「熱」がわたしたちのこれからをつくる

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2022年3月号『わたしとわたしたちのこれから』に記載された内容です。)

本誌「マーケティングホライズン」の編集委員長・片平秀貴さん。自らが取材をしたり、執筆したりすることはあっても、自身が責任者という立場の冊子において、「インタビューを受ける機会」というのは、当然ながらこれまでにはありませんでした。今回のテーマは「わたしとわたしたちのこれから」。片平さんはこれについてどう考えているのか、本誌編集委員の見山謙一郎、子安大輔の両名がぜひ聞いてみたいということで、異例のインタビューとなりました。

 


初めはマーケティングサイエンスの世界へ


 

片平さんは、いわゆる「マーケティング」の領域に長年身を置いてこられました。改めて、この世界に足を踏み入れることになったきっかけは何だったのでしょうか。

片平 その前に一言いいですか。この号はおかげさまで「わたしとわたしたちのこれから」を考えるのにふさわしい、豊富な引出しをお持ちの識者の方々にご登場いただきました。それに比べて実のない裏方が表に出て、もっともらしくインタビューを受けるのはいかにも格好悪い。ただ本誌の編集で長くお世話になった見山、子安のお二人から「片平に斬り込みたい」と私的には大いに戸惑うご提案があったので、恥ずかしながらお受けした次第です。
 さて、本題ですね。学生時代に元々興味があったのはミクロ経済学です。マクロの世界の大きな話ではなく、消費者というものをこんな風に捉えるんだというところに、新鮮な興奮を覚えたものです。大学2年生の時(1967年)にフィリップ・コトラーの『Marketing Management』を手にとったのが、マーケティングとの初めての出会いですね。この本で扱っていたマーケティングというのは言わば「応用・応用経済学」のようなもので、かなりロジカルな内容でした。

─ 研究者としては、最初からマーケティングを専攻していたのですか。

片平 大学院では「マネジリアルエコノミクス」というテーマに取り組んでいました。これは企業活動をミクロ経済の概念や手法で分析しようとしたものですが、そのミクロの理論だけではどうやっても説明しきれないことがあります。そこには組織論があったり、後に出てきた行動経済学的な要素があったりしました。
 そんな中で自分自身が何に興味があったかというと、やはり「消費者行動」だったんです。特に自分自身の。貧乏学生の一人住まいだったので、よく行く町の中華屋で五目焼きそばに餃子を追加するかどうか迷ったりしていて、これはどう説明が付くのかとか。そのような消費者行動を勉強する分野は何かというと、それがマーケティングでした。あくまで入り口は消費者への興味ですね。

─ ちなみに、その時はどなたかに師事していたんですか。

片平 当時の僕は二人の先生についていて、企業経済は宮下(藤太郎)さん、マーケティングは大澤(豊)さんという方でした。お二人とも「先生」が嫌いで、「さん」とお呼びしていました。ただ、大澤さんもどっぷりマーケティングの人というわけではなく、元々統計学の世界から来ていましたから、かなり数量的なアプローチでしたね。

─ そこからマーケティングの深みに入っていくわけですね。

片平 しばらくは「マーケティングサイエンス」というテーマに没頭していました。データをロジカルに解析していく、今で言うところの「データサイエンス」ですね。特に、消費者データの分析に嵌りました。そうした領域で新しいことを考えるのは、それはそれで醍醐味がありました。
 僕はアメリカは奥手で、1983年にカナダの帰りにMITに寄ったのが初めてでした。当時は東大に来たばかりでしたが、阪大時代から付き合いのあったJohn LittleやJohn Hauserを訪ねて、怖いもの知らずに、当時の米国の最新の研究を痛烈に批判した研究を発表しました。
 でもアメリカのいいところは、そういう時の懐の深さで「なるほど。Hotakaの主張は実に示唆的だ」なんて話を聞いてくれるもんだから、アメリカのマーケティングサイエンスの世界に次第に組み込まれていったんです。米国の学会に誘われて発表していくうちに「教えに来ないか」と複数の大学から声を掛けられ、1991年にUCバークレーで、1992年にウォートンで教えることになりました。

 


いつしか「ブランド」に魅了される


 

─ 片平さんといえば「ブランド論」のイメージが強いですから、昔はデータサイエンスの世界にどっぷり浸かっていたというのは意外な感があります。「ブランド」というテーマにご自身の興味が向いたのには、どんな理由があったのでしょうか。

片平 UCバークレーで同僚だったDavid Aakerと仲良くなりました。彼は僕より10歳年上で、当時はマーケティングサイエンスの重鎮の一人でした。でも、彼はちょうどその年に『Managing Brand Equity』というタイトルで、ブランドに関する本を初めて出版したんです。彼とは週2、3回ランチを一緒にしていたのですが、本を出したばかりなものだから、ブランドに関する話ばかりしてくるんですよ。「おい、Hotaka。もうマーケティングサイエンスなんて退屈だからやめておけ。これからはブランドだ。一緒にブランドについて研究しよう」としきりに言ってくるんです(笑)。

─ そんなきっかけがあったんですね(笑)。それからすぐに研究のテーマを切り替えたんですか。

片平 いやいや、頑固にマーケティングサイエンスを続けていました。1995年になって博報堂の杉本進さんという雑誌『広告』の編集長から「ブランドについて連載をしませんか」というオファーをもらったんです。最初は半分道楽みたいな軽い気持ちで始めました。それからブランド力があるとされる企業にあちこち取材をしたわけですが、そうすると「これは大変なことだぞ」と、どんどん認識が変わっていきました。価格や宣伝のようなことではない、それぞれのブランドが持つ「世の中を変えたいんだ」という強烈な熱を感じるようになっていったんです。

─ その頃に取材をした先で、印象に残っているところはありますか。

片平 例えば、シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ。皆、上から目線の怖い人ばかりに違いないと恐る恐る訪問すると、会う人会う人皆優しい。聞けば、ブランドとして大事なのは人々が自由に安全に動けること、つまりモビリティなんだと。だから、ベンツでは乗用車だけではなく、タクシーやトラック、さらには機関車までつくるんだというわけです。そして、後にCEOになったツェッチェさんからは「うちの財産は人。モビリティの家元としてのプライドと人間としての優しさを併せ持っていてほしい」と聞いて、これはとんでもない世界に入り込んだと思いましたね。

─ 説得力がありますね。

片平 工場に行くと、おじいさんの代から3代続けてその工場で働いているなんていう人がいて、組立てライン上のクルマを撫でるようにして自分の仕事への愛を語ってくれるんです。そんな風に全員が一丸となっていて、その熱量が半端ないんです。これはフィレンツェのグッチに行っても、米国のナイキに行っても、同じでした。そういうブランドの奥深さを知るほどに、「もうこれはマーケティングサイエンスをやっている場合じゃないな」と思って、どんどんブランドの世界にのめり込んでいきました。そして1998年に『パワーブランドの本質』という本を出すことになりました。

─ そこからは現在に至るまで一貫して、ブランドに対する関心が失われていないのでしょうか。

片平 変わらず、というかますますですね(笑)。2000年に入ってブランド力のきちんとした物差しをつくりましょうということで、日経BPの千葉専務(当時)と力を合わせて「ブランドジャパン」を創設しました。いま20余年たって多くのブランドの道しるべになっているようでうれしいかぎりですが、僕自身は一歩その先にということで、数年前から「ブランド生態調査」という新しい試みを実施しています。これは7,000人にアンケートを行って、衣食住から買い物先、メディア等々12の領域で好感を持っているブランドとその好感理由を自由想起で挙げてもらうというクレージーな調査です。
 そのデータを見ていくと、「製品としての品質が良いだけではなく、消費者の声に常にこたえようとする精神に親しみが持てる」(パナソニック)とか、「カスタマーセンターのスタッフが皆やさしい」(関西電力)、「環境に配慮した企業としての取り組みに共感できる」(サントリー)等々、ブランドを元気づける言葉にばったり出会うことができます。そこには「人々の自然なナマの声」があるんですね。コロナ禍の影響も手に取るように見えてきます。これらのデータから数百個の代表的ブランドを二次元空間にプロットして、自由に各ブランドについてファンの特徴や好感理由、ファンを共有する他のブランドを瞬時に浮かび上がらせる「ブランドの森」というツールも開発中です。

 


「ブランディング」は何かひっかかる



─ 「ブランド」については1990年代の後半頃から、世の中的にもホットなトピックになっていきました。そういう流れをどのような目で見ていましたか。

片平 僕から見るとすごいブランドで、ぜひ学びたいケースに限って、当事者たちはむしろ「ブランド」という言葉を使われたくないということが多かったですね。和菓子の老舗や名門文房具店も「ブランドの取材」と伝えただけで構えることが多かったですし、「そんな大層な話はできません」と断られたりもしました。

─ 本人たちはブランドを意図して育てたつもりはないんですね。真面目に熱のある企業活動を継続していった結果、外から見れば勝手にブランドができあがっていただけなのかもしれません。

片平 最近、気楽に「ブランディング」という言葉がよく使われていますね。この言葉が使われるようになって、ブランドに関する議論が一気に軽薄になった気がします。うちのゼミでも、学生には「『ブランディング』という言葉を使ったら、即クビだ」と冗談半分で言っています(笑)。

─ そのあたりをもう少し聞かせてください。

片平 「~ing」はそのまま日本語では「~すること」ですね。例えば、「ネーミング」は「名前を付けること」。名前を付ければ名前が付きますから、これはそれほど違和感がありません。もともとbrandは動詞だと“assign a brand name to(〜にブランドの名前を付ける)”という意味なので、brandingはネーミングと大差ない言葉なんですね。ところが日本では「ブランディング」がブランドをつくる作業の意味で使われています。その裏には、ブランディングをすると良いブランドをつくることができる、という危ない安易な思想があることが窺われます。
 皆に慕われる多くのブランドは樹木と同じように自分に合った土壌と風土に恵まれて時間とともに育ってきていて、決して安易な「ブランディング」という作業でつくられたものではありません。講演などでよく「最近頭角を現したブランドはありますか」という質問をいただきます。上述した「ブランドの森」で去年あたりから目立ってきたものの一つに「バルミューダ」がありますが、このブランドも2003年に生まれていますから、ほぼ20年かかっているんですね。
 似たような議論は、「~ing」が付いている「マーケティング」にも当てはまるのではないかと思います。本誌の今年1月号で「わたし的マーケティング」というテーマで、編集委員のそれぞれが自分の思うマーケティング論を展開しました。面白かったのは、誰一人胸を張って「私はマーケティングの専門家です」のようなことを書かなかった点です。皆さん、どこかで自分の立場や考えを留保しているんです。マーケティングというものを心のどこかで懐疑的に見ている人が実は多いということではないでしょうか。僕自身もさすがに「マーケティングはあやしい」と大きな声で言うわけにはいきませんから、原稿では遠回しに指摘したつもりです。
 実はビジネスの各領域で人々と社会の幸せに正面切って向き合っているのは「マーケティング」しかありません。その意味で「~ing」なのは気になりますが(笑)、マーケティングの純化というか洗浄が必要な気がします。JMAの仕事ですね。

─ 言われてみれば、「私はマーケティングの専門家です」と自認している人に限って、本質ではなく、どこかHowの話に終始しているような印象があります。そして消費者をそんな簡単にHowでコントロールできると思うのは、傲慢としか言いようがないですね。
片平 この『マーケティングホライズン』で、ずっと言い続けてきたことの一つは「すぐに使えるような議論はやめよう」というものです。この点は12年間、曲げてこなかったつもりです。そんな表層的なことではなく、むしろ、すぐには役に立たないこと、一見すると無駄っぽいこと、遊びの要素があるもの、そんなものの中に本質が潜んでいると思ってやってきました。

 


40年続く東大非公式コミュニティ「片平ゼミ」



─ 少し話は変わりますが、片平さんと言えば「片平ゼミ」という東大の学生が集まるゼミを長年主宰されています。不思議なのは、東大の教授を随分前に退官されていますから、今のゼミは大学の公式コミュニティではないことです。そのあたりについても教えてください。

片平 ゼミは東大の3年生と4年生を対象にしたものですが、今年で40周年になります。僕にとって大切なコミュニティですから、毎年希望者に対して相当の時間を掛けて面接をして選抜しています。

─ どういう基準でゼミ生を選んでいるのでしょうか。

片平 ポイントは2つあります。1つは「明るいこと」。やっぱりどんなときでも気持ちよく挨拶を交わせるような仲間であって欲しいです。そしてもう1つは「狙っていないこと」。この狙っていないというのは、結構大切なことなんですよね。

─ 「狙わない」というのは、先程の「ブランディングという言葉に抵抗がある」というお話とどこか繋がっているような気もします。ちなみに、片平さんが教授を辞めたのは随分前のことですが、普通ならばそこでゼミ自体も終了となるはずです。それが今に至るまで続いているのはどういうことですか。

片平 僕は2004年の春に東大の教授を辞めました。そうしたら、当時の3年生たちが「先生は俺たちを捨てるんですか」なんて迫ってきたんですよ。じゃあ仕方ないから、毎週火曜日夕方の2時間だけみんなに時間をあげるよということで、僕のオフィスに集まるようになったんです。ただ、ゼミというのは下級生が入ってこないと仕方ありませんから、新年度の募集もすることになりました。

─ 募集するといっても、すでに大学のオフィシャルな存在ではなかったんですよね。

片平 上級生がゼミ紹介を行うんですが、実に不思議なことに、東大の公式ゼミ紹介にうちのゼミもずっと入れてくれているらしいんですよ。もちろんこのゼミは単位が出ませんが、ここのところ応募者はなぜか激しく増えています。学生たちと気軽に話ができるというのはうれしいことで、僕自身とても楽しんでいますし、今や僕の方が教えてもらうことも多いですね。

それにしても40年も続くというのもすごいことですね。

 


「熱」の勉強を続けたい



─ 最近、関心のあることはどのようなものですか。

片平 僕の関心は、以前からずっと変わらずにブランドという現象の勉強ですね。いいブランドの現場にあって他にないものは「熱」です。その意味で別の言い方をすると、「熱のある集団」の勉強ということになるのかもしれません。熱はどこから生まれるのか。熱が持続する仕組みは何か。いいブランドを預かる人たちに会っていていつも強く感じるのは、彼(女)らが明るく優しい人であること、人の話を真剣に聞くこと、どこか無邪気なことの3つです。
 この人たちが集まるとなぜ熱い集団になるのかはまだ分からないことが多いですが、2つ重要なことがあります。1つはそのような次世代を育てること。もう1つは、そのような集団が燃え尽きないように「燃料」を送る仕組みをつくることです。その燃料というのは、人々からの感謝、激励、称賛です。
 できているかどうかわかりませんが、片平ゼミは前者(次世代育成)を目指しています。また、意外かもしれませんが、「ブランド生態調査」は後者(燃料供給)が一番の狙いです。この調査の大きな目的は、ファンの感謝や激励の声をブランドに戻してあげることなんです。
 「ブランドの森」というツールでは、社員全員が簡単に自分のブランドのファンの声を聞くことができます。先日も公文の人が、「世界で利用されている教育方法。自分が子供だったら学びたかった」という声を聞いて、大いに喜んでいました。
 最近、熱いブランドのたった一つのアクションが、実に多くの人を幸せにしているという事例に出会うことが多くなりました。良品計画の河村玲さんから聞いた「無印良品 直江津」はその一つです。新潟県の直江津に世界一大きい無印良品の店舗をオープンさせました。「地域を巻き込む」のではなく、「地域に巻き込まれる」ように河村さんチームが十分時間を掛けて必死で地域の皆さんと交流した結果、直江津の皆さんに喜ばれ、感謝されているそうです。
 熱は一人の人が火種となって始まります。僕の夢は、その火種が一人でも多く生まれて、これからの(日本、世界、地球上の)わたしたちがより明るく愉しい生活が送れるようになることです。小さな努力を重ねていきたいですね。


本日はありがとうございました。


(インタビュアー : 子安 大輔、見山 謙一郎 いずれも本誌編集委員)

片平 秀貴(かたひら ほたか)
丸の内ブランドフォーラム 代表
2001 年、「丸の内」ブランド再構築のお手伝いがきっかけで丸の内ブランドフォーラム(MBF)創設。「社会に笑顔の火種をつくる」の信念のもと、同志とブランド育成の勉強と実践を続けている。2010 年から本誌編集委員長。併せて 2019 年に東京21世紀管弦楽団の創設を手伝う。趣味は仕事とラグビー応援。

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