社会に愛される経営を探る。伊那食品工業株式会社のケース

伊那食品工業本社社屋 伊那食品工業本社社屋

企業と地域の結婚
日本の地方がテレビなどで紹介されるとき、「かつての企業城下町」という表現が使われることがしばしばある。以前は人があふれ町は賑わっていたのに現状はどうだ、という悲哀が「かつて」という言葉に込められている。何も時代の波に乗れなくなり衰退を余儀なくされた企業ばかりではない。上場している企業なら、株主価値を高めるためという「大義名分」のため、コストの安い海外へ工場を移転してしまうケースも多々ある。

企業経営とは何とドライなのだろう。日本の地方を取材していると、「あれだけ優遇してきたのに、後ろ髪すら引かれずにあっさり撤退を決める。企業との“お見合い”はもうこりごりだ」と話す首長も少なくない。なぜ企業との“結婚”が長続きしないのか。それは、寿命の違う者同士の結婚だからである。住む人がいる限り存続し続ける地方自治体に対して、企業には明らかに寿命がある。


もうほとんど死語になってしまったかもしれないが、かつて「企業の寿命は30年」説がちょっとした流行になったことがある。企業などの法人は、経営者が去ったとしても世代交代を続けることで生きていける。本来は寿命という概念がないはずである。しかし、上場企業の業績を過去に遡って分析した結果、企業の平均寿命はせいぜい30年しかないことが分かったという。


四半世紀以上も前の理論が今でも当てはまるかどうか保証はない。とはいえ、短期的な利益を追求する経営者がその後増えたことを考えれば、寿命は縮まりこそすれ延びてはいないはずだ。ほぼ永遠の命をもった者と30年に満たない寿命の者の結婚・・・。うまくいく方がおかしいのかもしれない。もっとも、「30年ごとに美しい新婦を迎えられるとすれば、そんな楽しいことはない」と思う人がいるかもしれない。しかし、残念ながら、それができるのは財力がある場合に限られる。


では、もし企業が永遠の美を放ち続けるならばどうだろうか。その結婚は間違いなくうまくいく。実はそんな実例がある。長野県伊那市に本社をおく伊那食品工業だ。
伊那市は東京圏からも名古屋圏からも自動車で3時間はかかる。飛行機や新幹線網の発達した現在、陸の孤島と化した感がある日本でもっとも不便な場所の一つである。しかし、そんな不便さをものともせず、日本各地から入社希望者が殺到している。同社は毎年20人ほどの新卒を採用しているが、応募者は1200人を超える。実に60倍の競争率なのだ。「こんなに山深い田舎町の企業に、北は北海道から南は沖縄まで優秀な学生さんがいっぱい来てくれるのは本当に有り難いことです」。同社の塚越英弘社長はこう言って目を細める。



企業の成長と年輪経営
伊那食品工業に注目するのは学生ばかりではない。世界一(株式時価ベース)の自動車メーカーであるトヨタ自動車も同社の経営手法に強い関心を示す。豊田章男社長をはじめ副社長や専務、取締役のほとんどが同社を訪れている。さらに、デンソーやアイシン精機、トヨタ車体などトヨタを支える部品メーカーや車体メーカーのトップたちまで次々と伊那にやって来る。従業員数は500人に満たず売上高も約200億円ほど。世界のトヨタから見ればちっぽけな企業である。上場もしていない。そんな企業を「経営の師」と仰いで訪れるのだ。


なぜか。その理由は社会がどんなに変化しても、その流れに流されることなく、また流れに掉さすこともなく永遠の美を放ち続けようとする経営哲学にある。創業者である塚越寛最高顧問は企業の成長を木々の成長に見立てて「年輪経営」と名づけている。木が若い頃は年輪の幅が広い。成長が速いからだ。しかし、歳を重ねていくうちに年輪の幅はどんどん小さくなる。成長速度が落ちていくからだが、塚越最高顧問は「それがいいんです」と言う。無理して高い成長率を求めないという意味だ。


塚越最高顧問は言う。「私の尊敬する二宮尊徳の教えに『遠きをはかる者は富み、近きをはかる者は貧す』という言葉があります。企業が目の前の利益を追求するのは近きをはかることです。一時の急成長は喜んでばかりはいられない」。「人間の幸せにはいろいろな形があると思います。所得を増やすのもその1つでしょう。その場合、一番幸せに感じるのが、少しずつ確実に所得が上がっていくことだと思うのです。私はこれを『末広がりの幸せ』と呼んでいます」。


米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)は成長率の低くなった事業を切り捨て、成長性の高い分野の企業を買収するなどして企業の成長率を一定以上に保とうとしてきた。それがもてはやされてもきた。しかし、そうした荒療治を続ける経営は大きなリスクを伴う。実際、経営の神様と呼ばれたジャック・ウエルチが育てたGEは今やかつての輝きを完全に失ってしまった。


年輪経営はそうした常に高い利益を追求する経営とは一線を画し、高い利益率を追求するより少しずつでいいから長く成長を続ける道を選ぶ。「チェンジ・チェンジ・チェンジ(現状を打破しろ)」と煽られストレッチ(高い目標設定とその実行)を求められ続けられては従業員も疲弊してしまう。企業にすれば、疲れ切った従業員は取り替えればいいという考えも成り立つが、伊那食品工業は全く逆。とにかく「従業員ファースト」なのである。塚越最高顧問は言う。「会社の利益を追求するのではなく社員の幸せを追求して経営をしています。だから上場はしません。株式を上場すれば株主の利益を最優先させなければならないからです。そうなれば会社は利益、利益と考えざるを得なくなる」。


例えば、今やほとんどの企業で当たり前となった成果主義人事。世の中がどんなにブームに沸いていても馬耳東風。古めかしい日本的経営だと批判を受けようが頑なに年功序列を守ってきた。成果主義は社員のためというより株主のためにあると考え、多少の問題は抱えていても年功序列の方が従業員の幸せにつながると考えているからだ。実際、従業員が幸せを感じれば自ずと利益はついてくる。結果として、伊那食品工業の給与水準は同業他社より上がり、若くして一戸建て住宅を購入、さらに生活の安定から3人以上の子供を持つ従業員が増えているという。少子高齢化が進む日本にとってありがたい話である。


企業が利益を稼いだら株主への還元をまず考えるのではなく、従業員にきちんと配分する。それが年輪経営の一丁目一番地である。その次は従業員の健康と働きやすい環境を作ること。伊那食品工業では会社負担で従業員全員に癌保険に加入している。人生にはもしもがつきものである。その時に困らないように備えているのだ。


また、すべてのオフィスには床暖房システムが備えられている。標高約700メートルで山に囲まれた伊那地方は冬にはマイナス10度になるときもある。足元から体を冷やして病気にならないようにとの配慮である。従業員への配慮はほかにも枚挙に暇がないが、これらはすべて塚越寛最高顧問自らが考え実行に移したことだという。


 バブル経済が崩壊するまで、日本企業の多くが社員に対する福利厚生に積極的だった。保養所を建てたりスポーツ施設を作ったり、都心のビルに社員のための温泉設備を入れた企業もあった。しかし、バブル経済が崩壊すると効率経営の名のもとにそうした“ムダ”は次々と取り除かれていく。地方の保養所は売り払われ都心のスポーツ施設は取り壊されてマンションが建設された。「従業員のため」と言いつつ、実際には値上がりしていた不動産の含み益が目当てだったのではないかと批判されても仕方がないような売却ブームがバブル崩壊後しばらく続いた。



従業員を大切にする経営の真髄とは
しかし、伊那食品工業の場合はそういう“フェイク”とは明らかに違う。そして従業員を大切にする経営の真髄は「研究開発」にある。従業員への利益還元や福利厚生設備の充実も大切だが、やはり何と言っても「働きがいこそ」が従業員の生活を充実させるからである。安定を求めるのは変革への大敵という考えがあるとしたら間違いだ。伊那食品工業の場合には、生活の安定が様々な画期的製品を生み出すのに一役買っている。


伊那食品工業の製品は「寒天」である。日本市場の約80%、世界市場の15%のシェアを誇る。世界シェアが低いのは、同社が日本市場を中心にしていることもあるが、寒天は約400年前に日本で生まれた食材であり、世界ではほとんど食用にされることなく、細菌などの培養用の用途がほとんどという理由が大きい。


寒天はテングサやオゴノリといった海藻から作る。日本では古くからこれらの海藻を煮詰めた煮汁を冷まして固化させた「ところてん」に酢や蜜をかけて食べる習慣があった。江戸時代初期に、ある“事故”によってこのところてんから寒天が生まれた。寒天の起源として知られているのは、1685年、京都の伏見で旅館を営んでいた美濃屋太郎左衛門が寒い冬に、食べ残したところてんを屋外に放置したこととされている。夜の間にところてんは凍り、そして日中の日差しを浴びて干からびてしまった。からからに乾いたところてんを太郎左衛門は再び食べようと思ったのか、水に浸しておいたところ再びゼリー状になった。それを食べてみると、何とところてんの海藻臭さが抜けていた。これはいいと作られるようになったと言われる。そして漢語で「冬の空」を意味する「寒天」と名づけられた。寒い冬に凍らせ、そして天日干しにするという自然頼みの製法を工業化したのが伊那食品工業だ。品質が格段に向上、冬の間だけだった製造期間も通年になった。


寒天は非常にシンプルな食品と言っていい。しかし、だからこそ実は研究開発のし甲斐がある。品質管理を徹底して大量生産し業務用の寒天として販売する一方、様々な食品に混ぜて新しい食感や風味を引き出すことができる。各種スープやゼリー、プリンの素材として、サラダや雑炊用の食材として、チーズケーキや蜂蜜などに混ぜ込み型崩れが起きないようにするために・・・。


シンプルなだけに知恵を絞れば絞るほど新しいアイデアが浮かんでくる食品と言っていい。塚越寛最高顧問は「伊那食品工業では社員の10%が研究開発に携わっている。わが社にとって研究開発は命綱」と言い切る。実際の研究開発に携わる社員が10%だとしても、そこには営業や製造なども関わらなければ新しい製品は生み出せないわけで、従業員総出で知恵を絞る会社と呼んでもおかしくない。マニュアル通りに働くだけの仕事なら、どんなに複雑な仕事でもいつかはロボットに置き換えられてしまう可能性が高い。

 

それ以上に、そういう作業はいくら続けても働く人に大きな成長をもたらさない。毎日、創意工夫しながら生活する人と、マニュアル通りの仕事を続けさせられる人。もしスタート時点で全く同じ能力だった人がいたとして、創意工夫する人とマニュアル通りに働く人では1年365日で大きな違いが出てくるはずだ。10年、20年経てばその差は決定的となる。いまやあまり語られなくなった感があるが、日本の製造業がなぜ強くなったのか。その最大のポイントは現場の考える力にあることは間違いない。その原点を同社に見ることができる。



企業を強くする地域への貢献
伊那食品工業にとって、従業員を大切にすることに加えてもう一つ非常に重要視していることがある。地域への貢献だ。塚越最高顧問は「地域を大切にして地域に愛されることが企業を良くし、強くするためには不可欠です」と断言する。


同社には「右折禁止」というルールがある。これは社員のためというより地域のために塚越最高顧問が考えて実行しているものだ。地方にある伊那食品工業では社員はほとんどが車通勤である。本社の前には2車線の広い道路があるが、そこから右折して1車線をまたいで会社に入るのは「禁止」されている。


道路交通法上では何の問題もない。しかし、右折は対向車を待たなければならないため渋滞が起きやすい。毎朝、伊那食品工業の前で渋滞が発生しては地域住民に迷惑がかかる。そのため、社員に右折を禁止しているのだ。右折で会社に入れないため、そちら側から出勤する社員は遠回りをして左折を繰り返して出勤する。社員にとっては面倒くさいことである。しかし、そういう決まりを作ることで「地域への貢献」を社員は毎日感じることができる。


情けは人のためならずと言う。少しでも貢献しようという気持ちは間違いなく地域住民にも伝わっていく。それは会社の評価を上げることにもつながるだろう。
人が道を横切ることが多ければ、行政に頼らず自前で横断歩道橋も作っている。また、工場などの施設を作るときには道路の交差点となる部分は見通しが良くなるように角部分の土地を提供し、高い塀で囲わないようにしている。隣の家との境界は1センチでも自分の土地が増えるようにしたい。道路にもぎりぎりに塀を立てて少しでも自分の面積を増やしたい――。人情というものだろうが、塚越最高顧問は「住民がみなこうした考えをしている限り地域は良くならない」と話す。


もし逆の発想をしたらどうなるだろうか。10センチでも20センチでも自分の土地を下げて道路を広くする。背の高い石垣は作らずに道を通る人の見通しを良くする。間違いなく人も自動車も自転車も通行しやすくなり歩行者が事故に巻き込まれるケースは少なくなるはずだ。しかし、土地に対する執着心の強い日本人にとってこれを実践するのは非常に難しい。もちろん法律でセットバックを強制して道を広げることはできる。しかし、すべて行政に任せていては一部の住民から間違いなく文句が出てせっかくの施策も遅々として進まない。まずは率先垂範。できるところから自分たちの手で始めようということだ。「従業員はもちろん地域の人たちも地域のことを最優先するような発想になってくれるようになってほしいと考えています」。塚越最高顧問はこう話す。


地域の人々に開放している本社の敷地は市民の憩いの場になっている。そこは企業の中というより公園のようでもある。しかも、ゴミが一つも落ちていない。万が一誰かがゴミを落としても、従業員が見つけたらすぐに片づけてしまうからだ。また、週末にはボランティアで従業員やその家族たちが集まり、枯れ葉の掃除をしている。最高の環境を地域に提供しようとしているのだ。企業が経済的にも精神的にも豊かになり地域への貢献を通して地域が豊かになる。その恩恵を企業が受ける――。こうした循環型の企業経営を目指しているのだ。


伊那食品工業は苦境に陥っていた地域の酒造メーカー、米澤酒造を買収、約8億円をかけて設備を一新させ2017年12月に新生・米澤酒造として再出発させた。これもまた地域貢献の一環である。米澤酒造の実質的な経営者となったのが塚越最高顧問の長男、塚越英弘副社長(米澤酒造専務、いずれも当時、2019年からは伊那食品工業社長)は言う。「ざっくり申し上げて伊那食品工業が毎年設備投資にかけている金額に対して、そのほとんどをこの米澤酒造にかけたことになります。その資金の回収には20年、いや30年かかるかもしれません」。


長野県にはかつて160もの造り酒屋があったという。ピーク時には出荷額が全国第2位を誇っていた。しかし、消費の多様化などで年々販売額は減り、現在は80ほどにまで減った。このまま放置すれば信州の日本酒造りは危機に直面しかねない。地域のために何とかしなければ・・・。お酒をほとんど飲まない塚越最高顧問は、まさに地域活性化のために立ち上がった。しかし、地域貢献だから業績は二の次でいいというわけではない。健全な利益を出し研究開発や設備投資を続けなければ結局は事業が衰退し地域貢献もへったくれもなくなってしまう。


幸い山口県に良い手本があった。旭酒造の「獺祭」である。食品製造で培った技術とノウハウ、品質管理を徹底すれば飛躍できるチャンスはある。そして実質的な経営者として送り込んだのが長男の塚越英弘氏だった。それにも大きな理由がある。いずれ伊那食品工業の社長となるための経験だったのだ。そして2019年に社長に就任した。


企業の中で一から全く新しいことにチャレンジできるチャンスはそれほど多くない。いずれトップになる人であれば、失敗させないように周囲は気を遣う。それでは真の経営力は培われない。
次世代の経営者に外で経験をつませることは、伊那食品工業という企業が永遠の美しさを保たせるための一つの手法なのだ。

 

川嶋  諭  (かわしま  さとし)
早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立。

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