マーケティングホライズン2023年6号

「人間という不思議」に向き合い続ける 〜お金では買えない  価値を生み出すために〜

─── 小田桐さんといえば、マーケティングホライズンの挿絵を20年以上にも渡ってご担当いただいております。毎号、テーマに沿ったイラストが目次ページに掲載されていますが、それはまさにメッセージが一目で伝わるように「Simplify」された作品で、いつも表紙を開く度に感激しておりました。

今回は、イラストレーターとして数々の名作を手掛けられるだけでなく、長年に渡ってCMプランナーとして国内外から高い評価を得られてきた小田桐さんに、本号のテーマについて是非お話をお伺いしたいです。CMは15秒や30秒といった制約の中で、削ぎ落とされたメッセージを消費者に伝える手段であると思うのですが、どのような技術が必要だとお考えでしょうか。

問題を創るということ。

小田桐 たしかに、広告の技術は何かというと、それは「シンプルにしていく技術」だと言えます。シンプルにするためには、無駄を削るということは当たりまえなのですが、実はその無駄の見極めが難しい。一見、無駄に見える情報の中に大切な問題が隠れている場合があるからです。

「問題が違えば答えも変わる」というように、「問題」のつかみ方をシンプルにしていく過程で間違えてしまうことがよくあります。「シンプルにする」は「正しい問題を発見する」過程でもあるのです。つまり、問題の「本質」をつかむ。「答え」は易しいのです。ただし「正しい問題を発見すれば」の話ですが。

特に広告においては、問題は昔ほど単純ではありません。今、ほんとうに求められているのは「問題を発見し、問題をつくる力」です。「ビッグデータ」とか、今盛んに言われている「ChatGPT」はまさに私たちの「問題をつくる力の低下」に対して、AIの挑発とも言えます。一方で、経営者たちの「問題を発見する力」の低下も「AIだのみ」の情けなさにつながっていると思います。

人間という不思議に向かう

小田桐 広告は「科学とアートでできている」と言います。「科学」はデータとかさまざまな論理的なものですが、「アート」はまさに人間の「エモーショナル」そのもので、取り扱いにくく気ままです。芸術があるのは、そのわかりにくい不思議な心の動きを知りたいためにあると言って良いと思います。不可解な人間を直感的に理解するのは、芸術的な素養が必要なのです。そこから新しい「問題」を発見し、作ることができるのです。
僕が若い頃、社長たちに呼ばれてよく一緒に食事をしました。彼らは映画や絵の話をすごくしたがりました。僕のようなクリエイティブをする人間は、自分たちが学生時代に見たり聞いたり、あるいは自分が感激した芸術の話をするのに都合が良かったのでしょう。けれど今の経営者たちは芸術についての話はこれっぽっちもしないし、知らないし、そもそも関心がない。経済一辺倒になってしまったということです。だから、難しい問題に直面した時に対処できないのです。

お金では買えない価値を売る

───エモーショナルな経験を共有できる土壌が必要ですね。

小田桐 そうですね。広告業界で言えば、クライアントの宣伝部は僕たちの仲間だったのです。一緒にものを作り、そして一緒に世の中をひっくり返すための企みを本気で考えてやっていました。損得なんて全く考えずにやっていると、ドキドキするし、冒険もする。たとえ痛い目に遭うことになっても「もしかすると世の中が大きく変わるかもしれない」と、共に未来を思い描くことはすごく楽しいです。クライアント側にそういう人間が増えていけば、必ず会社も社会も変えられる。

会社は人格を持っていて、それは時間をかけて作られます。僕はブランドの話をするときに、「企業の人格次第で、ブランドが良くなったり悪くなったりする」とよく言います。その人格というのは、個人だけの話ではなく、企業という家全体の家訓がしっかりしていないと育ちません。

結局、頭で考えた数字で人間を理解しようとする人たちだけでは、なかなかいい広告が生まれにくい。数字だけを見るということは、消費者を人間として見ずに、ビッグデータ、つまり罠に引っかかるタヌキかキツネといった獲物としか見ていないようなものです。ここに罠をかければ、必ずガチャン!と獲物が引っかかるといった具合に。 経営に、数字上の論理を持ち出さなければいけないことに本質的な正しさがあるかというと、僕は絶対にそうではないと思っています。広告の役割は、もちろん物を売る側面もありますが、お金では買えない価値を売っています。そして、まだ見ぬいろんなものを探し続け、人間の暮らしをより豊かにしていく仕事であると感じていますね。

広告は説得であり、科学とアート

───著書『小田桐昭の「幸福なCM」。』の中に、「広告は説得であり、科学とアートだ」というお言葉があり、とても印象的でした。

小田桐 科学というのは、教養と言ってもいいと思います。つまり、単なる直感ではなく、哲学、数学、そして自然科学なども含まれる論理立った世界です。しかし、論理だけでは人は動かないからこそ、アートという人間の不思議さが必要になる。その科学とアートの上に私たちの暮らしが成り立っていることを踏まえ、人間を説得するのが広告なのです。

人間を説得するということは、人間を騙すことではなく、「説得される楽しさ」があります。説得されるのが嫌だという人はもちろん多いですが、すごく気持ちのいい説得がある。「こんなふうに言ってもらえて、本当に良かった」「自分がもっと良くなりそうだ」と感じられるような広告をめざしています。だからこそ、説得される側も拒んでいたのにやられた!と感じる快感があり、それが消費者との対等な関係性だと思うのです。

広告は無視されるためにあると言われますが、それは我々の運命で、それを乗り越えたときに新しい価値が生まれる。そのためには、人間のことをよく知っていなければならないし、知ろうとしないといけない。効率だけしか考えていない人は、とてもじゃないけれど何も生み出せないわけです。

インサイトと呼ばれる「人の隠れた欲望」という考えがありますが、結局、深く考える習慣がないとなかなかそこへ行き着かないんですよね。深く考える習慣を身につけていくと、いつもいろんな疑問がたくさん出てきて、考えること自体が楽しくなります。

───小田桐さんの「深く考える」とは、どのようなアプローチ方法なのでしょうか。

小田桐 そもそも「考える」と言うと、大体腕組みをしていてなんだか辛そうに聞こえてしまいますが、そうではなく「言葉の手繰り寄せ」ですね。そうすると、考えること自体がすごくスリリングで楽しいものになる。広告、そして僕にとっても言葉はすごく大切で、最終的な答えに向かって、無数の言葉がずっとつながっていて、それを手繰り寄せていく。その行為が深く考えるということだと思っています。イラストも、言葉から考えて描いています。

そして、広告で一番大切な技術は何かと言うと、「単純化していく力」です。つまり、単純化すればするほど短くなっていくし、短くなっていけばいくほどスピードが上がり、人目に付きやすくなる。もっと言うと、短く突き詰めていくと意味がより深くなるのです。けれど、削ぎ落とし過ぎてしまうと、今度は人間らしくなくなってしまう怖さがあります。人間って、骨だけになってしまったら色気がないじゃないですか。

人間を人間たらしめるのは、皮膚の艶や汗の臭い、表情などです。それがあるからこそ、その人間のチャーミングさが出てきます。そういった大事なものまで削ぎ落としすぎて、失敗する人たちはたくさんいますね。今は何でも消臭すればいいような風潮がありますが、誰にでも臭いはありますから。全部無臭になったらちょっと怖いです。もちろん爽やかな匂いはいいけれど、消し過ぎて失うものもあるし、チャーミングでなくなるものもあります。単純な単純化は危ない。チャーミングさ、人間らしさが何かを見極め、そしてそれを残すことが大切ですね。

───人間を不思議がり、考えることを楽しみ、そして個々のチャーミングさを見落とさないことが、結果的に人を豊かにするブランドや組織づくりに生かされるのだなと感じました。これからも小田桐さんの毎号のイラストから学び、考え続けていきたいと思います。本日は、貴重なお話を本当にありがとうございました。

*本稿のイラスト4点は、約20年ほど前に本誌に掲載された「マーケティング戯評」と「目次」の作品となります。


(Interviewer:蛭子 彩華 本誌編集委員)

 

小田桐 昭(おだぎり あきら)

小田桐昭事務所 代表
クリエイティブ・ディレクター、イラストレーター
1938年北海道生まれ。1961年金沢美術工芸大学卒業、電通に入社。松下電器、国鉄、東京海上、資生堂などのクリエイティブディレクション。トヨタ自動車、サントリー等のクリエイティブ・スーパーバイザー。テレビ広告電通賞、サンケイ広告大賞、ACCグランプリを数回受賞。ほかに、カンヌ国際広告映画際金賞、銀賞、IBM部門賞、クリオ賞など海外でも多数受賞。広告のディレクション以外に、絵本、雑誌、装丁のイラストレーションも手がける。

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