わたし的マーケティング論

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2022年1月号『わたし的マーケティング論』に記載された内容です。)

年が明けて22年が始動しました。この2年間はコロナ禍の関係で様々な制約与件の中での暮らしを強いられる時があったと同時に、企業や組織体にとっては「あり方」そのもの、個人にとっては生活様式や価値観を根底から覆す時であったように思います。テレビやパソコンのスイッチをオンにすればコロナの恐怖を伝える報道、政治の世界では相も変わらず「お金」や「権力闘争」、また環境問題ではエゴ剥き出しの議論と精神衛生上プラスとなるような情報は数少ない感がありました。

果たしてこうした状況が今という時代の特徴を顕しているかと思えばそうでもない感があります。過去の歴史を振り返っても基本的には同様の事を繰り返してきたように思われるのです。人というものの性なのか、組織というものの性なのかは分かりません。多くの変化項目が過去と現在ではありますが、極論から言えば情報の流れの速さと発信源の多様性(SNS等に代表される個人としての情報発信が確立されて来ている点)と、一つのエリアや国の行動が他のエリアや国に及ぼす影響が計り知れない程大きくなった事かもしれません。

そこで、私は今回立場を変えて物事を捉える「チェンジチェアマインド」と「独りよがり」という2つのワードを核にして話を進めていきたいと思います。

 


傷つける事と傷つけられる事


 

巷では外食産業や流通業が開発したスイーツ、はたまた製造業の商品を、その分野の権威といわれる方が順位付けをし、合格不合格を決める番組が好評を博しています。バラエティエンターテイメントとして捉えた場合は大変面白いと思いますし、話題性や購買意欲喚起にも有効な施策かと思います。

開発担当者が一定のコストの範囲内で血の滲む努力を行い上市したメニューや商品を無残にも合格不合格と判断する事、受験、就職活動であれ常に合格不合格は付き纏いますが、公共電波の中で評価される事がどのような影響を開発担当者に与える事になるであるかは想像に堪えません。

芳しくない評価を受けて、奮起し復活成長するというストーリーも当然ありますが、一方ではその人の心にぬぐい切れない傷を残す事もありえます。

今回ロイヤルファミリーの結婚問題でも心の傷という事がクローズアップされました。報道というもの、そして個人としての情報発信の中での誹謗中傷がどれほど人の心を傷つけるかを考えなおす必要があると考えます。

パワハラやセクハラ等のハラスメントに関しましては企業や組織体においてはコンプライアンスの観点から大きな関心が払われていますが、個人としてのハラスメントに関してはある意味、「報道の自由」「知る権利」「言論の自由」などから「言ったもの勝ち」といった状況なのではないでしょうか。自らが傷つく立場となった場合を考える時が必要かと思います。

決して情報統制が必要であると言っている訳ではありません。ただ、今よりもほんの少しだけ暖かい目と思いやりを持つ事ができれば、もっと素晴らしい世の中になるのではないでしょうか。こういう事態になったのは家庭教育の問題、時代が悪いといつた議論もありますが、それ以前に情報発信の大きな部分を占める報道機関や企業としての矜持を考えなおす必要があるのではないかと思います。

今回のコロナ禍では、コロナ罹患者を受け入れた医療機関の職員に対しても一種のイジメがあったと聞いています。自らの命を危険に晒しても懸命に患者様の命を救おうと努力している崇高な職業倫理感を持った医療関係者に対して許される行為ではありません。自らのストレスを「言いたい放題」の情報発信の中で発散するというさもしい気持ちを持つ事は避けたいものです。人は血の通った暖かい存在です。決してマテリアルではありません。

 


独りよがり



マーケティングの世界では3C分析やファイブフォース分析という手法がしばしば使われますが、コアコンピタンスやシーズという事に強い関心を持つあまり、3Cの中でのコンペティター(競合)やカスタマー(お客様)の視点が若干疎かになっている感を感じる毎日です。

イノベーションは大切ですが、ジレンマに陥っていないかは常に考える必要があるように思います。イノベーションのジレンマという概念、DXという革新は本来、全ての人々がより快適にそして人間らしく生活するための手段の一つであると思いますが、いつの間にか目的化している感もあります。

全ての方がデジタルネイティブであれば、それでも良いかと思いますが、高齢者含めそうではない方も多々いらっしゃるのが実態です。何故、もう少しバランスを持つ形でできないのか。そうすればもっと良い方向性がある気がするのです。

どんな技術力があるのか、そしてどんなシーズを持っているかが利用者にとって大切であるのではなく、利用者(お客様)の快適な日々を手助けするモノやコトであるかが大切だという事を今一度考える必要があると思います。不必要な機能、そして一部のマニアしか理解できないような説明書は何の意味も持ちません。提供者の自己満足しかないかと思います。

 


繋がりの実践論



今まで縷々述べてまいりましたが、自分以外の全ての周りの方々や周囲の環境との繋がりの中で自らの存在意義や立ち位置を明確にするのがマーケティングなのかもしれません。しばしば言われる事ですが、関係性の実践学なのかもしれません。ゴルフでもドライバーショット、ショートアプローチ、パッティングと様々な番手を使ってのショットの総数がスコアになります。一つだけ良くても他が悪ければ良いスコアにはなりません。まさにゴルフと一緒かもしれません。

個人によって持ち球があります。ストレート系のまっすぐのボールの方、左に曲がるドロー系の方、右に曲がるフェード系の方、まさに自社の3C分析です。

その持ち球を活かし、ドライバーショットは次のショットが行いやすいポイントに打つ、そしてショートアプローチは最後のパッティングが決めやすい所に打ってゆく。そしてパッティングはピンよりもショートすれば絶対入らないのですからほんの少しだけ強めに打っていく。この事をビジネスに当てはめれば半歩前に行くという事ではないでしょうか。

円環型マーケティングという概念がありますが、ブーメランのように自らの行為は必ず自らに降りかかってくるのかと思います。ほんの少し優しさとほんの少し相手の立場に立つ、そしてほんの少し前方の夢と希望をモノやコトで表現する。これが「わたし的マーケティング」です。

 


中島 聡(なかしま さとし)
株式会社明治 執行役員 マーケティングソリューション部長
生活者・流通業・情報技術革新等を踏まえた統合マーケティング戦略策定業務に従事。他に、公益社団法人日本マーケティング協会常任理事、明治大学大学院グローバルビジネス研究科兼任講師、気仙沼水産食品事業協同組合顧問、食品需給センター理事、ヘルスケア学会理事を務める。

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