マーケティングホライズン2022年11号

研究営業が描く、研究・技術の Another Horizonと、現在地

ソニーコンピュータサイエンス研究所は、ソニーが100%出資するにも関わらず、ソニーのビジネスよりも、人類・社会に貢献することを重視する、少し変わった企業研究所である。そして、この研究所には、研究を営業する部隊がある。この部隊を創設時から率いる夏目さんに、ソニーコンピュータサイエンス研究の現在地(Step)と、その先に描く未来像(Another Horison)についてお話を伺った。

ソニーコンピュータサイエンス研究所とは?

───非常に面白い取り組みをされている研究所として、私個人はソニーコンピュータサイエンス研究所を定点観測させていただいていますが、ご存知でない方もおられると思うので、あらためて、研究所についてご説明いただけますか。

夏目 ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL)は、ソニーグループの研究所です。ご存知のとおりソニーの中にはゲーム、音楽、映画や、半導体、エレクトロニクス、金融など様々な事業会社があり、開発部門を持っています。それに対し、我々はこれらに属していない独立研究部隊となっており、ソニーの吉田CEOにダイレクトにレポートしています。

設立は34年前の1988年に東京で、その後、パリ、ローマや京都にも拠点ができ、現在は世界4拠点体制となっています。最近できた京都もローマも非常に小さい拠点です。研究員は全拠点合わせて35人という規模です。

───この先、どのような世界観を研究所としてイメージしているのでしょうか。 
夏目 ソニーCSLの北野所長は、「想像を超える未来を創ることに貢献していく研究所」を掲げています。これは単純に効率追求だけではない、未来へと進むために必要となる新しい技術の形、社会の形みたいなところだと思います。ただ、どのような未来を考えるかは研究員によって異なるので、研究所は研究者のイメージを実現するためのプラットフォームのような役割なのだと思います。

研究所のミッションの変化点と変わらないこと

───なるほど、研究所は研究者の未来像を実現するためのプラットフォームなのですね。昨年、研究所のミッションが変更になったようですが。

夏目 北野所長の考えで、「人類とこの惑星の未来のための研究をする」に変わりました。「この惑星の未来」というスコープを入れたのが1つの変化点で、もともと「人類の未来のための研究」のようなことを標榜していたのですが、人類の未来だけを考えていても仕方がないという状況なので、人類だけでなく、この惑星上のすべてのものに対してどのような形で貢献できるかを研究しよう、ということです。

───「地球」ではなく、「この惑星」としたことに意図を感じますね。宇宙全体の中でのオープンシステムサイエンス、のようなイメージも、きっとあるんでしょうね。

夏目 我々は宇宙の研究もスタートしているので、そういった部分もあります。一方、人類、社会並びにソニーへの貢献のようなところは変わっていません。また、ソニーのビジネスになるかよりも、人類・社会に貢献することの方を優先、重視する姿勢も変わっていません。

───どの事業会社にも属していない独立研究部隊という特徴を生かしていますよね。研究テーマは変わってきていますか。

夏目 当初は、コンピューターサイエンス中心の研究で、OSの研究とか、ネットワークの研究とかを行っており、その後、システムバイオロジー、経済物理学、インタラクションへと拡張していきました。現在はさらに多くのテーマが研究されています。

現在の研究テーマを大きく区分すると4つになります(図)。1つ目はHuman Augmentation(左側の青い部分)で、テクノロジーの力を使って人間の能力をどれだけ拡張できるかという研究で、義足や認知の研究、音楽の演奏の研究や作曲の研究を行っています。

2つ目が、Cybernetic Intelligence(真ん中下)という分野で、これはデータ分析やビッグデータ分析をベースに、AIなどを使い、例えばカスタマーセンターのようなことをやったりしています。

3つ目はFundamental Science(真ん中上)で、システムバイオロジー、経済物理学や認知脳科学といった学術研究を行っています。

4つ目が、Global Agenda(右側の黄色い部分)で、言い換えるとサステナビリティのような領域です。農業やエネルギー、宇宙といった地球規模の問題へのアプローチなどを行っています。

───研究テーマは、どのように決められているのですか。

夏目 その点においては、我々の研究所の特徴が2つあります。1つ目が、研究者が完全に研究、研究テーマ設定の自由度を持っているということです。各研究者が、これから重要だと自分が信じることを研究している、というのがスタイルで、テーマを変更することも各研究者に任されています。もう1つが、個々の優れた研究者が集まって多彩な研究を行っているということです。例えば茂木健一郎さんという、脳科学の研究者が我々の研究所では有名ですが、茂木さんは1人で脳科学の研究をやっています。このように、1人もしくは2~3人ぐらいという非常に小さいチームで研究をやるというスタイルです。多くのメンバーが同じテーマの研究を行う、事業部門の研究とは大きく違うスタイルです。

───研究者は、どのような評価体系に基づき、評価されるのでしょうか。 

夏目 基本的には北野所長が判断するのですが、「人類・社会に貢献する」という、研究所のミッションに合致しているかは見られます。でも、毎年人類に貢献できるわけではないので、それに向かって前進しているかというところが評価されるのだと思います。例えば大きな発見をして、みんなが参照するような論文を書くのも1つの成果ですし、オープンソースの、みんなが使えるものを作るというのもあると思います。また、ソニーの製品の中に搭載されるような機能になるものを開発するというのもありますし、自分の研究をベースに起業する、というのも成果です。いずれにせよ、大きな成果に向かって動いているかが問われていると思います。

───ミッションを決める際には、みんなで話し合って、共通の世界観をつくろう、となりがちですが、個々の研究を俯瞰的に捉えた姿が明文化された感じですね。個々の研究者が研究所ミッションと自分自身の研究を相対化させ、様々な解釈のもと、研究活動を行っている、というのはいいですね。

夏目 研究員が全員集まる会や、研究発表もあるので、世の中の流れや、今後大事になることが、似てくる部分もありますよね。ただ、今後の方向性は、あくまでも現時点の価値観であり、10年後のことは10年後になってみないとわからない状況ですね。

研究営業と、研究の社会実装の現在地

───夏目さんは、テクノロジー・プロモーション・アンド・デプロイメント グループのグループ長ですが、単に研究をプロモーションするだけでなく、それを展開、社会実装していくことがより強調されている印象を受けますが。

夏目 その通りです。1つがソニーグループへの技術移管で、例えばワンタッチという簡単接続の技術は、2000年頃に研究され、2012年頃にソニー製品に実装されました。

もう一つは社会実装は、スピンアウトで新たな会社を立ち上げることです。本当に新しいことは、まだソニーも他社もどこもやっていないので、そういうものについては、会社をつくって社会実装するという形です。私はKoozytに携わりました。

研究営業の本質

───夏目さんは、テクノロジープロモーションオフィス立ち上げから、ずっと携わられていますが、研究を社会実装することがミッションで、社会の状況を判断される部分と、研究者個人の思いを実現するという狭間にいるのではないか、と思います。研究と社会実装をブリッジする役割の夏目さんが、特に強く意識されていることはありますか。 

夏目 難しい話ですが、我々の役割は、研究を社会実装するための相手探し、マッチングだと思っています。よく、マッチングをするための目利き力を聞かれますが、正直それほど目利きができるとも思っていません。基本はやはり様々トライしていくことだと思っています。ただ、やみくもでは効率が悪いので、ある程度のセンスは必要だとは思います。我々の活動を「研究営業」と呼んでいますが、研究を営業するための基本は、とにかく量をこなすことだと思います。その際、研究の手数、量も重要です。1つの研究だけをプロモートしようとしてもタイミングが合わなければだめですが、予め、複数の研究を携えて訪問した際、相手側の興味、関心がわかれば、それを掘り下げることができます。数ある研究をとにかくぶつける、ということが重要ですね。

───まさに壁打ち、マーケティングの基本かもしれませんね。こうした一つひとつの体験が、夏目さん自身の経験値として積み上がっているんですね。

夏目 相手側のニーズは、どんどん変わっていくので、そのニーズをこちら側が推し量るのは無理だと思うんですよね。

───確かに、相手のニーズに先回りはできないですものね。

夏目 カメラの事業部にプレゼンに行った際、カメラの事業部だから、画像関係のものを準備して行ったんですが、話をしてみたら音楽系のものはないのかと言われたのです。理由を聞いてみたら、画像と音楽との融合を模索していたと言われて、こちら側としてはカメラの事業部が音楽の技術を探しているかどうかなんて全然わからないわけです。こちらで決めつけるのではなく、数を打って、相手側の反応を見ることが重要ですね。

───世の中自体が流動的なので、求めるものも都度都度変わっていく、ということですよね。ソニーコンピュータサイエンス研究所のベースにある、オープンシステムサイエンスの考えは、システム設計の最初から変更が加えられることが前提だと、捉えています。これこそが、変化を受け入れることが前提になっている、ということですね。

夏目 その通りだと思います。オープンシステムを意識している部分もあって、1つのやり方にあまりこだわらないというか、技術が100個あったら100種類、実用化する方法があると我々は思っています。何かステップがあって、このステップ通りにやれば実用化できますよ、みたいな話があると思いますが、そうではないと僕は思っています。マーケットに出して、いきなりバズっているものもあれば、ずっと温めてから出すというものもあると思います。世の中の状況はどんどん変わっていくので1つのやり方にとらわれずに、ほかの方法はないか、色々と試していく必要があると思っています。

───我々がどこを目指していようが、今、立っている現在地自体も常に流動的ということですよね。夏目さんがこれまでと今を比べて、大きな変化を感じていることはありますか。 

夏目 やはりコロナ禍で、リモートの価値観がすごく変わったと思います。それに伴って、いろんなことが「観測」できるようになったと感じています。我々がプロモーションしている中で、データサイエンス的なテーマもありますが、それが今すごく引っ張りだこになっています。今まではリアルな世界の中で、なかなか「観測」できなかったことが、リモートの世界に移っていろいろ「観測」できるようになった。もしくは、リアルの世界でも、センサーとかが広がって「観測」できるようになってきました。大きなデータを処理して、いろんなことを導き出す、そういうことに関するニーズがすごく高まっていると思います。

───「観測」という飾らない言葉は、研究的でもあり、マーケティング的でもあり、いいですね。

夏目 そうですね。例えば昔は音楽というのはCDで聴いていたわけですよね。CDというのは一旦販売すると、どこで聴かれたか全然わからないのですが、今はストリーミングの時代ですから、ストリーミングであれば、どこで何時何分、誰が何秒から何秒まで聴いたのか、スキップしたのかどうかというのも全部データとして見えるわけですね。そのような「観測」から見えてくる新しいなにかがあると考えています。

研究営業が見据える未来

───研究営業のおもしろさ、醍醐味は何ですか。 

夏目 今、何が起きているのか、ということを知れることが、この仕事の醍醐味だと思います。新しい研究が出てきたときに、その研究をどこに持っていくかを考えることは楽しいです。この業界は何を欲しているのか、この事業は何を欲しているのかを聞いてまわることが重要ですが、予想外のニーズがわかったときは、ドキドキしますね。研究者はその研究が何に使われるかということを想定し、主たる目的みたいなものがありますが、そうではない、違うところに大きな出口を発見したときは本当にドキドキします。

───イノベーションって、そういうところから起こるのでしょうね。あとは、タイミングも重要ですよね。

夏目 研究営業というのは、研究開発から事業化に持っていくためのブリッジ的な役割ですが、死の谷が10年ぐらいあったりします。その場合は、10年間を乗り越え事業化に持っていかなければなりません。研究者は基本的に新しもの好きですが、最新のものというのは世の中が追いついていないものもたくさんあるので、最新のものよりも10年前にやっていたもののほうが今の事業にはフィットする可能性もあるわけです。そういうものを時間の経過を超えて我々の研究営業がつなげていく必要があります。その1つの仕組みが “Technology Cold Sleep”です。これは、将来の医学の進歩を信じて人体凍結するのと同じように、将来的に使われるかも知れないという研究を、未来のために凍結しておく取り組みです。この仕組みには、解凍するときの担い手である継承者が重要と考えており、基本的に一番若い研究者を継承者にします。

───凍結する、という判断にも、覚悟がいりますよね。

夏目 そうですね。僕が思うのは、研究そのものを残すためには、組織そのものも残しておく、という方向になりがちです。しかし、組織を残すとなると、当然、コストもかかるし、タイミングが来るのを待たなければなりません。それが10年後なのか、20年後なのかわからないとなれば、きっぱりと一旦終結させる。でも、将来、復活させられるように凍結しておくことは重要ではないか、と思います。

───お話をお伺いし、フォアキャストでもバックキャストでもなくて、どこに向かうかはわからないけど、今とは違う未来が必ずある、ということだけはわかっていることを前提とされていることが理解できました。そこに向けての現在地そのものも、実は、日々、刻々と変わっているわけですよね。

夏目 その点については、僕自身が次にどのようになるのかは、見えていないと思います。そもそも、未来を見通すことが僕の仕事とは思っておらず、むしろ、それを見通しているのは一人ひとりの研究者だと思います。研究者が、これからの世界にはこれが必要だと思うから、自分はこれを研究するのだと。これで世の中を変えたいと思っているわけですよね。僕は研究者に伴走して、一緒に走っているという感じですね。

───本日はありがとうございました。


<Impression>

自分たちよりも未来が見えていそうな人に限って、本人はそうではないと思っているような気がします。目の前の課題に懸命に取り組み、状況が常に変わることを前提に、それ自体を楽しんでいるように見えるからこそ、傍から見れば、未来が見えているのだと思うのかも知れません。現在地という、未来に向けたStepそのものが、日々、流動的である以上、未来像そのものも、日々刻々と変わることが前提なのかも知れません。

(Interviewer:見山謙一郎 本誌編集委員)

 

夏目 哲

株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 
TECHNOLOGY PROMOTION & DEPLOYMENT GROUP グループ長
TECHNOLOGY PROMOTION OFFICE シニアゼネラルマネジャー

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