「Why」と向き合う : 「モノ世代」と「コト世代」の思考の違いからの考察

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年7月号『根力と軸行力』に記載された内容です。)

専修大学での担当科目の一つに「技術経営戦略入門」がある。経営学部の講義であることから、細かい技術を追いかけるのではなく、技術動向を俯瞰的に理解したうえで、新しい技術の社会実装、普及させる為の戦略を考える講義設計となっている。

特に今年度は技術系企業の協力を得て、新しい技術の普及・実装の為の戦略提案を学生に考えてもらう。そこで重要なポイントとなることが、その技術によって何が出来るかという“What”から考えるよりも、なぜその技術が開発されたのかという“Why”を知ることで、普及・実装のアイデアが膨らむということだ。


技術戦略論の講義であることから、クリステンセンの「イノベーションのジレンマ」や、ゴビンダラジャンの「リバース・イノベーション」などの解説も行うが、第1回のイントロダクション講義では、「スマホの未来について考える」というテーマでグループワークを行った。


“スマホの未来”を考える

昭和世代の人からすると、黒電話からプッシュホン、ショルダーホンからガラ携、そして今のスマホという時系列な流れや進化を、身を持って体験している。


しかしながら、1990年代後半以降に生まれた今の学生は、物心がついた頃には既にスマホが身近にあった世代であり、電話というよりも通信デバイス、もしくはコミュニティ・デバイスとしてスマホを捉えており、その点で昭和世代の価値観とは大きく異なる。「スマホの未来を考える」という問いのポイントは、「“未来スマホ”を考える」ではなく、「“スマホの未来”を考える」ということだ。

つまり、「未来には、もはやスマホという“モノ”の概念すらなくなるかも知れない」という“コト”を学生に想像してもらうことにある。黒電話の時代には、今のスマホを想像することすら出来なかっただろう。


「スマホの未来を想像する」ということは、黒電話からスマホを想像する、もしくはそれ以上の変化が起こる可能性を想像することだ。今、存在する“モノ”を見ていても、未来の“コト”を想像することはできない。


“日本の過去、発展の歴史”を想像する

かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた時代があった。日本の1人あたりのGDPは、アメリカのそれを上回っていた時代があった。日本のGDPは、中国のGDPを遥かに上回っていた。こうした事実ですら、今の学生は歴史の1ページとして知るだけで、その実感はない。


こうした昭和世代の事実や価値観を押し付けても仕方がないので、日本のGDPおよび1人あたりのGDPの推移と、アメリカ、中国との時系列的な比較データだけを学生に示し、日本の産業発展のヒストリーを想像してもらった。


過去の事実であっても、学生が自分の頭で考え、その時代を想像してみることは、事実を押し付けられるよりも、歴史を自分事化し、過去のヒストリーと未来のストーリーを繋ぐ価値観の根をつくる作業になる。


「昔の授業で三種の神器というものを学んだことがある」、「なんかカラーテレビ(Color television)・クーラー(Cooler)・自動車(Car)という3Cもあったよね」など、小中高で学んだことを思い出しながら、ヒストリーを想像している様子は、実体験というバイアスがないだけに、新しい解釈も生まれ、私にとっても大変興味深いものだった。


こうした過去を想像できる彼らが、とても羨ましく思えた。その中でも特に印象的だったのは、「昔の人は、“モノ”に憧れを抱いていたんですね」という学生の一言だ。更に議論を深めていくと、どうも今の学生は、欲しい“モノ”よりも、やりたい“コト”に溢れているようだ。


そして、やりたい“コト”は学生それぞれの個性が反映されており、やりたいと思う理由(Why)も明確だ。「モノ世代」の我々に対し、彼らは「コト世代」といえる。“コト”の根は、他人から与えられたものではなく、自らの内面から湧き出たもので形はない。


だから、「コト世代」の若者は、“What”や“How”よりも“Why”を重視する。彼らが想像する未来は、「モノ世代」の我々とは、明らかに異なるものになるだろう。何よりも、彼らには未来のストーリーを想像するだけでなく、創造できる能力と時間がある。


“Why”を意識して考える

「スマホの未来を想像する」ワークショップは、企業研修でも行っている。学生との違いは、どんな機能を追加するか、もしくはどんな技術と置き換えるのかなど、“What”や“How”の議論が中心になることだ。


企業では、合理性や効率性が重視される為、どうしても「何をするか」、「どのようにするか」という“What”や“How”の話が議論の中心となり、「なぜ、それをやるのか」という“Why”をいちいち深く考えることはしないだろう。


こうしたことに慣れてくると、相手に対しても“What”や“How”を求めがちとなる。例えば、企業の採用面接でも、「何をやりたいのか?」、「どのようにそれを実現するのか?」ということを学生に求めるようになり、学生が本当に聞いてほしい「なぜ、この会社を選んだか?」という質問がなかった、ということも聞かれる。


また、企業の研修や講演会で具体的事例や成功事例に関する質問が多いのも、手っ取り早く“What”と“How”を知りたい、ということに他ならない。“Why”(なぜ)を探求することは、何かと時間と手間がかかる。簡単に答えは見つからず、理想と現実の狭間で悩み、自問自答を繰り返すことなる。“Why”は人から与えられるものではなく、自分で「問い」を立てなければならない。だからこそ


“Why”を探求し続けることが「根力」となり、内発的動機という「軸行力」へと繋がる。“Why”は、意識して考える必要があるということだ。


withコロナ時代の心構え

新型コロナウイルスの世界規模での感染拡大により、時代は大きな転換期を迎えている。長期戦も覚悟しなければならない今、生活スタイル、働き方など、ドラスティックな変化も、覚悟して受け入れなければならないだろう。


対処療法的な“What”や“How”では、とても乗り越えることが出来ない非常事態だ。しかしそれは、徹底的に未来に向けた“Why”を探求するチャンスでもある。


「新型コロナウイルスに“対応”して、今をやり過ごす」という受け身の姿勢ではなく、「新型コロナウイルスを“きっかけ”に未来を創造する」という前向きな姿勢、内発的な動機づけで、これまでとは非連続且つ大胆な取り組みに挑むべきだろう。覚悟という「根力」と、ぶれずにやり遂げる「軸行力」が、試されているのだ。

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見山  謙一郎  (みやま  けんいちろう)
本誌編集員
専修大学経営学部特任教授、フィールド・デザイン・ネットワークス代表。
「社会課題×経営学」の視点から、国内外で企業の活動を支援。
環境省中央環境審議会(循環型社会部会)委員の他、中央省庁、地方自治体の各種委員を兼務。

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