにするというのもよいアイデアかも知れない。

 

1.漢字とは

漢字一字で、その年の世相や思い、願いを表現できるのは、漢字が表意文字であるからだ。漢字一つ一つが豊かな意味を持ち、その形、響きが人それぞれの想像を喚起する。漢字とは物事を表現するひとつの始原の媒体であり、その意味の深さ、広さ、大きさを伝える力強さの源なのである。さらに、漢字を使うことで、発信者の思いを受信する側に押し付けるのではなく、相手の価値観や評価する尺度で、受け手に多様な漢字の意味を感じさせる力がある。

 

また、日本語には印象を深める表現として、「一語文」という手法がある。一語でわかりやすく伝える、物事をはっきり伝える方法である。よく目にする例をあげれば、トラックの後ろに貼られている『危』の文字だ。「危険物積載」と書かなくても、『危』という漢字一字を見ただけで、このトラックは危険物を積んでいるということがわかる。さらに「危険物積載」という表示の場合は読まなくてはならないが、『危』一文字ならば「絵」として捉えることができるという面も見逃せない。

 

以下、漢字一字を効果的に使っている身近な例を挙げてみる。

 

先日、散歩の途中、近くの神社に立ち寄ったとき、祓(はらい)門に「祓」、「清」、「守」、「幸」の四字が刻まれているのを見かけた(図1)。参拝するときの唱えごとである「祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え」を四つの漢字で表しているということのようである。

図1.祓門の四字


将棋や囲碁の棋士は、好きな言葉や座右の銘、信念や哲学が反映された言葉など、思い思いの字を色紙や扇子に揮毫する。二字や四字の熟語とともに、漢字一字の場合も少なくない(例えば、夢、心、忍、氣、道、凛、爽、‥)。対局の際には、異なる字が書かれた扇子を持っていき、その時の気分、対局の相手によって扇子を使い分けるそうだ。たった一文字で気分を高揚させたり、静めたり、攻守の姿勢が変わるという。

 

最近、マーケティング(宣伝・広告)分野においても、漢字一字で、その商品の印象を深める効果を狙った事例をよく目にする。例えば、ある紳士服メーカーでは、商品の機能や特徴「動きやすさ・着やすさ・機能性」について、それぞれの〈・〈〉・〈〉を大きく太く強調して、ひと目でその機能や特徴が伝わるような表現をとっている。

 

同様な手法はある高齢者向けマンションのマーケティングにも見られる。その住居のコンセプト「住空間・食事・支援・安心安全・医療介護」について、それぞれを漢字一字〈〉・〈〉・〈〉・〈〉・〈〉で表現し、これら五つの漢字を大きく並べて、入居への関心を呼び起こしている。

 

話は変わるが、解剖学者の養老孟司氏も漢字について興味深い話をしている。その中のいくつかを紹介しよう。養老氏は、漢字一文字をお題にして、世の中の出来事を独自の視点で語るコラムを新聞に連載しているそうだ。執筆を通して、「その漢字を決めるとき、モノを表す具体的な文字よりもコトを表す抽象的な文字(遊、働、‥)を選ぶ方が面白い。話に深みと広がりが出てくる。」とラジオ番組で話していた。漢字には、その漢字が持つ意味に深さと広がりがあり、一字で多義的な表現ができるという特徴がある。

 

また、漢字と漫画の共通性についても指摘している。「漫画の絵は漢字で、吹き出しのセリフはルビ、つまり漫画はルビを付けた漢字である。」と述べている。漢字は、もともと、形や概念を表わした図を簡略化してできたものである。日本人はその漢字に、大和言葉をあてて訓読みを加えた。つまり漢字という「絵」に、その説明となる言葉を組み合わせているので、漢字と漫画は同じというわけだ。漢字はぱっと見ただけで、その意味を感じ取ることが出来る特徴を持った文字なのである。

 

2.マンダラとは1)

ここまで、漢字には一字を見ただけで、その意味の深さや広さを捉えることができるという特徴について論じてきた。次に、タイトルの「漢字マンダラ」における「マンダラ」の話をしてみたい。

 

筆者らは、これまで20年近く毎月、有志で勉強会を開いている。ここで勉強した中身をまとめ、われわれの思いを多くの人たちに伝えることはできないかと考えていた。いろいろとまとめ方を考える中で、勉強会での小話(会のはじめの常盤の話)を一語で表してみる、すなわち漢字一字であらわす「一話一語」という形で整理することを思いついた。さらに、その一話一語の中の文字には互いに繋がりがあるので、関連性の深い文字を束ねていくと、マンダラ(曼荼羅)の絵が思い浮かんできた。そうして、ひとつのマンダラの絵で、我々の思いとか、皆に伝えたいことを表現できるのではないかという考えに至ったのが経緯である。

 

マンダラとは、仏教の秘密の教えを説く「密教」が、世界の構造や心の構造に関する真理を、言葉や文字ではなく、視覚を通して伝えるために開発した図像である。幾何学的な構成と強い対称性を有しているのが特徴である。もともとインドの言葉をそのまま音訳しただけのものであり、「輪円具足(りんねんぐそく)」、円くて完璧なものと意訳できる。

 

マンダラの意味や目的については、空海の言葉がもっとも端的に物語っている。「密蔵は深玄にして翰墨(かんぼく)に載せ難し。更に図画を仮りて悟らざるに開示す。」(『請来目録』)(密教の教えは深く神秘的なために、文字では伝えがたい。そこで図像を用いて、理解できない人の眼を開くのです)

 

密教には、最高の真理を伝えるのに、言葉では不可能でも、シンボルをはじめ図像なら可能という発想があった。さらに、文字を目で追い、理解するには、大変な時間が必要となるが、図像であれば、一瞬でこと足りるというメリットも大きかった。

 

インドで生まれたマンダラも、空海が中国から持ち帰ると、日本独自の進化を遂げている。最も有名なマンダラとして、胎蔵マンダラ(図2)と金剛界マンダラ(図3)が挙げられる。それぞれのマンダラに描かれた仏菩薩の構成について簡単に説明する。

    図2.胎蔵マンダラ              図3.金剛界マンダラ

 

胎蔵マンダラは、大日如来を「あらゆる事物を生み出す子宮(胎)」とみなす『大日経』の世界観を描いている。マンダラの中心部を占める正方形の領域の中心に坐す如来像が大日如来であり、その大日如来の周囲には、この如来から生み出された多数の仏菩薩と神々が並んでいる。

 

一方、金剛界マンダラは、『金剛頂経』に記された究極の真理の世界「金剛界」を描いたものである。九つの区画から構成されており、最も重要なのが、「成身会(じょうじんね)」と呼ばれる中央の区画である。成身会には、金剛界三十七尊と呼ばれる仏菩薩が並び、その中央には、金剛界五仏(大日如来+四仏)が配置されている

 

このように、マンダラというのは、密教が説く世界の構造や心の構造に関する真理を俯瞰したものである。そして、漢字と同様、それを見ただけで、その意味の深さや広さを捉えることができるという特徴を持つ。そういう意味では、マンダラは、一つの大きな漢字と捉えることもできるであろう。

 

そうしたマンダラは、仏教の世界観を示したものであるにもかかわらず、キリスト教圏である欧米においても研究され、活用されている。特に精神医学とは最初から深い関わりがあった。精神医学者のカール・グスタフ・ユングは、マンダラと関わることで、人間の精神状態を安定させるのに効果があることを発見した。その後、欧米に在住するユング派の精神科医や心理学者が、マンダラ型の塗り絵を考案し、精神医療の治療に使用している。

1)正木晃『NHKこころの時代~宗教・人生~マンダラと生きる』NHK出版、2018年

 

3.漢字マンダラ
以上、漢字とマンダラについて、その特徴について述べてきた。そして、両者を組み合わせて、実際に作成してみた漢字マンダラなるものを図4に示す。

図4.漢字マンダラ

 

前述したように、この漢字マンダラは、筆者ら有志の勉強会における「思い/想い」そのものである。この勉強会は、ブランドや経営における哲学をテーマとして発足したものであるが、その根底に東洋思想から学ぼうという意識がある。そのため、その思いは東洋思想をベースとした世界観を表現したものが出発点となっている。

 

具体的な構成や中身の漢字の説明に入る前に、漢字とマンダラを組み合わせた意味合いについて、筆者らの考え方を簡単に触れておきたい。

 

ものごと全体あるいはものごとの本質を表わそうとした時、漢字は多義的な表現ができるとはいえ、一文字だけで表わし切ることは難しい。一方、漢字一字一字は、他の漢字とも深く関わり合っているので、他の漢字と結びつけることで、より幅広い表現が可能になる。そのためには、他の漢字との関連性を知ることが大事である。漢字マンダラは、全体を構成する一つ一つの文字をつなぎ合わせ、結び合わせたものである。例えば企業で言えば、経営とか仕事の本質とか、思考の柱、仕事の軸、そういう全体的なものを表わした一つの大きな「文字群」だと考えればいい。

 

ちなみに、胎蔵マンダラも金剛界マンダラも、大小さまざまな仏菩薩と神々を組み合わせて、密教の教主である大日如来の説く真理や悟りの境地を表現している。つまり、漢字マンダラの一つ一つの文字を、マンダラを構成している一体一体の仏菩薩や神々とみなせばいいのである。

 

別の言い方をすると、漢字マンダラを形成している一つ一つの文字は、それぞれを有機的に結び合わせることによって、個々の漢字を超えた大きな「漢字」となり得る。そこには、一字では表わせない思考とか発想が湧いてくるはずだ。文字の繋がり、つまり文字と文字の相互作用の中から、新しい思考とか発想が生まれてくるのである。

 

それでは、図6に示した漢字マンダラについて、具体的な構成と漢字の意味を解説していく。ちなみに、今回は、漢字マンダラの全体構成および中心を構成する漢字についてのみ触れることにする。中心から広がった漢字については、次回以降解説をしていく予定である。

 

まず、中心に “天地人”を置いた。これは、マンダラにおける大日如来に相当する。『易経』(説卦伝)に「天地人三才」という言葉がある(才とは資質、能力、知恵の働き)。自然と一体化した仕組みの中で生きなさい、仕事をしなさいという教えを説いている。“天”という言葉は天の働き、つまり大自然の理を指している。対する“地”とは大地のことで、大地は太陽の光、雨、風など天の働きを受けて万物を生み出している。“人”は天と地の間で天の才、地の才をいただいて、それを体現化する。実際に形にするのが人の働きで、天地人三才の思想は、古来より組織論や教育論に結びついてきた。

 

また、中心の“天地人”に対して、“”を最上部に、“”を最下部に配置した。古代インドには「梵我一如」という思想がある。“梵”とは宇宙の最高原理を意味するブラフマン、“我”とは自我(自己)を指すアートマンのことで、両者は本来同一のものであり、そのことを本当に悟ることができることが人間の最も理想的な生き方である、という考え方である。また、中国にも同様の「天人合一」という思想がある。“天”とは宇宙・大自然であり、“人”とは人間そのものを指している。天が人に投影し、人の身体や心が天と通じ合っている、つまり、大自然と人間とはひとつながりという考え方である。これらの東洋思想に基づいて、“梵”と“人”という漢字を選んだ。

 

 次に、金剛界マンダラの四仏に相当するのが、“”、“”、“”、””である。ここからの漢字は、次回以降に個別に解説をしていく予定なので、今回は概説にとどめる。

 

東洋哲学思想では、その自然から生み出された人間は、自然の“知”、自然の“理”によって生きるのが最善の生き方とされている。そして、“道”とは、万物を生み、成長させる根源であり、本来自然より授かった生きるべき正しい方向とでもいうべきものである。それに近づき、体得することが人間として正しく生きることにつながる。また、古代中国の自然観・自然哲学を集大成した書である『易経』(陰陽思想)では、大自然が私たちに教えてくれている最も大切なことが、「変化こそがものごとの本質であり、変化は常態である」ということである。その変化を表わす漢字が、“変”である。

 

そして、”変”および“知”、“理”、“道”に対して、胎蔵マンダラや金剛界マンダラにおける大小さまざまな仏菩薩と神々に相当する漢字を置いた。“変”に対して “”、“”、“知”に対して“”、“”、“理”に対して“”、“調”、“道”に対して“”、“”である。

 

さらに、それぞれの漢字に対して、繋がりの深い漢字を6字ずつ選んだ。例えば、“変”につながる“革”であるが、“価”、”蛻”、“解”、“換”、“捨”、“擬” の6字とした。次回以降、個々の漢字に対する筆者らの思いを述べていく。

 

 4.漢字マンダラの効用

以上、筆者らが考案した「漢字マンダラ」を紹介した。漢字には、その意味の深さ・広さ・大きさ、加えて、各文字の繋がり・関連性により新たな思考や発想を生むという特性がある。このマンダラは、その漢字の特性を生かし、日々変化する仕事のあり方、仕事の本質とは何かといった問い、さらに広げて人の生き方、在り方を表わしたものである。別の言葉で言えば、このマンダラは、日々の仕事について考えるときの柱、仕事に取り組む際の軸となるものである。

 

この漢字マンダラを、例えばマーケティング(特に広告、宣伝)に活かすことができないだろうか。ある開発商品に対する思いや価値観を、生産者と消費者で共有できれば、それは両者にとってよい繋がりをつくり、次なるよりよい商品の開発に繋がっていくことになる。

 

ピーター・ドラッカーは、「マーケティングとは単にモノを販売する活動以上のものであり、一つの機能や専門化された活動と考えてはならない。また、何よりも人をよく知ること、マーケティングとは人間学である」という主旨のことを述べている。人間学とは、平均値で消費者を描くことをやめ、消費者の感情や行動、動機を深く掘り下げること、すなわち消費者の心の琴線に触れる洞察である。いかにして消費者の心をとらえ、そして訴えていくか、ここにマーケティングの出発点がある。

 

また、スティーブ・ジョブズは「マーケティングとは価値観だ。顧客に伝えるべきは商品の性能や他社より優れている点ではなく、我々が何者で、何のために存在しているかだ」と述べている。

 

現在は欧米、特に米国を手本にしたマーケティングが主流である。そのため、横文字(あるいはカタカナ)マーケティングとなりがちである。顧客である日本人に対しては、横文字やカタカナではなく、漢字の方が生活文化に訴える力がある。漢字やマンダラを通したマーケティングは日本人の心に訴える媒体、また手法となり得るはずだ。

 

そして、こうしたアプローチは、ドラッカーの言う「マーケティングとは人間学である」、ジョブズの言う「我々は何者で、何のために存在しているのか」の問いに答える手助けになると期待できる。漢字を活かした日本らしいマーケティングが今こそ、古くて新しいのではないだろうか。

 

漢字マンダラで、自分たちの思いを多用、多面的に表現してみた。そうした人の心を出発点とするマーケティングというものを、われわれは考えるべきではないだろうか。漢字は、幸いにも、そういう思いを伝える重要な媒体、手段となる。そうした漢字を使ったマーケティングがもっとあってもよいのではないかというのが、筆者らの提言である。

 

以上、「漢字マンダラ」について述べてきた。これは、今後の企業の経営、そして日々の仕事の在り方における「思考の柱・行動の軸」となると信じている。なお、図4の図形をよりマンダラ風のデザインに替えてみるのも一案である。例えば図5のような絵図からは、何かしら躍動感といったものを感じられるようになる。