DXの前に知っておきたいこと:トランスフォーメーションを目指すなら

(こちらの記事は、マーケティングホライズン2020年9月号『DXの虚と実 Do or Die?』に記載された内容です。)


90年代の教訓



30年近く前の話から始めたいと思います。1993年にMichael Hammer & James Champy著「Reengineering the Corporation」(邦訳:リエンジニアリング革命)が世界を震撼させ、情報技術(IT)を活用して事業を革新する機運が起こりました。

Thomas GerrityがMIT時代にルームメイトのJames ChampyとIndex Systemsを起業し、1988年にCSCに買収された後にChampyが残り(Gerrityはウォートン・スクールのディーン(学部長)を務め、筆者は当時のウォートンで学びました)CSC Indexとなり、「テクノロジードリブン・ビジネスプラニング」なるコンサルティングを開発しました。

後のリエンジニアリングです。ずいぶん昔ですが、DXと呼応する、あるいはDXのひとつの基礎となったコンセプトと言えるでしょう(なお、筆者は1993年に日本人コンサルタント第1号としてカリフォルニアのCSC Indexに入社)。

そして、世界的なリエンジニアリングのブームとなったのですが、バズワード化と都合のいい解釈により、本来のリエンジニアリングとはかけ離れたことが起こりました。既存のコンサルティング会社がこの本を大量発注し、即席でコンサルタントを教育してリエンジニアリングというコンサル商品を売りまくり、コスト削減したい企業が人減らし・リストラの手段に使ったのです。

それでも、米国の一部の企業は真摯にリエンジニアリングに取り組み、競争力を高めました。例えば、製薬会社シンテックスは新薬開発ブロセスを8年から4年と半分に期間短縮して企業価値は約20億ドル上昇しました。保険会社ブルークロス・オブ・ワシントン&アラスカは保険金請求処理など顧客を待たせない業務プロセスに転換して市場シェアは2年で14%から18%に上昇しました(詳しくは、筆者共著「ドラスチックな価値創造を成功させる四つのカギ」ダイヤモンドハーバードビジネス、Dec.-Jan. 1994参照)。

日本の状況はといえば、いわば虚(うつろ)なものでした。リエンジニアリングを商売にしようという企業はいくつも現れましたが、行動に移した日本企業はわずか。また、リエンジニアリングは日本の真似だとか、プロセスの組み替えなんて意味があるのか、といった理解不足の批判をするメディア関係者や経営学者らもいました。

4つの点がこの背景にあったように思います。まず、過信。まだバブル崩壊の直後で、日本企業は特に業務改善ではダントツだ、という意識が強かった。次に、ITの理解不足。機械化であるITを、事業そのものの革新と結びつけることなど想像し難い、あるいは、ITは外にやらせることで、自らの改革とは別だ、といった認識。3つ目は、ビジネスプロセスという概念の欠落。プロセスは生産など各現場のもので、組織横断やホワイトカラーと関係するプロセスをイメージし難かったようです。最後に、これが一番の壁ですが、組織や企業文化の慣性。これらは変えられない上位概念であり、業務やITはそれに従えという不文律の会社が多かったようです。

これら4点があると、自分事でなく他人事(あるいは抵抗勢力)となり、改革で必要なオーナーシップやアカウンタビリティが醸成できません。これらは、程度の差こそあれ、いまも課題です。DXはハイプ(熱狂)になっていますが、このままでは死屍累々を招きかねません。

いずれにせよリエンジニアリング看過で日本企業の進化が遅れたことは、小生も経済産業省産業構造審議会の情報サービス・ソフトウェア小委員会でも指摘しましたが、残念に思っています。

 


リエンジニアリングから学べること



Windows95もなければインターネットもモバイルもまだまだの時代のリエンジニアリングと、いまのDXとの違いは大きい。しかし、共通する面もあります。いわば、リエンジニアリングができる基礎がなければ、より変革の度合いが強烈なDXは難しいでしょう。

本来のリエンジニアリングの基礎からいくつか紹介します。まず代表的な、リエンジニアリング・ダイヤモンド(下の図、出所:CSC Index)。


ITだけでなく、
・組織と人材(職務/スキル)
・マネジメントシステム(業績評価ほか)
・カルチャー/価値観


が重要な要素として、ビジネスプロセスを取り巻きます。

加えて、組織改革や人の再教育を含むチェンジマネジメントを重視します。さらに、こうした改革は、FUD(Fear恐れ、Uncertainty不確実さ、Doubt疑い)ゆえにスローになるという面もあり、人の感情・心理を考え、コミュニケーションを凝らすことも大切です。

そして、中心となるビジネスプロセスですが、fragmentation=バラバラになっていることが、よくみられる問題です。かつて、情報システムは組織を映す(システムを見れば組織が分かる)とも言われましたが、部門ごとに異なるシステムとなっていることはザラです。問題は社内の組織間の連携の欠落にとどまりません。

顧客とのつながりも問うべきです。顧客でなく、社内や部門内の論理でプロセスを作り、事業を営んでいることのいかに多いことか。なので、アウトサイド・イン、つまり顧客など外からの視点で、トータルにビジネスプロセスを作り直すことが求められます。また、効率化・コストダウンだけでなく、価値追求の攻めの視点でもリ・デザインすることが大切です。

これら本来のリエンジニアリングの基礎は、この30年近く言われてきたことですが、あらためてDXの前に再認識しておくとよいでしょう。

 


日本は人材とデータを大切にしてきたか?



DXを取り巻く日本の状況について、米国との比較を織り交ぜながら、考えてみましょう。米国の代表的な小売チェーンJCペニーやターゲットは、90年代初頭には理系の博士を何人も雇っていました。米国では同社に限らず、データと院卒理系人材を重視し、日本の小売とは大違いでした。

人材について、いま比べても、日米のサイエンティストやエンジニアの給与水準の差は大きく、米国やドイツでは博士が尊敬されていますが、日本では博士は減り続けています。

ちなみにIT人材のユーザー企業とITサービス企業(SIなど外部)の比率は、米国はユーザー企業が72%ですが、日本は25%とユーザー企業のIT人材は限られています(情報処理推進機構2011年報告書)。つまり、日本企業はかなり外に頼っています。なお、例えば開発ツールが改良され生産性が上がると、米国では喜ばれますが、日本ではITサービス企業の人月=売上が減るので舌打ちされるといった、歪んだ現象がみられるのも、こうした構造が背景にあります。

また、データの時代と言われますが、最近ある経営コンサルティング会社の日本代表が、「多くの企業では、AIとか言う前に、データが使える状態にしないと始まらないというのが実情」と言っていました。業界内で各社バラバラ、同じ社内でも部門ごとにバラバラが当たり前で、相互に利用できるようになるはいつのことかと思いやられます。

ロクに使われない情報システムやIT投資の大きなムダなど、日本企業のIT問題は山積みです。社内下請け的でリスク回避が強い情報システム部、バラバラで勝手なITユーザー部門は、よくある話。

すると、システムは複雑になりやすい。また、外部に丸投げしたり、パッケージソフトを自社用に甚だしくカスタマイズさせる企業、工数がかかることを歓迎し売上とするSI会社といった構造は、日本で特に目立ちます。これでは、組織横断的なビジネスプロセスを再構築し、ビジネスを革新することは容易ではありません。


日本特有のDX議論



楠正憲氏(国際大学GLOCOM 客員研究員)がCOMEMOというメディアに記したコメントが興味深いので紹介します。

まず、はんこ電子化について:
『利用者も日々の業務に埋没して「これまでこうやってきたから」と漫然と続けるのではなく「何をやりたくて、本当に必要な要件は何か」問い直し、手間を惜しまず前向きに業務を組み立て直す気概を持たない限り、新しい日本の職場が紙とハンコから解放されることはない。』
『脱ハンコの最大の抵抗勢力は「ハンコ業界」ではなく、根拠や必要性を問い直さないまま、今までの仕事の進め方を惰性で続けて、仕事が増えることを望まない私たち自身です。』

これはDXの多くのテーマに当てはまることです。言うは易く、行うは難し。経営トップがやれと言っても、実際のオペレーションは、そう簡単に変わりません。

また楠氏は、1740もある自治体がバラバラに住民事務のシステム構築をしている理由として、中央集権の歪みに対する反作用として現在の住民基本台帳が生まれた歴史的背景や、業務を任された多様な自治体がそれぞれに合った形を模索したことを、あげています。それゆえ、独自に外字や帳票を定義したり、パッケージソフトもカスタマイズされています。

『過去何十年と積み上げ澱の溜まったデータが綺麗になる訳ではないし、別々に運用されてきたシステムを簡単に繋ぎ込める訳ではありません。』と楠氏は、語ります。

これを日本の大企業は笑えません。似たようなことが起きています。事業部ごとに異なるシステムやデータ形式というのはよくあり、現場で創意工夫と日々の改善に努めた結果、事業所ごとに異なる帳票や仕事の仕方になっていた例もあります。

楠氏はDXについて、日本の組織が『業務の組み立てシステムを構築し、オペレーションを回していく人を育てることを怠ってきた』と指摘します。全社的にオペレーションを考えてつくっていく機能が手薄なところに、システムやデータなどの厄介なレガシーが積み上がったのです。

そしてデータについて楠氏は次のようなコメントをしています。:
『データがあってもデータに基づいて正しい意志決定ができない社会構造から改める必要がある。』
『日本企業に欠けているのはデータサイエンティスト以前に、事業のデジタル化を通じてデータ分析の結果を収益に繋げられるサービスを構想し、システムを刷新してデータを分析できる環境をつくること』

既存の情報システム部の名前を変えてDX部とするのが流行ですが、これらの課題は、それでは何も解決しません。さらに楠氏は、『価値の源泉はユーザーとのタッチポイントであって、データそのものではない。

日本ではデータがないからAIの研究開発ができないと大騒ぎになって、データ流通の枠組みについて議論が進んでいるが、データがあったところでユーザーとのタッチポイント、そこで得られた約款同意、マネタイズの仕組みがあって初めて事業として回るのである。』と指摘します。つまり、マーケティング視点はDXに不可欠です。そして、マネジメントと事業のあり方そのものが問い直されているのです。

 


トランスフォームするには?



世はDX流行りですが、一歩引いてDXについて冷静に考えることが大切です。経済産業省が2018年9月に公表した「DXレポート」で、DXを進めよと、警鐘を鳴らしたのは、よいことだと思います。しかし、言っていることはDXの一面でしかない情報システムに偏っています。

いまやDXは、ただのIT活用を含め幅広い意味で使われていますが、本来はDX=デジタル“トランスフォーメーション”であり、組織や事業はじめ企業のあり方を革新することです。DX提唱者のマイケル・ウェイドIMD教授は、DXをデジタル「ビジネス」トランスフォーメーションと呼ぶようになっています。

ちなみに、DXについての書籍を著した元P&GでコンサルタントのTony Saldanha氏は、ザッポス(米国トップのオンライン靴小売)の例をあげています。顧客にワオ!と言ってもらうサービスの提供を目指し、例えば顧客の電話に何時間でも付き合うという、一見非効率で、ヒューマンなつながりを重視するザッポスは、ユーザーとのタッチポイントにフォーカスしています。

熱いファンが自らの体験をソーシャルメディアで発信し、それをみた人が顧客になり、顧客が顧客を生んでいます。そして、ファンになるほど顧客のLTV(生涯価値)は高まります。このようにしてザッポスは、他とは異なる見事なビジネスモデルで発展しています(なお筆者は書籍「ザッポス伝説」「ザッポス伝説2.0」を監訳)。デジタル一辺倒でなく、リアルと組み合わさり、従来のモデルをトランスフォームしている好例です。

単なるIT化やデジタル一辺倒を超えて、リアル+デジタル、それもリアルを革新しての新たなモデルができれば、強い競争力が得られるでしょう。DXの要諦である「つながり」をつくるための切り口や、相互作用を生むための顧客・ユーザーとの新たな関係づくりが一つの鍵となります。

そのためには、そもそも会社や事業の目的は何か、どういう存在意義を追求するのか、そして信条や行動規範、カルチャーは、と根本的なことに立ち返って問い直すことが、回り道に見えて、実はストレートなアプローチではないでしょうか。


本荘 修二 (ほんじょう しゅうじ)
本荘事務所 代表/多摩大学客員教授/本誌編集委員
新事業を中心に、イノベーションやマーケティングなどの経営コンサルティングを手掛ける。日米の大企業、ベンチャー企業、投資会社などのアドバイザーや社外役員を務める。
500 Startups、始動ネクストイノベーター、福岡県他のメンターを務め、起業家育成、 コミュニティづくりに取り組む。

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