ちなみに、漢字文化圏の中国、台湾、マレーシア、シンガポールにも「今年の漢字」があり、昨年の一位を見ると、中国は「隠」、中国以外の三ヶ国は「漲(みなぎる)」だった。“漲”という漢字は「上がる」という意味を表わし、ウクライナ戦争やコロナの影響により物価が上がったことが理由とのことである。
さて、その漢字であるが、第2話以降、漢字マンダラで用いた60の漢字について、その成り立ちと字意を簡単に紹介してきた。漢字とは絵文字(ピクトグラム)を簡単化、更に抽象化して線と点で表すことで、その漢字が有する意味や特徴を端的かつ簡潔に表す文字(表意文字)であることがよくわかる。
第1話の繰り返しになるが、漢字一つ一つには豊かで奥深い意味があり、その形、響きが人それぞれの想像を喚起する。漢字とは物事を表現するひとつの始原の媒体であり、その意味の深さ、広さ、大きさを伝える力強さの源なのである。さらに、漢字を使うことで、発信者の思いを受信する側に押し付けるのではなく、相手の価値観や物事を評価する尺度で、受け手に多様な漢字の意味を感じさせる力がある。
例えば、今年の野球WBCで日本が優勝したことは記憶に新しいが、監督の栗山英樹さんの好きな言葉は“信じる”ことだという。「信」という漢字は、自分自身(監督)を信じるときは「信念」であり、相手(選手)を信じるときは「信頼」となる。英語では、それぞれbelief、trustと全く別な言葉となってしまうのに対し、漢字は信という一字で監督と選手が一体となって勝利に立ち向う意気込みを表現できる。こうした面も漢字の奥深さの一つと感じられる。
マンダラ
次に、漢字マンダラの“マンダラ”について、もう一度簡単に触れておきたい。マンダラとはサンスクリット語で、本質、心髄を意味する“マンダ”に、所有を表す接尾辞“ラ”を付けた言葉である。したがって「本質を所有する・表現するもの」という意味である。
「本質を所有する」とは,仏の無上正覚(むじょうしょうがく)という最高の悟りを得ることであり、この悟りの真理を表現したのがマンダラである。これは円輪のように過不足なく充実した境地なので、「輪円具足(りんねんぐそく)」とも訳されている。その図像の特徴は、幾何学的な構成と強い対称性を有することである。そして、仏教の秘密の教えを説く「密教」では、世界の構造や心の構造に関する真理を、言葉や文字ではなく、視覚を通して伝える図像として、このマンダラを開発したとされている。
漢字には、その意味の深さ・広さ・大きさ、加えて文字と文字との関連・繋がりにより新たな思考や発想を生むという“力”がある。一方、マンダラは、図像を使い視覚を通してものごとの本質を伝えることができる。この漢字とマンダラの組み合わせにより、仕事の本質、仕事の在り方とは何かといった問い、さらに広げて人の生き方、在り方を問うツールになるのではないかと考えたのである。この漢字マンダラは、日々の仕事を考えるときの柱、仕事に取り組むときの軸となるものだと、筆者らは信じている。
漢字マンダラの構成
ここで、漢字マンダラの構成について、振り返っておく。連載を続ける中で、文字の配置を一部変更したが、基本的な構成は第1話と変わっていない。最終的な漢字マンダラは図1の通りである(写真提供:台東区)。
図1. 漢字マンダラ
まず、万物の根源に対する東洋の哲学概念である「天人合一」(中国)、「梵我一如」(印度)における“天(梵)”と“人(我)”を上下に配置している。“天”とは宇宙・大自然、“人”とは人間そのものであり、“梵”(ブラフマン)とは宇宙の最高原理、“我”(アートマン)とは人・自我を指している。天人合一、梵我一如は、ともに「宇宙・大自然と人間とはひとつながりである」という考え方であり、それを生き方の基本に置くことが、このマンダラの土台である。
また、中央には「人は自然と一体化した仕組みの中で生きなさい、仕事をしなさい」という『易経』の「天地人三才」(才とは資質、能力、知恵の働き)の教えから”天・地・人”を置いた。人は天(天の働き=大自然の理)と地(天の働きを受けて万物を生み出す大地)の間にあって、天の才、地の才をいただき、それを形にして実現するのが人の働きである。
天人合一、梵我一如、天地人の哲学的な思想の軸となるのが「大自然」である。東洋思想においては、この大自然こそが万物の根源をなすのである。そこで、万物を生み成長させる根源とは何か、それは”変”、“知”、“理”、“道”の四つの文字である。老荘思想では「“道”とは万物を生み成長させる根源である」と説いている。そして、その根源である大自然が私たちに教えている最も大事なことは「“変”(変化)こそが、ものごとの本質である」という言葉である。また、この思想では、大自然から生み出された人間にとって「自然の“知”、自然の“理”によって生きるのが最善の生き方である」とされている。
さらに、”変”、“知”、“理”、“道”に対して、それぞれの漢字が意味する内容から想起される漢字二字を選び出したのが、“革”、“創”、… “想”、“徳”である。さらに、これら八つの漢字に対して、その意味から想起される漢字をそれぞれ六つ思案し、配置した。これらの漢字を位階的に並べると、図2の通りとなる。
図2.漢字マンダラの建付け
変・知・理・道
ここで、”変”、“知”、“理”、“道”について、もう少し詳しく述べておきたい。前述したように、万物の根源をなすものは大自然であり、この四つの漢字は、大自然から想起される漢字の中で特に重要と考えたものである。第2話では、それぞれの漢字と自然との関係を述べたが、その要点を列挙すると以下の通りである。
・変:易経によると、自然が私たちに教えてくれている最も大事なことは、“変化”こそがものごとの本質であり、変化は常態である。
・知:動物や植物たちの生きざまや命の営みは、“知”に満ち溢れている。自然は、汲めども尽きぬ「知の泉」である。自然から知を汲み取れ。
・理:自然界には生きていくための掟、すなわち自然の“摂理”がある。生存し続けるためには、自然の摂理に則った道を選ばなければならない。
・道:老子は説いている。“道”とは、万物を生み、成長させる根源であり、本来自然より授かった生きるべき正しい道である。
ここで、少し話が逸れるが、東洋だけではなく、西洋からも同様の考え方が生まれていたことを紹介したい。自然は東洋思想の原点であり、東洋で育ったわれわれは、自然には、人間を超えた、何か或る大きな力を感じている。一方、西洋思想では、人間は自然より上位にあり、自然は人間が支配できるものという考え方がある。そうした中で、西洋にも東洋と同じ思考を持つ哲学者がいた。「神」と自然を同座におき一体化して「神即自然」という自然汎神論を唱えた17世紀オランダの哲学者スピノザである。今、小さなスピノザ・ブームが書物や新聞の文化欄で起きている。
スピノザの代表的な著書『エティカ(倫理学)』の中で、彼の基本的な思想を「神即自然」すなわち自然のさまざまな姿の奥に、普遍かつ唯一の実体である神が存在するという思想を説き明かしている。スピノザの汎神論は、すべての事物の中に神が存し、事物はすべて神の中に存するという立場に立つ自然汎神論である。これは、従来の人格神的な神を想定する汎神論とは一線を画し、神は自然を貫く非人格的、抽象的な存在であり、自然のどんな小さな事物も神そのものであり、神が多様に姿を変えて現れていると考えた。
ここで、スピノザのいう神を東洋思想と対比してみよう。神とは自然を生み出したものであり、神は自然の中に存している。その意味では、老子が万物を生み、成長させる根源が“道”だと説いたように、神と道は同じであると考えられるのではなかろうか。スピノザの神と老子の道とは何か相通ずるところがある。
また、自然の中に存している神とは、人間が自然の中から汲み出しているものと捉えれば、それは”知”であり“理”であると言うこともできる。ならば、スピノザの「神即自然」の「神」を「知」や「理」に置き換えてみるのはどうだろうか。自然は知・理の宝庫であるという意味で「知即自然」「理即自然」であり、神は自然の中に人間が必要とする知や理をあらかじめ置いてくださっているのである。
スピノザの「神は絶対的なものでありながら、決してこの世から超越し、自然から離れて存在するものではない」という思想に強く共感していていたのが、アインシュタインである。彼は「私は、存在するものの秩序ある調和の中に自らを現わすスピノザの神(=自然)は信じるが、人間の運命や行動に関わる神は信じない」と語ったといわれる。彼の新しい知の創造は、根源的な知を求める中で、自然という神との邂逅があったのではないだろうか。神即自然、知即自然とは、そういう意味である。そして、そこには、自然の持つ神秘さや不思議さに目を見張る「感性」、すなわち第9話「感→想」の項で紹介したレイチェル・カーソンのいう「センス・オブ・ワンダー」が欠かせない。
そもそも知という漢字の原義は「神を祀り、神に誓うことによって、神から授かるもの」である。神(=自然)が我々に授けてくれる知に、私たちはもっと謙虚でなければならない。自然が与えてくれる感動や喜びは、私たちが明日に向かって生きようとする勇気の源、私たちの生きる原動力となる知なのである。
繋がっている自然と社会
ここで上記のスピノザの思考を踏まえて、いま巷で飛び交っているDX(Digital Transformation)、GX(Green Transformation)、SX(Sustainability Transformation)などの社会変革の話題に触れておきたい。
例えば、企業においてはDX(デジタル技術による社会生活の変革)の取組みと言いながら、単なるIT(情報技術)化であったり、GX(脱炭素社会の実現に向けた経済社会システムの変革)と言いながら、環境問題の取組みそのものであったりするケースが多い。
ここで重要なのは“X”(目指すべき変革の姿)であり、“D”(デジタル)や“G”(グリーン=環境にやさしい)は、Xを実現するための手段なのである。このXすなわち目指すべき変革の姿をはっきりと描かず、DやGだけを強調し、やたらに語っていてはDX、GXは実現しない。ここで大事なのは「知(理)即自然」である。自然は知・理の宝庫であることを忘れてはならない。この知・理を汲み取り、自然との共生を目指す変革の姿、こうなりたい社会、企業、個人の姿を自分の頭の中に思い描き、これに向かって進んで行かねばならない。
Xを考える上では、第3話「蛻→革」の項も参考になるかと思う。ヘビ(蛇)のように「脱皮」して成長する生き物に対して、チョウ(蝶)のようにイモ虫から羽根が生えて飛び立つ姿へと「変態」(蛻変)する生き物がいる。脱皮ではそれまでの生き方に変化はないが、変態では、行動は二次元から三次元へと今までとは異なる世界がひらかれ、生きざまががらりと変わる。DXやGXの目指すXは、まさにこの変態でなければならない。企業も単なる脱皮で終わってしまうのではなく、変態しないと真の変革は起こらない。
変態するためには、モノやサービス、今までやってきた仕事のやり方を自ら否定し、新しい仕組みを創り出すことが必要である。また時には外部から力を取り込み、他社との協力、連携も必要であろう。変態してはじめて、全く違う世界が見えてくる。新しい世界を知ることができるのである。その結果が、企業の変革に繋がるのである。チョウの自然の中での生きざまは、DX、GXを考える上でのよいお手本である。
いま、盛んに叫ばれているSDGsについても同じようなことが言えるのではないか。大事なのは具体的な方策に入る前に、変革の姿を描くことである。自然と社会は切れ目なく繋がっている。このSDGsの取り組みの原点は「自然」であって、物質的、金銭的な視点ではない。知(理)即自然、知・理の源泉は自然の中にあることを忘れてはならない。自然がお手本なのである。
我が生活・仕事に活かす
さて、最後にもう一度、漢字マンダラの意味合いについて述べておきたい。我々は、何かを掴もうとするとき、何かを理解しようとするとき、必ず自然の偉大さや摂理につきあたる。また、自然の生きるリズム、自然の息づかいにつきあたる。あらゆる生きものには独自の生態環境と生活様式、固有の環世界(ウンベルト)があり、それぞれの種で自然との接し方や対応の仕方が異なる。人間も例外ではなく、自然の中の物質的・精神的な環世界で生きており、日々の暮らしも、職場での仕事も“自然”と離れては存在できないのである。言わば、人間と自然とは一如であり不二であり、「自然は我が師、我が友」である。そして、人と自然が融合し一体化することで“知”が生まれ、知を学ぶのである。自然は「知」の原点である。
それでは、いかにして自然に潜む知を汲み上げるか。上述したように、知を獲得するには「感」(感性)が不可欠である。では、「感」さえあれば、「知」は生まれるのだろうか。感は知を獲得するための必要条件であって十分条件ではない。そこには、感と知をつなげる「悟」(悟性)が必要である。悟については、第10話「悟→徳」の項で述べたが、私たちの身の回りにあるあらゆるものには仏の教えがあり、それに気づくことができるのは悟性のお陰である。禅語の「聞声悟道 見色明心」にあるように、古人は自然の音を聞いて世界の真実を悟り、眼に入った色や形を見てわが心がどういうものかを明らかにしてきた。つまり、悟性は感じたものを何かの形で表現する能力だとも言える。そして、その表現されたものを共有することで知につながるのである。
さらに、悟には「何故?」という問いがなければならない。何故という問いを持たないと、感じたものは、次の日には忘れてしまう。自然の教えを感じ、何故という問いを持つことで悟り(気づき)、それを共有することで新しい知に繋がっていく。そうした一連の思考や行動が人生や日々の仕事を豊かにしてくれるのである。
漢字マンダラには以上の意味合いがあり、まさに筆者らが言いたかったことである。漢字には、その意味の深さ・広さ・大きさ、加えて、各文字の関連・繋がりにより新たな思考や発想を生むという“力”がある。そしてこのマンダラは、人と自然との融合(天人合一・梵我一如)から始まり、万物の根源として重要な「変・知・理・道」および、これらから想起される漢字群の繋がりを表現することで、人の生き方、在り方を読者の皆さんに問うたのである。
繰り返しとなるが、あらゆる「知」や「理」は、大自然の中に潜んでいる。心を無にして自然に接し、畏怖・畏敬の念を持って、その知や理を汲み上げ、日々の暮らしに、職場での仕事に活かしていきたいものである。思わぬ変化が次から次へと起こる時代、人も企業もこれからどう生きるかが問われている。この漢字マンダラが、仕事の本質、仕事の在り方とは何か、といった問いを持ったときの、また日々の仕事において、ものごとを考え、行動するときの「思考の柱、行動の軸」となれば幸いである。
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謝辞:この連載に御尽力いただいた日本マーケティング協会の松熊慎一郎さん、発表の機会を与えて下さった丸の内ブランドフォーラム代表の片平秀貴さんに心より感謝を申し上げます。そして、この「漢字マンダラ」に最後までお付き合い頂いた読者の皆様、ありがとうございました。
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筆者プロフィール
常盤 文克(ときわ・ふみかつ)
元花王会長。現在、常盤塾で学ぶ。大事にしている言葉は「“自然”は我が師、我が友なり」(“自然”に学び、自然と共に生きる)。著書に『知と経営』『モノづくりのこころ』『楕円思考で考える経営の哲学』など多数。
丸山 明久(まるやま・あきひさ)
日産自動車技術企画部在籍時に丸の内ブランドフォーラムに参加、常盤塾に出会う。常盤塾・塾生。現在は、常盤塾での学びを果樹農業経営で実践中。