教養 ーより高く広く深い視点をー

近頃はブームといわれるほど、社会全般で「教養」の重要性がいわれています。教養などは、昔からあるもので、何故今頃いわれているのか、理由は二つあると思います。


一つは、真なる生き甲斐を求める人の要求の声が多いのです。高齢社会になり、平均寿命が伸びて長寿社会になってきました。それは60才で迎えた定年の後の人生がとても長くなったことを表わしています。定年後もう「一(ひと)人生」生きなければなりません。まだまだ元気で意欲もある。しかし生き甲斐の源泉である仕事も職場も失って、今度は自分でその源泉をつくれといわれているのです。

 

ところが仕事人間、職場人間ですから、他の社会や仕事以外の分野のことも知らない。ましてや生き甲斐を一(いち)からつくれといわれてもと戸惑っているのです。その解決策の一つに、何か「教養」といわれている分野にヒントがあるのではなかろうかと思っているのです。

 

定年を迎えた人々ばかりでなく、こうした先輩を見ている現役組も、豊かな人生を得ることもあり、いまから教養を身に付ける必要を痛感しているのです。

 

もう一つは、グローバル社会、ダイバーシティ(多様性)を乗り越えるための欲求です。日本企業は増々世界中に進出し、多様な民族や宗教、言語や文化に接し、これ等の人々を、これまでの相手であった日本人同様に、仲間とし顧客としなければなりません。

 

その様なことを現実に行ってみると、様々な対処能力の必要性を猛烈実感するものです。その必要とする能力のベースに、「アイデンティティ」の確立というものがあり、その先にわが国伝統の教養という広がりがあります。
 

つまり仕事の話しかできないのでは、こちらの人間性すら理解してもらえない。もっと仕事以外の話で、心を通わせることができなければという思いが、心を教養に向かわせているのです。さてそこで、教養を身に付けようということになりますが、その為には教養とは何かをはっきりさせなければなりません。

 

西洋では教養を、リベラル・アーツといいます。そもそも大学とは、基本的にはリベラル・アーツを教えるところでした。ではリベラル・アーツとは何かといえば、ラテン語の「アルテス・リベラレス」の英訳で、古代ローマにおいて奴隷に対する階層としての「自由人」が身に付けるべき技芸を意味していました。中世になって、自由人が身に付けるべき技芸を「自由七科」とします。

 

それは、文法、論理学、修辞学の三科と算術、幾何学、天文学、音楽の四科を合わせた七科で、三科を修得した者を学士、更に四科修得すると修士の学位が与えられました。教養といえば「哲学」となりますが、哲学はこれら自由七科を統合する学問でした。この修得者を、「PhD」(博士)というPhとは、Philosophia(フィロソフィー)の意味です。


こうして見てくると、西洋においても、教養を指す領域の真ん中には、物事のより良い判断、より良い発言と行動の為の基準、規範があること。そうした見識を持った人間の人格を表わしているものだということがいえます。一方東洋ではどう考えているのでしょうか。

 

何といっても紳士の嗜(たしな)み、士大夫階級の必須の教養としては、「六(りく)芸」というものがありました。その内訳は、「礼、楽、射、御、書、数」の6科目と、「易、詩、書、春秋、礼、楽」の六経を意味するといわれています。六経とは、儒家の思想でいう五経の前の姿が六経です。したがって古典全般を修得すること。特に礼と楽を重視しており、更に弓と馬の技術や礼儀作法、書と数の心得です。

 

では、何の為にこれらを身に付けたのか。士大夫階級といえば、社会や組織を運営する側の人々です。いまでいえば、国家や地域経営に携(たずさ)わる政治家や役人、企業経営でいう幹部社員のことをいいます。こういう人々に要求されるのは何か。

 

大多数を占める庶の階級の人間からすれば、ただひたすら求めるのは「公正」ということでしょう。私利私欲による偏(かたよ)りのある自分勝手な権力の行使や、好き嫌いによる不公平な差別による法の解釈や施行などが、ごく普通のこととして行われてしまう恐ろしさを、庶の階層の人々は常に感じているのです。

 

したがって公正を忘れてはいけないという意味で、わが国では永らく朝廷や幕府、政府のことを「公儀」と呼びました。公儀のメンバーとしての個人に要求されることは、常に公正感を忘れないことでしたから、そうした役割や任務を目差す人に必須の資質や要素として、「教養」がありました。

 

逆にいえば、教養とは、公正感をしっかりと保持する為のものといえます。私の愛読書に、肥前国平戸藩九代藩主の松浦(まつら)静山がまとめた「甲子夜話」があります。この中に「水雲問答」というものがあります。安中藩主板倉勝尚(白雲山人)と幕府大学頭林述斎(墨水漁翁)との学問や政治に関する問答集です。

 

板倉侯がこう訊(き)きます。
「国家経営の要点に『公儀』ということを挙げたいと思います。国家の禍(わざわい)は君主の私欲から起こり、大臣の私心から起こり、臣下の徒党を組むことから起こるからです。」と言って、国家経営においては、私心や私欲をしっかり排除し、上司部下一体となって「公儀のみある」ようにすれば、国政も安定して行われると思うが、いかがでしょうと問います。 

 

対して述斎がこう答えます。
大いに賛成、その通りです。しかし一つ注意すべきは、「人品の高下にて公にも高下之あり。」

 

人格の高い人から見れば、いまいわれている公は、まだまだ私に見えるもの。したがって、もっともっと幹部連中の人格を高めないと、危ういですよ、というのです。教養とはこういうものなのです。人格を高める為にあるものなのです。

 

田口  佳史   (たぐち  よしふみ)
老荘思想研究者。一般社団法人「日本家庭教育協会」理事長。一般社団法人「東洋と西洋の知の融合研究所」理事長。
「杉並師範館」前理事長。株式会社イメージプラン代表取締役社長。
 昭和17年東京生まれ。昭和47年株式会社イメージプラン創業。以来30数年2000社に渡る企業変革指導を行う。中国古典思想研究四十数年。永年にわたり研鑽された中国古典を基盤としたリーダー指導は多くの経営者と政治家を育てた。東洋倫理学、東洋リーダーシップ論の第一人者。企業、官公庁、地方自治体、教育機関など全国各地で講演講義を続け、1万名を越える社会人教育の実績がある。

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